本を読んでもすぐ内容を忘れるので、備忘のために書くことにします。
ソマリア、というと内戦のイメージが強いですが、実は内戦に明け暮れる南部ソマリアに対して、北部には「ソマリランド」を名乗る「国家」が存在しているといいます。ソマリランドでは、国内である程度の平和*1が保たれ、独自の通貨を持ち、選挙で大統領が選ばれ、政権交代も平和裏に行われる*2というのです。
そんなソマリランドと、その周辺地域への取材の記録がこの本です。
なかなか興味深い内容でした。
なんと言っても面白かったのは、ソマリランドが内戦を終結させ、民主政を維持している仕組みについてでした。
ソマリア、特に北部地域では氏族の繋がりが強く、トラブルが起きるのも氏族同士なら、それを調停するのも氏族同士なのだそうです。
例えば、事故で誰かを殺してしまった場合、慣習法によって、被害者遺族に賠償(ラクダ100頭、と定められているが、現在では現金で行われる由)が行われます。
これは個人で支払うのではなく、加害者側の氏族全員でお金を出し合うのだとか。
殺人に対しては、かつては「目には目を」式に、命で支払うことになっており、現在でも、遺族側が「賠償金などいらない、加害者に報復を」と望んだ場合、関係者立ち会いの下で加害者が処刑されることもあるとか。
そして、事故だったのか殺人だったのかで当事者間の意見が折り合わなかった場合にどうなるかというと……裁判所に持ち込まれるのです。
つまり、公的機関が頼られるのが最後で、大部分のトラブルは氏族間の自治で社会が運営されてしまうのですね。
ちょっと、「月は無慈悲な夜の女王」の陪審員裁判を連想します。
一方、議会は二院制。
憲法の規定で、衆議院選挙に参加できる政党は3つのみ。
国政政党になるためには、全ての選挙区で20%以上の支持を得なければなりません。
これは、特定の氏族だけの利益を代表した政党が力を持たないように、という工夫なのだそうです(氏族には地域ごとに偏りがあるので)。
一方で、長老院は氏族の長老(終身議員)で構成されており、その比率は氏族の人口比に比例しています。
この二院が力を持つことで、氏族間の利害を調整しつつ、ソマリランド全体の方針を定めることができるのですね。
本の後半で、日本の二院制について説明を受けたソマリランド人が
「その仕組みにはあまり意味がないんじゃないか? 結局は二院とも政治家で構成されているわけだし、参議院が空気になってしまうのでは」
と指摘する場面があり、ぐうの音も。
そんなソマリランドが長老同士の協議で内戦を収めることができたのは、北部はイギリス植民地時代に間接統治で、伝統的な氏族の規範が残っていたため。
「各氏族の武装勢力が長老の言うことを聞いて武器を手放したのは、手放した武器が今度は政府内の氏族勢力に渡って、政府内での勢力が強くなるから」
という話も面白かったです。
軍閥と政府が対立しているわけではなくて、どちらも「氏族」という繋がりがあって、氏族内で武器が移動しているだけ(でもその結果として平和がもたらされた)という。
一方、南の旧イタリア領では、氏族の力が弱く、おまけに内戦時に介入してきた米軍に長老達がまとめて殺されてしまったために、今では「戦いのやめ方」を知らない人々が延々殺し合っている……という話も考えさせられました。
やっぱり、
「正しい民主主義」「合理的な社会制度」
みたいなものを外部から押しつけようとしてもうまくいくものではないんですね……。
現地には現地の伝統的な社会制度があり、それをうまく組み入れていくことで、本当に民主主義が根付くのだと。
……戦後日本がまあまあうまく民主化できたのはなんでなんでしょうね。
戦前から一応は立憲制と議会があったから、植民地からの独立とは単純にスタートラインが違った、という話なのかな……。
あとは、南部ソマリアでは、中央政府がまともに機能しなくなった結果、通貨である「ソマリア・シリング」の価値がかえって安定し、近隣国の投資対象にまでなっている、というのもちょっと面白かったです。
通貨の信認とは。
ともあれ、異なる地域には異なる文化がある、というのは本来は当たり前の事実ですが、その具体的内容は、実際に現地の人に聞かないとわからないものなのだ、と改めて考えさせられました。
