前島密は生きていた。(2年前まで)

「子ども貯金」って、ご存じでしょうか。
鱶沢小学校が卯崎小学校と統合された2年前まで、鱶沢ではそれを実施していました。
 
1:毎月、子どもたちが専用の集金袋で1000円持ってくる。

2:毎月決まった日に、地元の郵便局の人が取りに来る。

3:これを6年間続ける。

 
というシステム。
 
……通帳は……、確か、郵便局が管理していた、ような気が……。
学校の事務官だったかな?
 
これが、なんで存在するのか割と謎で。
 
一応、
「貯蓄の大切さを子どもたちに理解させる」
という名目はあるんですが、あんまり身になっていないような気はしました。
 
それに、どうしても集金日に出すのを忘れる人もいます。
そうすると、担任が郵便局まで持って行くとか局の人に取りに来てもらうとか負担もあり。
あと、転校する時はどうするんだ、とか。
 
そもそも、学校にとって必要なお金でもないのに学校が窓口になって集める、というのは、事務的な負担もさることながら、お金に関するトラブルを抱えるリスクもあるわけで。
 
そんなこんなで、統合に伴って廃止されてしまったわけですが、
「そもそもなんでそんな制度が?」
というのがずっと疑問でした。
 
さて。
 
先日、はてな人力検索で発見した質問。
http://q.hatena.ne.jp/1191040343
「なんで郵便局が貯金を扱うようになったの?」
という質問。
 
newmemo氏の回答で引用されていた文章を読んではっとしました。

(略)先進資本主義から著しく遅れて近代化を開始したわが国では,急激な資本主義化を課題としなければならなかったが,民間資本の形成は大きく立ち遅れており,それをカバーするためには,国家的企業や金融機関が主導的な役割を果たさねばならなかった。
郵便貯金事業も,零細預金を安全に保管・運用するというだけでなく,そうした機関の一つとして,全国に分散し,1株にも満たない零細な資金をかき集めて,資本主義的生産に投入してゆかなければならなかったのである。
 設立者の前島もこの点はよく認識していて,創設時にこそ,貯蓄思想の涵養という点を強調していたものの1880年頃ともなると,
「国家経済の要具」
としての郵便貯金の意義を,次のごとく力説している。
すなわち,彼によれば,
通貨は全国に分散し細分されて中等以下の人民の手に落ちたままになっていて,通貨本来の活動力を失っている,商業や工業が振わないのは,活動力を失った通貨が夥しい数にのぼるからである,
「之を集合して工業貿易の資に供し其活動力を鋭敏ならしむるもの則ち貯金預所を開設するの一途あるのみ」

,というのである。(略)
(回答ではなく原URLより引用。強調引用者。改行、註の削除など一部改変)

http://d-arch.ide.go.jp/je_archive/society/wp_unu_jpn55.html

これだ! ……と思いました。
 
いつからあるのか誰も知らなかった子ども貯金ですが(みんな「自分が子どもの時にもあった」って言う)、おそらくその起源は旧鱶沢小学校創設期(明治時代)にまで遡るのだろうと思います。
 
表向きは
「貯蓄思想の涵養」
を名目に、毎月子どもたちを通して一定額の預金を集めていた子ども貯金ですが。
 
しかし、その本当の目的は、
鱶沢という僻地に住む「中等以下の人民」が持っている資金をかき集め、金融システムの中に循環させることにあったわけです。
児童数×1000円って、けっこうバカにならない金額ですよ。
昔はもっと児童数も多かったわけだし。*1
 
そうして集めた資金を投資することによって経済・産業を活性化し、殖産興業・富国強兵を推し進め、明治日本をして列強に伍し得るようにさせるのが、子ども貯金、ひいては郵便貯金事業の目的であった、と。
 
子ども貯金。
いわば歴史の化石だったわけですね……。
 
その子ども貯金制度、私は子どもの頃経験したことはありませんでした。
鱶沢地区でも2年前にようやく廃止されたわけですが、今でも実施している地区もきっとあると思います。
 
郵政民営化を迎え、郵便貯金が「国家経済の要具」として設立された時とは環境も大きく変わったわけですが。
金融教育とか余計なことを主張する人も多い昨今。
子ども貯金が今後どうなっていくのか、ちょっと気になっているところです。
 
貯金する時に、複数の金融商品から選べるようになるとか、あるのかしら。
 
追記:
http://blog.goo.ne.jp/morninghays/e/34107e2a741a02ce7eada840ba2d7093
「真実はどこ?」ブログ様よりリンクを頂いたみたいです。
 
「うちでは子ども貯金は農協がやっていた」
とのこと。
 
おやおや。
前島密じゃなかったのか?
 
ただ、下のリンク先(小学校の沿革)には、
「郵政省貯金局長より、子ども貯金表彰を受ける」
という記述があるので、国策として推進されている(いた?)のも事実のようです。
http://www.kitakata-kumakura-e.fks.ed.jp/ennkatu.htm
 
逓信省のみならず、
「中等以下の人民の貯蓄推進」
という政府の方針が、子ども貯金制度を始める基礎となったのかも知れません。
 
音頭を取ったのが逓信省なのか大蔵省なのか文部省なのか農林水産省なのかはわかりませんが……。
(そして、小学校から外部の金融機関に協力を求めて始まったのか、逆に金融機関が小学校に協力を求めたのかもわからない)
 
こちらのリンク先は、現在も子ども貯金が活動中みたいです。
預金先は農協。
http://blogs.dion.ne.jp/kakurega/archives/2901983.html
なんか、「醜悪なシステム」「これこそひどい癒着」とか言われてるよ……。
 
癒着って……。
学校になんのメリットもない制度なんですけど……。
そんな目でばかり見ないで欲しいなあ……。
 
「こういうことが公務員にはわからない感覚のようです」
それはどうもすみません。

*1:明治期には1000円じゃなかっただろうことは言うまでもないですが。