「滅ぼすべき」コメント返し続編。

 
日本語は滅ぼすべき(なるべく計画的に)
に多数のコメント・ブックマーク・トラックバックを頂いたので一部に返信します。
 
 いや、どんだけ普段読者のリアクションに飢えてるかわかろうというもの。
 
id:sasakiararさん
>たかが一般書一冊読んだくらいの言語学の素養でなんで論戦はろうとするんだろう。勇気あるなー。言語学って素人になめられちゃうから悔しいなー。僕も物性物理とか専攻してたらこんな不快にならなかったのかなー。

 
 「一般書」? それはもしかして「日本語が亡びるとき」のことですか?
 だとしたらそれ一冊すら読んでおりませんが何か。
 
 確かに素人です。不快にさせたようでしたら申し訳ありません。
 どの辺りが間違っているか具体的にご指摘いただければうれしく思います。
 
 別に誰かに論戦を挑むつもりはなかったのですが、気がついたら大変なことになっておりました。
 
 なんか、コメント欄で私なんか問題にならない学識をお持ちの方々が論陣を張ってらっしゃるので、指をくわえて見ております。
 
 飲茶日和。
 
id:hokuto-heiさん
> 結局のところ『釣りでした、ごめんなさい』か。ごめんなさいがあるだけでもかなりマシ

 
 なんだとう?釣りとは認めたが謝罪したつもりなどないわ!
 
 ……とかまた荒れるようなことを言ってみるテスト。
 
 なるほど釣りめいたタイトルではありますが、本文の内容まで釣りで書いたわけではありません。
 
 ……いや、「タイトルが釣り」と言われるとそれまでですけど。
 
 その点については各地でご批判を受けてるようで。
 
>通りすがり2さん
>日本語は滅ぼすべき。(なるべく計画的に)タイトルが良くないんでしょうね〜。
>本文とマッチしてない。

 
 申し訳ないです。
 
 なんか色々意図を推測してる方もいらっしゃるんですが、「日本語が亡びるとき」と語呂を合わせよう、という以上の意図はほとんどありませんでした。
 
 タイトルと本文が一致してないと気づいて怒る人もいるかな、とも少しは思ったのですが、まあ割といつもそんなタイトルで記事を書いてるので。
 
 例:
花は匂えど。
訓読み。
児童の生活実態調査における学力低下の相関について。
 
 初めてこのブログを読まれた方はそんなの知ったこっちゃないでしょうけど、そういう人がこんなにたくさん訪れてくださるとは思いませんでしたから。
 
 まして、タイトルと本文が一致してないと気づかずに怒る人がこんなにたくさんいるなんて想像だにしませんでした。
 
 書いたときの気分はこんな感じでした。
 
ほろびグラフ

 
 はい本文。
 
 タイトルと本文、全く無関係ではないよね、という思いもあり。
 
 日本語が滅ぶべきだとは思わない、積極的に滅ぼそうなどとはしない……とはいえ、英語へ切り替えるつもりなら、その過程で日本語教育の時間数を徐々に削って、どこかでゼロにすることになるであろう、と。
 
 そうした場合、文科省が最後の最後まで日本語の消滅に抗う方針を続けた場合よりは、日常語としての日本語が滅びるのは早まるだろう……という考えはありました。
 
 だから「計画的に滅ぼすべき」というタイトルも全く嘘ではない……とか書くとまた荒れるのかしら。
 
 いや、すでに多くの方が指摘しているとおり、他国の植民地支配を経ても現地語が消滅しなかった事例などに鑑みると、「学校で日本語を教えない=日本語の消滅」ではないかも知れません。
 それはそれで結構なことだとは思います。あえて「日本語狩り」みたいなことをすべきだとは全く思いませんし。
 
 自分が小学校勤務なもので、つい「学校教育が言語を支えている」みたいな発想をしてしまったのですが、考えてみれば日本語は公教育が整備される以前から継承されてきたわけで。
 
 たとえ日本語教育がなくなっても、日本語は残るかも知れませんね。
 公教育が整備される以前くらいの水準で。*1
 
id:laislanopiraさん
>日本語が滅びたら困ると考えている人が、日本語のよりよい滅び方を考える
>どうせ滅びるんだろ?いい滅び方を考えてやるよでは叩かれる。恥ずかしいと思うけど、滅びるのは耐えられないと正直に叫ぶべき

 死ぬな日本語ーッ! 俺たちずっと一緒だって誓ったじゃないかッ……!
 
