Kindle読み放題お勧めその2

 kindle unlimitedからマンガばっかり紹介。マンガじゃないのも読んではいるけど、あまりお勧めできるのがなかった……。
(むしろ私が勧めて欲しい)
 

「インコンニウスの城砦」。
 
 日常SF(なのか?)「ベントラーベントラー」を書いた人。あれも大好きです。
 
 本作は、建造中の大型兵器の工場に、スパイとして送り込まれた少年、カロの物語です。
 わりとのんびりした話だった「ベントラー」と違い、2つの陣営が生存を賭けた(そして絶望的な)戦争を果てしなく続ける世界は、基本的に過酷です。
 

(進行中の氷期って……勝っても負けても先が見えてやしませんか……?)
 
 しかしその中でも、信頼、同情、復讐心といった人間の感情が失われたわけではなく。
 任務の非情さと、その生活の中に挟まれる人間的な感情の描き方が印象的です。

 
 また、舞台となる惑星は、いわゆる「ファンタジー世界」の年代が進んだような世界で。
 魔法が実在し、それを応用した兵器が登場する一方で、スチームパンクっぽい科学技術も。

 「北球」と「南球」それぞれは、純粋に生存のために争う関係なのですが、魔術を重視する南側と、科学重視の北側でイデオロギー的な相違もあるっぽいことがほのめかされるなど、背景の深みがあるのもとても良いです。
 
たわら猫とまちがい人生 (1)

たわら猫とまちがい人生 (1)

「たわら猫とまちがい人生」
 
 コミカル日常系まんが。
 アパートで一人暮らしの「ことり」のところに、デブ猫「たわら」が住み着いてしまう。
 大食らいでトラブルばかり引き起こすたわらだが……といった感じの。
 
 最初の頃は、ほんとにたわらがことりの食事を食い荒らす話ばかりだったりするのですが、徐々に登場人物が増えて物語が転がり始めると、たわら猫もいいキャラになり、周囲の人々の人情話も絡めつつ、最終刊(7巻)では大団円になだれこみます。

 食事を奪われる話は最初は激しかった(エピソードの中心だった)けど、後半はほとんどなかった感。
 

 むしろイイ話になってるー!?
 
 登場人物も、てっきり一話こっきりのゲスト登場人物かと思ったら準レギュラー化したりして、一人一人が丁寧に扱われてる感じがして好印象です。
 CMOとか、まさかあんなイイキャラになるとは……。
 
 それにしても、全話カラーってすごい……。
 
ミカるんX 1巻

ミカるんX 1巻

「ミカるんX」
 
「X」の読みは「クロス」。
 
 言っちゃなんだけどすんげー頭わるいまんが。
 
 いや、作者の頭が悪いのではなく、読者の知的水準をすごく低く見積もってるという意味で。
 
 内容としては、お嬢様学校に通う、エキセントリック優等生の「ミカ」と、わりと常識人の「るんな」が、謎の原因で合体・巨大化し、地球に次々襲来する宇宙怪獣とバトルを繰り広げる、という話。

 ここでしゃべってるのがミカ。それにしてもなんだこの使いづらそうな校舎は。
 

 対怪獣の露払いになる「市営軍」。ミカとるんなを無理矢理入隊させて引っ張り出したり色々とですね。
 

 「合大!」
 

 そんでまあこんな感じですよ。
 
 アクション要素があってお色気(というかエロっぽい)要素があって思わせぶりな伏線があってエロスがあってアクションとエロスがある。
 
 基本展開は、
「怪獣を倒す→新しい怪獣が現れる→今までの攻撃が通用しない→ピンチ→今までの2人を超える超必殺技、新合体フォームで怪獣を倒す→最初に戻る」
 を延々とやる感じ。
 
 でも、ちゃんとギャグには勢いがあり燃える展開があり、張られた伏線は一応回収されて、広げるだけ広げた風呂敷をきちんと最後に畳んでるのがすごい! と思いました。
 だから作者は全然頭悪くないのですよ。
 「いやその設定絶対後付けだろ」
 って思う時も多いのですけど。
 
 ただ、コメディタッチではあるものの、巻き込まれた民間人は(直接的な描写はほとんどないものの)バタバタと死に、物語の序盤でオーストラリアが大陸ごと吹っ飛んだりするのでまあ、そのへんは念頭に。
 
