「あ、Kどんだ。……先生」「……」

昨日の続き、かも。
昨日(http://d.hatena.ne.jp/filinion/20060419/1145458001
 
さて、先日、県内の大規模校で勤務する、大義教諭と話をする機会がありました。
 
私より年下だし、採用されたのも後ですが、指導のあり方なんかは私よりずっと真面目に考えている、立派な先生です。*1
 
で、
「あだ名で呼ばれたりする?」
と聞いたところが、
「子どもらには、『どんなあだ名で呼んでも構わないけど、最後に必ず“先生”を付けて呼べよ』って言ってます」
との答え。
 
なるほど。
 
それでいいのか、指導としての意義があるのか、とか問われると難しいですが、今の私自身の力量を考えると、そのくらいがバランスが取れているかも。
 
そこで、新年度、さっそく学級でそのように子どもたちに指導。
 
で、その数分後には、廊下で出会った新5年生(男子)が、
 
「やあ、Kどん!」
 
担任はおろか授業を担当したことすらない子どもからあだ名で呼ばれるというこの事実。
保護者がどうとか、実は無関係。
 
「待て。今年は、必ず『先生』を最後に付けるのだ。3年生はそういう決まりにしたから」
「ええ? じゃあ『Kどん先生』?」
「……できれば『K村先生』と呼べよ」
「ええ? でもでも、プライベートでは『Kどん』でいいんでしょ?」
「どんなプライベートか」

*1:ていうか、私より真面目じゃない人がおかしいのではないか。