 ……いや、叩かれないことを目的に記事の趣旨を曲げるのは、誰の得にもならない気が……。
 結論が間違ってて叩かれるならそれはそれで勉強になりますし。
 
id:mrknさん
はてブにも書いたけど、この記事のような「日本語不要論」は厨二病の一種だと思っています。いつの時代でも繰り返し提唱されているようですからね。
>この私も、今よりも英語が苦手だった若い頃は同じこと考えていたし、言っていました。
>あとから「何も国語を変更する必要はない」ってことに気付くと思います。

 
 「そんなふうに考えていた時期が俺にもありましたAA略)」
 ってことですね。
 
 えーと、私自身は、日頃「大人になればわかる」式のことを子どもに言わないよう心がけています……。
 俺ルールに従うことを他人に求めるのは愚かだとはいえ、言葉で説明しうる範囲で説明していただけないでしょうか?
 
>その理由は、上のほうでコメントとして書かれていますね。
 
 ……いや、すでに20人以上コメントしてる状況でそんなこと言われても……。
 せめてどの方のコメントを指しているのか書いていただけないでしょうか?
 
 ともあれ、私自身は、かつて小渕恵三首相が英語公用語化論をぶった時、
 
「何馬鹿なこと言ってんだ」
「そもそも日本には“公用語”を規定する法律とかないしw」
「日本語には、日本語でしか表せない微妙なニュアンスがあって……」
 
 とかさんざん罵った口です。
 
 で、それが時間が経ったらこんな記事を書いてるわけで……。
 
>むしろ、「国語を保持しておく」ことの重要性のほうが大きいです。
 
 そんなふうに考えていた時期が俺にも(ry)
 
id:atsushi-okawaさん
 
 トラックバックありがとうございました。
 
>例によって、こういう意見を書くところには必死な国士様(笑)が湧いているところなんかも、様式美の世界というべきでしょうか。
 
 いや……「美しい日本語を守るべき」と主張する人を片端から国士様認定していると、世の中は愛国国士であふれかえってしまうと思います。
 記事の趣旨にご賛同いただけたのはうれしいのですが。
 
>shiopyさん
マスゴミに煽られすぎではないでしょうか。

 
 日本語を擁護する文章で「マスゴミ」とかいう乱れた語を使うのはいかがなものかと。(国士風)
 
>読んでて、英語コンプレックスなのかなと感じます。
>まず、「英語を話せなくてはいけない」と言う先入観は捨て去るべきでしょう。

 
 精神分析医発見。
 
 「日本語を捨てて“共通英語”に合流すべき、というあなたの不合理な信念は、抑圧された母体回帰願望の影響であり、あなたは世界共通語に母親の姿を見ているのです」
 とか言われたらどうしよう。
 
>ご自分の努力不足を棚にあげ、英語が苦手なのを単に教育のせいにしてはならないと思います。
 
 よくわからないけどどのあたりがそう読まれたんでしょう。
 NOVAが潰れたのは私の努力不足のせいだったのかなあ。
 
id:AntiSepticさん
 
 トラックバックありがとうございました。
 
>何たる植民地根性。てめえは日本人失格だ。すぐさまこの国を出て行け大馬鹿野郎!!
 
 おめでとうございます、今回の愛国国士様大賞をお贈りします。
 
>どこの国の工作員だテメーわ、売国奴が!! ...などと言うと2ちゃんねら臭過ぎるので言い換えよう。
 
 国士様は2ちゃん語にも堪能でいらっしゃいます。
 
>「公用語を英語に移行するのはアリ」という主張と「日本語は滅ぼすべき」という結論も全く結びつかない。
 
 うん、別にそれは結論じゃないんですが。
 
 国士様日本語の長文は読み慣れていらっしゃらない藁人形叩きも上手でいらっしゃいます。銃剣刺突訓練の賜物でしょうか。
 
>要するに、バカが迂闊にも自分のバカさ加減を省みずにバカを垂れ流しているということに他ならない。

 国士様ブーメランの扱いにも習熟して謙虚でいらっしゃいます。
 
>Lettusonlyさん
>計画的に滅ぼす…数年計画で使える日本語制限するとかかしらん(笑)