東京爆発娘 2巻

東京爆発娘 2巻

「東京爆発娘」
 
 1998年といいますから……20年近くまえのマンガということになりますか。
 
 しかし、表紙に比べると中の絵はそれほど古い感じはなかった。
 
 内容としては……もっと頭が悪いかも知れないけど。
 
 女子高生、アキラが、ふとしたことから世界中のゲリラ・テロリストに命を狙われるようになり、内閣調査室から派遣されたお姉さん(学級担任として着任するというお約束の展開)や、公安調査庁のおじさん達とともに町中でテロリストと戦うお話。
 アキラ自身も護身のイロハを父親からたたき込まれていて、銃器の扱いは手慣れたもの……という。
 
 で、まあ、その銃をぶっ放したり手榴弾をばらまいたりするのが、住宅地になったり夏祭りになったり南の島のビーチになったりするわけです、毎回。

 だいたい毎回こんな感じ。
 
 敵になるのは中東のゲリラだったり、ソ連崩壊で職を失ったKGBだったり、元MI6だったりですね。
 最終巻(2巻)終盤になると、なんか不死身のサイボーグだったり下水ワニだったりと、急にリアリティが下がったりするのですけど。
 
 ただ、この作品で印象深かったのは、主人公がテロリストから命を狙われる理由です。 
 主人公の父親は、対テロ作戦のエキスパートで、いくつものテロ組織を敵に回しており、それで家族も狙われる……という。

 …………在外邦人保護のため、対テロ特命コマンドを派遣するのがマスコミに野党にも国民にも極秘であり、それが露見すれば「海外派兵」として「内閣のひとつやふたつ吹っ飛ぶ」という……。
 
 平和主義国家・日本には、このような時代があったのです。
 
 最近の、
自衛隊が海外で戦闘をしたけど、憲法上戦闘行為はできないことになってるから“武力衝突”と呼ぶよ」
 なんて状況を見ていると、いつの間に我々はここまで来てしまった(連れてこられてしまった)のか……という感があります。
 そして、我々はどこまで行って(連れて行かれて)しまうのか。
 BLOOD ALONE
 
 小説家(とはいうけど、なんか危ない仕事も引き受けていたり)の青年、クロエと、吸血鬼の少女ミサキの物語。
 
 今3巻を読んでるところですが、まあ、「ダークファンタジー」とかいうにはそこまで暗い話ではないかな、と。
 ミサキがクロエにバレンタインチョコを作ったり帰りが遅いのを心配したりのほのぼの日常生活に、他の吸血鬼が命を狙いに来たりあれこれ。
 
 ただどうも、商業連載が10巻で打ち切りになって、11巻以降は自費出版らしくてですね。
 今後が心配ではあるのですが、今のところ面白いので応援したいと思います。
 

余談:読み放題でないもの。

 
 ほんとはもう一つ……メインで紹介したいコミックがあって。
ケネディ騎士団」。

ケネディ騎士団 (1) (マンガショップシリーズ (37))

ケネディ騎士団 (1) (マンガショップシリーズ (37))

 
 他所の記事(http://wild7.jp/2875)で紹介されてるのを読んで、ずっと気になってたのが、読み放題対象になってるのを見て読んで、すっかり引き込まれた作品です。
 
 何しろ1966年連載開始とかなので、絵が古いのは見ての通りなのですが……。
 
 これが面白い。
 
 もちろん、昔の少年漫画ですから、設定としては無理があります。
 
 ケネディ大統領の遺志で作られた騎士団……秘密部隊が子どもばかりだとかあり得ないわけですよ。
 
 登場する秘密兵器も、
「いやいやそれは科学的に無理だろ」
「そんなもん作るならもっとコスト対効果のいい方法があるだろ」
 的なものが多数。
 

 どんな原理なんだ……。
 
 しかし、そういった「物語上の嘘」は多数ある上で、その道具立ての上で、登場人物達が時に勇敢に、時に知略の限りを尽くして戦う展開がとても燃えるのです。
 単に力押しでなんとかするのではなく、いかにして相手の裏をかくか、思いがけぬ危機を乗り切るか、という試行錯誤。
 そして、もはやどうにもならなくなった時の自己犠牲……。
 
 本作では、ゲストキャラとして登場した味方が死ぬ展開は珍しくありません。
 しかし、その多くは個性的に、印象的に描かれています。
 
 そしてまた、騎士団の任務が……。
 いわゆる「世界征服を企む悪の秘密結社」が敵であることもあるのですが。
 
 しかし、最初の任務は、ソ連(……らしき架空国家)が、隣国に大量の兵器を提供しようとしている! これが実施されれば地域のパワーバランスが崩れ、戦争が勃発してしまう! 兵器を輸送する列車を破壊せよ! ……という。
 いやいやいや、それって……それって政治じゃないですか!
 
