「電力需要」を人間として扱って欲しい。

 今回の「計画停電」、“計画”の二転三転ぶりに不満を抱いた人は少なくない事と思います。
 
 本校でも、休校の今日出勤した職員は、明日からどうするか話し合っていました。*1
 
 幸いにして、施設には大きな被害はなかったのですが、問題は停電。
 特に本校の場合、電気が止まると水道も止まってしまうのです。
 
「低学年の児童に、この時間はトイレは使えません、というのは厳しいのでは。むしろ登校時刻を遅らせた方が」
「中学校は、事前にバケツなどに水を汲んでおいて、手桶で自分で流させるよう指導するそうですが…」
「それと、停電の時間帯は信号が消えるので、登下校に重なると危険が」

 
 ああでもないこうでもない、と話し合っている途中、
 
 「……あれ? そういえば今、停電になるはずの時間では?」
 
 ご存じの通り、14日の「計画停電」は、事前に告知されていたものの、実際には停電にする必要がなくなった時間帯が多く。
 
 また、当初は15:20から実施予定、とされていた地域についても、
 
「停電になる可能性が高い」
 ↓
「17:00から19:00までの時間帯の一部にかけて実施される」
 ↓
「事前に予告された地域の一部で実施

 
 ……という形になったわけです。
 
 ……で、明日からどうなるの。
 
 このような不透明な状況に不満を抱いたのは何も本校職員ばかりではないようで。
 

画停電二転三転、企業は大混乱「手打てぬ」「頭痛い」
 
 停電に向けた準備をしていたのに、実際には停電は起きず、振り回された例もある。
 東京電力の二転三転する説明のまずさが混乱に拍車をかけた。

http://www.asahi.com/special/10005/TKY201103140449.html

 
 ですよねー。
 
 一方で、「だがちょっと待って欲しい」的な意見もあります。
 
計画停電が出来るのは最高級の配電技術があるということ(「高円寺/阿佐ヶ谷ようじょう通信」ブログ様)

 刻一刻と時間を変化させるのを見て、私は心底、すごい!やった!とガッツポーズをとっていました。

なぜなら、それは、数分単位で、電力予測と配電予定をしっかりとこなしている、ということに他ならないからです。

http://blog.yo-jou.com/2011/03/post-72d2.html

 
 うん……まあ、それはわかるんです。
 
 特に、東京電力の人は、
「がんばったのになんで責められるの?」
 という気持ちだろうなあ、と思います。
 
 彼らにとってみれば、電力の安定供給は使命。
 電力需要は果たすべきノルマです。
 停電になるというのはそれを実現できない、ということですから、その影響が少なければ少ないほどいい、わけです。
 
 いやまあ、一般的に考えても停電は少ない方がいいに決まってますよね。
 
 そして、上述のブログ記事にあるとおり、電力会社の管理能力というのは素人目にもすごいものです。
 
 水道水と違って、電気は作った分だけその時に使い切らねばなりません。
 だから電力会社は、時々刻々と変動する需給のバランスを見ながら発電出力を調整する必要があります。
 
 具体的には、下図のごとく、ベース電力は主に原発で支えつつ、変動する分は火力で補う、という形になっています。
 

(電力需要の負荷平準化 − 電気事業の現状 | 電気事業連合会【でんきの情報広場】
http://www.fepc.or.jp/present/jigyou/juyou/index.html
 
 ……と、言うのは簡単ですが、数百万戸が消費している電力を常時把握し、複数の発電所の出力をそれに合わせて適切に管理する……というのは、考えるだに気が遠くなるような仕事です。
 
 そして今回、原子力・火力ともに複数が運転を停止している状況で、逼迫する電力需給をリアルタイムで監視しつつ、今後の変動を予測しながら停電する時間を最小限に抑え、その区域も細かく設定する……という極めて大変な仕事をこなしたわけです。
 
 冒頭述べたような「二転三転」は、よく考えれば停電する時間・地域がどんどん狭まっていく過程であって。
 病院とか、停電への備えが充分なのか懸念される所も多かったことを考えれば それを成し遂げた電力会社はなるほど誇っていいでしょう。
 
 でも周囲からは不満の嵐。
 
 問題は、やはり事前の説明不足にあると思います。
 
 もしこれが、
「我々は電力需給をリアルタイムで監視し、最大限の努力をしますが、発電能力が絶対的に足りない場合は停電は避けられません。
 その場合、停電は、時間帯ごとに以下の地域に割り当てます。
 しかし、皆さんの節電のおかげで需要が供給を下回れば、この時間帯に停電が起きずに済んだり、やむを得ず停電させる場合でも、時間帯や地域を狭くできます。
 ご協力をよろしくお願いします」

 
 ……という説明であれば、みんな節電に一層力が入ったことでしょうし、割り当てられた時間帯を停電なしで乗り切ることができれば
「おおお、やったー!」
 という連帯感とか達成感があったことだろうと思うのです。
 
 ……でも実際には、事前説明は
計画停電を実施します。内容は以下の通り(pdf)」
 だった上、予定が変更(縮小)される場合の説明も

「想定より需要が少なかった」
「夕方の時間帯に停電が起こる可能性が高い」

 とかだったので、停電が起こるつもりで備えていた企業や一般市民は、達成感どころか
「どっちだよ!」
東京電力に振り回された!」

 という憤りを覚えたわけで。
 
 ……まあ、何しろ一晩で立てた計画ですから、色々不備があるのは仕方ないかなー、という気もするのですが、計画が発表された後に地域別検索が可能なwebサービスを立ち上げた人とかもいるわけで、もうちょっと何とかならなかったのかと思います。
 
 おそらく、前述のごとく、彼らにとって「電力需要」とは達成すべきノルマであって、人間的な意志を持った存在と言うよりは、彼らの都合と無関係に変動する、いわば自然現象に近い存在なのでしょう。*2
 
 そのような
「我々電力会社が」「電力需要を満たし、電力を安定供給する」
 ……という認識の中では、「計画停電」とは
「失敗した場合の対応計画」
 であって、
「みんなで協力して乗り切ろう!」
 ……という前向きな「計画」ではなかったわけです。
  
 まあ、全くのところ、電気を作っているのは電力会社であり、停電を実施するのも彼らではあり、私たち一般市民が協力できることは、直接的にはほとんど何もありません。
(……これって実は、学校と保護者の関係にも時として似ています。そして、企業と消費者、政府と国民の関係にも同じ事が言えるような気がします)
 
 しかし、事前の説明がきちんとしているかどうかで、彼らの努力が「素晴らしい管理能力」として賞賛されるか「二転三転」として非難されるかが変わり、また、一般国民の節電意識にも影響するのだとしたら。
 
 「ほう・れん・そう」なんてよく言われますが、実施する計画の詳細と、その真に意図するところをきちんと説明しておくことは本当に重要なのだなあ、と、停電しないことに不満を覚える、という驚くべき体験をしつつ感じたことでした。

*1: 子どもは休校でも職員は休みにならないのです。念のため。

*2: 少なくとも短期的には。長期的には、でんこちゃんとかが「電気を大切にね」とか広報活動を行っていますが。