 
 「タイトルしか見てません」宣言ですね。
 それはそれで潔いと思います。読んだ振りするよりアリじゃないでしょうか。
 
>まず、率先してブログで日本語使うの止めたら?ってレベルだよなぁ
 
 「じゃあ英語で書けよ」ってご意見は多数頂きました。
 まあできないんですけど。
 
 でも、「日本の言語の未来はこうあるべきだよ!」って文章を「英語で書いた方がいい」って言われる理由がよくわからないんですが。
 
 それを英語で書いて多数の日本人に伝わるような状況なら、そもそも記事を書く意味がないのでは。
 
>a さん
>短絡的でお子様な記事だなぁ。
>これも日本や世界が平和だからなんだけど。

 
 ええ、実に平和ですね。
 
 ……不快感を表明するだけで、具体的な主張がない、というのは、お子様がぐずってるのと変わらないですよ……。
 
>これで教師とは泣きたくなります。。。
 
 よしよし、泣かないでね。
 
 っていうか、「。(句点)」を「…(三点リーダ)」の代わりに使うのは日本語表記としていかがなものかと思います。
 
 ……まあ、三点リーダが日本語に入ってきたのなんて最近だし、もっと言えば句読点だって比較的最近ですけど。
 
>なまえさん 2009/02/16 08:35
>私が親ならこんな教師に子供を任せたくない。
>ただそれだけ

 
 はいはいよしよし。
 親になってから心配してくださいね。
 
>ぶっちゃけさん
>教師というか、教育者というか、そういうものに向いてないんでない?

 
 はいはいよしよ……いや、まあ、適性が充分あるとも言えませんけど。
 不適格教員の排除も結構だけど、適格な人をきちんと採用できてない採用制度こそなんとかすべき……というのはまあ本題と逸れますね。
 
dankogaiさん
>Ignorance is bliss.

 
 はいはいよしよ……って、あのdankogaiさんですか!
 
 わー、アルファブロガーに言及されちゃったー、光栄だなー(棒読み)。
 
 ……いや、光栄は光栄なんですけどね。
 
 でもどうせなら、一分の隙もない圧倒的な論理で打ちのめされたかった、というか……。
  
>日本語滅ぼして一番困るのは、日本語しか話せない君たちなんじゃないの?
 
 そうですね。自分でも2〜3回「困るんですけど」と書いてます。
「棒読み」とか、英語でなんと表現したらいいかわかりませんし。
(困ると言えば、不適格教員を的確に排除するシステムは整備されるべきだと思うけど、それでまず困るのは私かも知んない)
 
>アルファベットが簡単だから英語が簡単ですって?じゃあ以下のアルファベットを発音してみて。太字になってるところね。
 
 これは私へのお言葉ではないようなんですが(っていうか全体にgettoblasterさんへの批判が主で私はおまけである模様)、英語の綴りと発音が歴史的経緯によって捻れているのはまあ知っています。
 ただ、その点こそ、たぶん今後英語圏外の英語話者によって修正される点なのではないかなー、と。
 
 「滅ぼすべき」で触れたエッセイの中で、アシモフは述べています。

 英語は、いまのような綴りであるかぎり、中国語の文字と大差ない。
 一つの語を構成する文字を見ただけでどう発音するかが確実にわかるものは、誰もいないのである。
 次の語を、諸君は何と発音するか?
 rough、through、though、cough、hi-ccugh、lough、
 これらの語をruff,throo,thoh,cawf,hiccup,lokhと綴ったとしたら、たぶん妙な感じがするだろう。
 だが、われわれはすでにhicuppという綴り方をしており、奇妙な感じはしないのである。
われわれは、colour,color;centre,center;shew,show;grey,grayという2とおりずつの綴り方をしている。このことはイギリス人には奇妙な感じがするのだが、われわれは慣れっこになってしまっている。

 
 いずれは馬鈴薯のことを「poteto」と綴る時代が来るかも知れませんし、日本式の発音が充分に広まれば、ひょっとしたら模擬実験のことを「shumilation」と綴ることさえあるかも知れません……それってさほどうれしくない気もしますが。
 
>じゃあなんでフィリピーノたちは出稼ぎに出なければならないだろう。
 
 英語を話しているにもかかわらずフィリピン・イギリス・シンガポールは……とかおっしゃる方も多いのですが。
 それに対しては、
「いやー、あの国は英語を話してなければもっとひどい状況なんだよ」
 と返答することもまあできます。
 
 まあ、それって
信者「教祖様の祈祷を受けていたのに怪我をしたのはなぜですか?」
教祖「祈祷を受けていたからその程度で済んだのだ」

 みたいな頭の悪い理屈ではありますが。
 
 でも、フィリピンであれイギリスであれシンガポールであれ、仮に今「バベルの塔」みたいな“神の奇跡”のせいで突如全国民が英語を話せなくなって、代わりにアーヴ語なりクリンゴン語なりの架空言語が使えるようになったとしたら。*2
 
 ……日常生活は可能だとしても、やっぱり、
「英語で会話できなくなった」
 という点が障害になって、アーヴ語フィリピンやクリンゴン語イギリスは今より没落しそうな気がするのですがどうでしょう。
 
 まあ、全然定量的な議論じゃありませんけど。
 
>There are a billion Indians out there. What difference do we make?
 
 すでに何人かの方から同じ趣旨のことを言われました。(と思う。英語を誤読してるかも)
 
 でも、正直申し上げてよくわからないのが、その「言葉の壁を守った方が日本は豊かでいられる」という理屈で。
 なんか「欧州大陸、孤立す(ヒトラー英仏海峡封鎖を報じたイギリスの新聞見出し)」を思い出します。「外国、孤立す」でしょうか。
 
 確かに、例えば就職面接の場などで、自分と同じ言語を話し、しかもより安い賃金で満足するインド人が一緒にいたら脅威を感じます。
 日本を英語体制にすれば、そういう状況が圧倒的に増えることになるでしょう。
 
 でも、言語の壁で外界を隔離している、というのは、実は日本が世界から隔離されてるとも言えるわけで。
 
 世界は日本抜きでもやっていけるかも知れませんが、日本は世界抜きでやっていけない国でしょうから。
 それを考えれば、英語を話せることは個人にとって有利だし、その傾向が今後増せば、国内も徐々に英語優位へと切り替わっていくのではないかと。
 
 言語の壁によってよそ者を排除して身内で富を独占した方がよい、というのは、よほど豊かな鉱産資源でもないと成り立たない理屈なんじゃないでしょうか。
 
受験産業関係者さん
>情報の非対称性という概念があるそうで、簡単に説明すると、相手側の情報が容易に手に入り、こちらの情報は手に入れにくい状況が政治経済活動にとって最良の状況であると。

 
 要するに、自分の手札を秘密にして相手の手札をのぞければ、ゲームは連戦連勝だ、と。
 
 それはそうですが、おっしゃるような政治情勢だったら、日本語モノリンガルな「非知的エリート」の存在意義ってなんなんでしょう?消費者兼単純労働者?
 
 いや、経済は全く門外漢なので、なんか見落としてるのかと思うんですが。
 
>日本語は残すべきさん
>日本語が失われても日本人は困らない(むしろ利益がある)が、人類全体にとっては損失となる、というのが私の意見です。
>それは、人類が「思考の多様性」を失うことになるからです。

 
 ご意見にはおおむね賛同します。
 
 言語の多様性が思考の多様性を担保する、というのは、実はまだ仮説の域を脱していないように思いますが*3、私はそんなこともあるかも、と思っています。感覚的に。
 
 英語で思考していると抜け落ちてしまう視点、いわば言語の「盲点」とでも言うべき物があるのではないかなー、と。
 もちろん、日本語には日本語の盲点があるでしょうから、複数の言語が互いに補い合うことが最善なのであろう、と、私は考えます。
 
 しかしそれはそれとして、言語の多様性が失われつつあるのが実状であるとすれば、日本語の持つ特性を英語に残すよう努力した方が良いのでは、というのが本稿の趣旨でした。
 
>ぽんぽんさん
>言語を統一しても数十年から数百年すればまた独自の言語に派生する。

 
 おっしゃることは大体わかるのですが、意図的に統一しよう、という話では(ほぼ)ないので。
 
>理由は簡単で地域独特の概念や風土を表現するためには独自に言葉を変化させていく必要があり、言葉はそうやって変化してきたし、これからも変化していく。
 
 言語の数が減り続け、統合が進んでいる現状で、「今後も新しい言語への派生が続くだろう」というのは理解に苦しみます。
 新しい言語を生んだのは、地域の特色もさることながら、他の地域との隔絶が大きいと思います。
 交通機関や新聞・ラジオ等の発達はマイナーな言語・方言を消滅させましたし、情報通信技術の発展はさらにそれを加速させるでしょう。
「言葉はそうやって変化してきたし、これからも変化していく」
 のでは?
 
 あえて新しい言語を考えるとすれば、むしろ職業分野や文化・経済的な集団ごとの言語が生まれることを想像した方が良いと思います。
 身近にも、すでにして「2ちゃん語」「VIP語」等々と呼ばれるスラングの集団があるわけで。
 
「女子高生と年配の大学教授で、どちらも“日本語”を話しているが複雑な意思疎通はできない」
 といった現象はまあ昔からあるわけだし。
 
 それが「言語の多様性を守る望ましい変化」かどうかは謎ですが。
 
>余計な事をさん
>韓国で、漢字教育一部復活だそうです。
http://www.recordchina.co.jp/group/g24239.html

 
 そのニュースは知っていましたし、
「思った通り」
 という感じでした。
 
 北朝鮮は、以前より「民族の文字」であるハングルしか使わずにやってきました。
 しかし、それではやはり不便だ、というので、少しずつ漢字を導入する途上にあったのです。
 
 そこへ
「韓国は漢字をやめます」
 という話を知って驚いたのですが、やっぱり、という感じです。
 
 ハングル単独使用に一定の実績があった北朝鮮でさえ持ちこたえられなかったのに、漢字が根付いている(しかも民主制の)韓国が、漢字を廃止できるわけないだろうな、と。
 
>このご時世で、この東アジアであれば、英語より漢字なのは、当たり前なんですけれど。
 
 えーと、韓国は英語にしたんではないですよね?
 自国語を、不便な方向に変化させようとして失敗したんですよね?
 
 ……しかし新華社通信のコラムはノリノリですな。
 
id:mao_mk68さん
>わたしは関西人ですが、日本の古典は関西言葉で書かれているものが結構あり

 
 おお。
 
 恩師が、
「京都人は、“京都方言なら源氏物語を現代語訳できる”とか威張るんだよな。それは現代語じゃ(以下略)」
 と(べらんめえ口調で)言ってましたが(二方向敬語について話してる時でした)、目の当たりにできるとは。 
 それはさておき、多言語というのは(特に英語+日本語というのは)教育のためのコストが高すぎる、結局どちらも物にならない可能性が高い、などの理由で困難が伴うのでは、と思ったのですが……。
(日本の共通語と方言は、会話には困難が伴うとはいえ、文法的にはごく近縁だし、単語を混ぜて使うことさえできるわけですから、両方習得するのにさしたる困難はないでしょう。しかし、日本語と英語でもそれが可能でしょうか?)
 なんか皆さんのコメント等を読んでいるとそうでもないような気がしてきました。
 
 「日本語+英語」の社会って、現実的な選択肢なんでしょうか。
 
>日本語が滅びるときを読んでいないのにあえて論ずるということはそれを理解する気がないけれどそれに関してはわたしはこういう意見を持っているよということです。
 
 ええと、件の本は話の枕に取り上げましたが、「滅ぼすべき」の主題は「今後の日本の言語戦略はどうあるべきか」についての私見であって、別に「日本語が亡びるとき」を論じる文章ではないのです。
 だって、知らない内容には反論できないですから。
 
 でもなんか「読まずに批判するとは云々」みたいなご意見がやっぱり少なからずあるようなので、内容的に結構かぶっていたんでしょうか。
 「そういう話を書いた本じゃないよ!」という意見も想定していたんですがないようなので……。
 
石清水八幡宮とディズニーランドを入れ替えたたとえ話のオチが同じだからそういうことでござるとは、「何を学んできたんでしょう、学校で、この人は。」と思いましたよ。
 
 え、「そういうことでござる」的なことをどこかに書きましたか私。
徒然草を下地にしたフィクション」って書いてあると思うんですが……。
 
 あれは、
「普通の日本人は、古文を読むことはできてもその本来の意味(あの例では「笑いどころ」)を理解することはすでにできていない」
 ということを例証するためのものです。
 「笑いどころ」がなるべく似通った印象を与えるよう努力しましたが、完全に等価なニュアンスを持った現代語訳だとは考えていない……というか、それが不可能である、というのが私の意見です。
 
 「AはBみたいなものだ」という表現が、A・Bのニュアンスが完全に等価な場合にしか許されないなら、比喩表現というのはおよそ不可能になりますが、それで良いのでしょうか。
 「石清水八幡宮詣では江戸時代のお伊勢参りみたいなもの」という表現は、その基準に照らして正当なのでしょうか。
 京都の仁和寺の法師が同じく京都の石清水に行く話と、お伊勢参りみたいなお上りさんだらけのものとでは、やはり違いますよね?
 
>じゃあディズニーは宗教ですかな。
 
 アメリカには信者が多いみたいです。
 
>あそこでなんらかの儀式でもしてるんですかね?
 
 成人式とかですか?
 
 ……というのはまあ冗談として。
 
石清水八幡宮詣でがレジャーだったのはほかのレジャーがそれほど無かった時代だからで、江戸時代のお伊勢参りみたいなものです。
 
 その通りです。
 
 その「娯楽の少ない時代」の感覚というもの自体、私たちには想像するしかないんじゃないでしょうか?
 
 ……というか、そこにひっかかるならなんで「徒歩より詣でけり」と「男一人である」の違いをスルーされるのかと……。
 
id:aliliputさん
>失礼ですがそうは読み取れませんでした。こちらの例ですと「2羽じゃあ、日本産のトキが絶滅するのは避けられないから、計画的に安楽死させてあげ、代わりにその2羽から採取したDNAを他の鳥に組み込んでトキに代わる生き物を作りそっちを繁殖させるべき」みたいな趣旨にとれました。
>おそらく「計画的に」「(学校)教育で」という点が趣旨を歪めているかと思われます。

 
 適切な比喩かと思います。
 
 ただ、言語と生物が違うのは、生物は他の種とDNAが勝手に混じり合ったりはしないが、言語ではそれが常に起き続けていることでしょうか。だから「採取したDNAを他の鳥に組み込」むことも、さほど特殊な処理ではないのです。
 そして、生物が絶滅するとしたらそれで終わりだが(だから、可能な限りの延命を図る以外の選択肢はない)、日本語が滅びるとしたら私たちはその後は別な言語を話さねばならないわけで、「その後」を考えてスムーズな移行を考える必要もある、という点でしょうか。

id:adatomさん
>なんというか、矛盾しすぎだ。仮に日本国内の言語が英語に自然移行するなら、その過程で日本語が英語に輸出できるものは自然輸出されるんじゃないのか。英語化しても日本から日本文化は消えないんでしょ?

 
id:trivialさん
>「言語の変容というのは不可避的なものであって、少数の「知識人」が何か主張したところでどうにかできるものではない」なら、計画的に英語に移行するなどと余計なことを考えずに放っておけばいいではないか。

 
 えーと最悪の事態としては、
「日本以外の地域が順次英語に移行。日本人は日本語の独自性を守る国語教育を固持」
 ↓
「“共通語”が徐々に成立。アメリカ英語を基礎としつつも、世界各地の言語の特性を取り込んでいく。が、そこに日本語由来の表現はあまり含まれない(日本人の英語話者が相対的に少ないままだから)」
 ↓
「日本も“共通語”を使い始める。しかし、一旦成立した共通語の中に取り込まれて定着する日本的表現は多くはなく、大部分の“日本的表現”は日本語と共に失われる」

 
 といったようなことを想定していました。
 
 最後の過程には相当の困難や文化的喪失が伴うであろうから、それを避けるために、英語体制に軟着陸できるような(それも、できれば英語のほうを日本人にとって軟らかいものにできるような)努力が必要だ、といった話でした。
 
>glorious_daysさん
>国語廃止論。極論を持ちかけて、ユーザーに問題提起を投げかけることを目的としているんだろうけど、面白い。

 
 ……ご、ご賛同いただけたのはありがたいのですが……。
 「国語廃止」とか「問題提起を投げかける」とか……その、日本語が……。
 
id:y_arimさん
 
>発音と表記に異常なねじれのある英語なんぞより、ほぼ発音どおりにつづるイタリア語のほうがよっぽど学びやすいし英語より文字数も少ないので、ぜひともイタリア語を公用語にすべきですね! ってバカバカしい。

 
 英語と近縁で日本語よりマイナーな言語に乗り換える必然性はないですね、確かに。
 
 発音と表記のねじれについてはさっき書いたわけですが。
 
>大多数の英語を使っている国は日本よりもGDP・GNPともに低い事実は無視か。あと「あれだけの漢字覚え」させられている中国の近年の著しい経済発展はどう説明するおつもりか?
 
 大多数の漢字を使ってる国は日本よりもGDP・GNPともに低いし、英語を使ってない国々の大多数もそうだろうと思うので、「日本より貧しい」とか「中国ほど急速な経済発展を遂げていない」とかいう規準を持ち出すのは厳しすぎると思います。
 
>正直、あなたもリンク先の彼も、ご自分の漢字嫌い(もしかすると国語嫌い?)を日本語廃止論に投影しているようにしか思えないのですよ。
 
 精神分析医発見その2。
 
「伝統的日本語を廃止したいというあなたの不合理な欲求は、抑圧されたエディプス・コンプレックスによる家父長的権威への反抗の表れであり、あなたは日本語に父親を投影しているのです」
 
 さっきは英語コンプレックスで今度は漢字嫌い。
 セカンドオピニオンを求めたら診断が違うんですがどうしましょう先生。
 
 ……と、ブクマコメントどころかよそのブログのコメントまで記事で拾うでござるの巻。
http://d.hatena.ne.jp/gettoblaster/20090214/1234641275
 
 ……「ローカルな言語なんか教えるのやめるべきだよ」でインドを例に出すのは失敗だろうなあ。
 
id:islecapeさん
>横あいから口を出しますが「第一言語:英語、第二言語:日本語」と、「第一言語:日本語、第二言語:英語」はかなり違うと思います。

 
 もちろんそれはそうだと思います。
 
 ただ、bizarre_sproutさんのご意見が「知的中間層以上は第二言語で異なる概念世界を知るべき」ということだったので、複数の概念世界に触れるためだけならどっちが第二言語でもいいのでは? と言いたかったのです。
 
エスペラントは欧州言語話者には容易でも日本人には英語習得と変わりないですね。
 
 あー、そんなもんなんでしょうか。
 アルファベットを使ってるとか文法的基礎も欧州言語だとか聞きますが、それにしても英語よりは簡単なのかとばかり。
 
id:TakahashiMasakiさん
> ("一方、軍事的・経済的な侵略が影響して失われた言語も多く、言語が失われていく事への悲しみ、憤りは、当然のものだと思います"(<-どの口でゆうか

 
 えーと、この口で。
 
 ……誰ぞの
「かつて、日本が日本語教育を推進した朝鮮・台湾では、今や日本語を喋れる人は高齢者のみですし云々」
 発言への対応で、大体私のスタンスを判断していただければ。
 
id:SleepyEnsign
>>言ってみるテスト
>に関しては、2ch以前の90年代パソコン通信やネットニュースな頃から多用していた気がします。はい。

 
 ご教示ありがとうございます。
 
 ……なーんだ。(私の中で2ちゃんねるの評価が下がりました)
 
id:KAKERUさん
 
 エスペラントについては「補足とか」で触れましたが。
 現在のエスペラントは、すでに当初発案された厳密な形とは違い、文法などに変化が生まれているのだとか。
 言語は不可避的に変化する、というのを立証する話で、興味深いと思います。

 なお、手話は、日本語などと異なる体系を持った一つの言語だそうで。
 
 というか、手話というのは単一の体系ではなくて、日本語を指文字に直すだけ、というものから、日本手話、国際手話と呼ばれるものまであるのだとか。
 ……で、「国際手話」があるにも関わらず、一番影響力が強いのは「ASL(アメリカ手話)」なんだそうです……。
 
>なまえさん 2009/02/15 22:06
公用語の代替と言語の変容とは全く別の話。

 
 その意見がここまでなかったのは不思議です。
 
 ただまあ、言語の違いというのは厳密なものではなく、(fivefogs先生がすでに指摘しているとおり)日本語に英語的な表現が混入したり、その逆が起きたり、ということはあります。
 もちろん、発音が微妙に代わったりするのに比べれば困難な変化ですが、二つの言語が入り交じるといったこともないわけではありません。
 
 そういう意味では、公用語の交替と言語の変容を同じ視点で見ることもできると思います。
 
>眼鏡屋さん
>テクノロジーハッピーのアシモフにしてはメートル法万歳!英語万歳!のあのコラムには違和感を感じましたね。
>僕は遠くない未来には汎用翻訳機ができてるから何語使ってようが問題ないんじゃね?と思ってるんですがどうでしょう

 
 おお、やっとアシモフに言及する方が。
 
 私自身は、あのコラム(邦題「忘れちまえ!」。「時間と宇宙について」(早川書房)所収。)はとてもアシモフらしいと思いましたが……。
 
 アシモフは、
「科学の進歩は人間を幸せにするだろう」
 とは述べますが、
「人間の抱える問題は全て科学が解決するだろう」
 ……という立場ではないですから(人口問題への危惧とか典型)。
 
 また、同じく科学エッセイ「機械と話す」(「真空の海に帆を上げて」所収)では、音声認識技術がいかに困難なものかを説明し、

 コンピューター工学者が愛想をつかして、もはや機械を英語にまでかぎりなく近づける努力をするのは意味がない、と宣言するときが来るのではないかと思う。
 人々は妥協をして、機械に歩み寄らざるをえないだろう。会話をすることができ、われわれの言うことを間違いなく聞いて返事をする機械という便宜を得るためには、英語の一部を犠牲にする必要があるかもしれない。もしtoを残しておきたいなら、twoの代わりにtwiceと、そしてtooの代わりにalsoと言わなければならないだろう。

 ……と、述べています。
 
 汎用翻訳機というのはスペースオペラには良く出てきますが、実現するかどうかは私には疑問ですし、アシモフもそうだったろうと思います。
 そもそも訳しようのない語彙もいっぱいあるわけですし。
 
 ところで、アシモフは続けてこう言っています。

 それどころか、ロボット語と呼ばれる新しい言語を開発せねばならないかもしれない。それはベーシック・イングリッシュの一形態で、ほかの言語を話す人点もそれを学びたいと思うように、語彙を充分に簡略化し、文法を整理し、発音を容易にしたものである。そうなれば、ついに国際語ができることになるだろう。
 だが、急いだ方がいい。さもなければ、ロボット語はベーシック・ジャパニーズの一形態になるだろう。

 そうか、「鉄腕アトム」方面から攻めれば、日本語を世界共通語にすることもできる……んでしょうか……?
 
 それはそれとして。
 
 dankogai氏の記事、批判記事そのものじゃなくて、そこからリンクされてた記事の方が「滅ぼすべき」への反論になっている気配。
http://blog.livedoor.jp/dankogai/archives/51137475.html
 興味深かったです。
 
フィンランド語は、ゲルマン語族どころかインド・ヨーロッパ語族ですらない。母国語の英語からの距離は相当なものだ。しかし彼らの実に多くが英語を話す。英語を学ぶのがずっと楽なはずのドイツ人よりも、彼らのバイリンガル率は高いように感じられる。
 
 読んだ限りでは、
「日本は英語・日本語の総バイリンガル社会を目指すべき」
というご意見の様子です。
 
 しかも、
 
>私の言葉づかいはどちらにおいてもたどたどしい。Native Speakersの平均を1とすると、自分のそれはどちらも0.6ぐらいだろうか。
 
 ということなので、
「両方の言語どころか、どちらの言語も万全でなくて仕方ない(万全ならなおいいけど)」
 みたいな感じ。
 
 ……それは……一つの見識かとは思いますが……。
 
 少なくとも私はそんな可能性は全然考えませんでした。
「日本語を万全にした上に英語を教育するのはコスト的に不可能だ」
 と考えていただけなので。
(コスト、という時、dankogai氏は教育予算を投じれば可能、という話を主にされていますが、私は授業時間の方が問題だと思っています。学校教育についてつい考えがちなので)
 
 ……でも、それだと、
 
>私にとってもバイリンガルであるということは大変に重いコスト負担であり、そのコスト故に流暢さという、社会においてはかなりの価値を有するカードを手放して得た代物である。
 
>私はカタコトの現代日本語を話すが、日本語の伝統という教養を欠いている。

 
 というコスト負担を、ほとんど日本人全員に負わせることになりますよね?
 
 ……それだと、たとえ日本語は守られても、「徒然草」も「三四郎」も「ベオウルフ」も「ロミオとジュリエット」も、きっちり読める人はいなくなってしまうのではなかろうかなあ。
 
>白洲茂さん
id:sukasiさん
>眠り猫さん
id:guldeenさん
 
 その他(上ですでに名前が出た方を含む)大勢の皆さん

 
 コメントありがとうございます。
 コメントの内容、恥ずかしながら大変勉強になっております。
 
>霞先生
>昨日のエントリ、携帯で読めないと思ったら、コメントが50もついたんですね。

 
 ……というコメントを頂いた後でもコメントが増え続け、今は80を越えております。
 
>何はともあれ、お疲れ様でした。
 
 ありがとうございます。
 
 ……終わった……んでしょうか……?

*1:その時代に比べたら技術も進歩してるので状況は全然違いますが、技術の進歩が「教育されなくなった言語」にとって有利に働くのか不利に働くのかは見当がつきません。

*2:なにしろ奇跡なので、既存の文書その他も翻訳されたものと置き換えられ、足りない語彙や文法など(架空言語ですから)も、既存の言語と遜色ない水準まで創造されるので、日常生活にはなんら支障をきたさない、とします。

*3:言語が一緒なら思考が均一ってものでもないし。
サピア・ウォーフ仮説はロマンですけどね。