 で、ゲストキャラクターとして現地の少年隊員が登場するのですが、
「この任務は祖国に対する裏切りだ」
 とか言って協力を拒否。
 
 彼の父親は、独ソ戦で命を落としており、彼は父親に屈折した思いを抱いていたのです……というあたり、終盤の展開がほんとにもう。
 
 いや、荒唐無稽なショッカーみたいな連中が敵の回もあるんですけど。
 
 あと、現代の視点から見ると、アフリカ人の描き方が差別的かも知れない。
 大体、「野蛮人」か「白人に搾取される無知・無学な大衆」として描かれているので。

 
 でも……「アフリカの星」の回はすごくいいですよ……。
 
「待って待って、これって、反政府ゲリラの育成だよね? それも日本の少年が?」
 という話でもあるのですけど。 
 
 ………………………………と、この記事を書く時は、この作品と「ミカるんX」を対比させて紹介しようと思ったのですけど……。
 
 なんか、先日確認したら、本作のKindle版が存在しなくなっているのです……。
https://www.amazon.co.jp/gp/product/B00VJZ6X6U/ref=kinw_myk_ro_title(404になってる)
 
 読み放題の対象でなくなったばかりか、データそのものがない。
 
 いや、私のライブラリにはいまだに存在しているし、さっき再ダウンロードを試みたらちゃんとできたので、データとしても存在しているようなのですが……。

 
 そういえば、「ゆるゆり」が読み放題対象から外れてしまったりしましたし。
 
 こう……読み放題の対象って、Amazon様の気持ち一つでコロコロ変わってしまうらしいので。
 気になる作品があったら後回しにせず、どんどん読んでいかないといかんのかな、と思います。
 

きくまこ氏を擁護する・その3「菊池氏は欅坂46擁護でもナチシンパでもない」編

 菊池誠氏へのおかしな批判に勝手に反論していくシリーズ、第3回。
 
 予定では「ナチス編」でしたが、若干変更して「欅坂46およびナチス」。
 一応最終回の予定です。
 
ナチス支持と欅坂46(の衣装問題)では、全然問題のレイヤが違うだろ!」
 というご指摘は当然あろうと思うのですけど。
 
 しかしそもそも、菊池氏=ナチシンパ説の直接の「証拠」が、欅坂46の話しかないっぽいので……。
(直接でない「証拠」の例については記事後半で触れたいと思います)
 
 欅坂46の衣装については、ググると山ほど画像が出てきますのでご存じない方はそちらを。
 
Google画像検索:ナチス+欅坂46
 

*画像はイメージです。
(肝心の菊池氏があんまり似なかったですね……)
 

批判の例。

 
 id:D_Amon氏のブログ「模型とかキャラ弁とか歴史とか」より、
疑似科学は人を殺す」を「全ての疑似科学は人を殺す」と読むのは頭が悪いよねhttp://d.hatena.ne.jp/D_Amon/20170112/p1
 
 氏は、菊池氏が
「反原発運動は内部のニセ科学を排除すべき」
 と主張することを批判した上で、

こういう人が欅坂46ナチス風衣装の件ではナチスニセ科学を批判するようにとの求めに応じるどころか、なぜか欅坂46ナチス風衣装の「擁護」に熱心だったわけだが、本人及び周囲の反応は「動員」の断り方において学ぶべきことが多かったと思う。

キクマコ先生が2016年11月3日夕刻時点から「ナチス肯定」擁護に荒ぶっておられたことは明らかである。

 等々と述べています。
 
欅坂46ナチス風衣装の「擁護」に熱心”
 とかいうとすごいファンみたいですね。
 
 ……さて、ここで、
欅坂46の衣装と“ナチスニセ科学”って関係あんの?」
 と思った方がいるかも知れません。
 
 ……ええ、私もそう思います。
 

実際のとこどうなのか。

 
 菊池氏の、欅坂46ナチス「風」衣装に対する立場は以下のようにまとめられると思います。
 
欅坂46の衣装は誰かが止めるべきだっただろう。(自分なら止めた)
・一方で、明らかなナチのシンボル(例:鉤十字)はなく、「似ている」だけなのには注意が必要。
ナチスに「似ている」ものは許さない、というのは、基準を明確にしないと、「似ている」の範囲が無制限に拡大する可能性があって危険ではないか。
・批判し、謝罪を求めるにしても、きちんと反省させるには、国内の欅坂46ファンを中心に声が上がることが望ましい。
・安易に「外圧」を利用して謝罪させたのでは、「こわい人に怒られたからあやまる」以上のものにならず、何が問題なのか理解されないおそれがある。
 
 表現規制との兼ね合い、みたいな話なのかな、と思います。
(どうでもいいですが、私個人は、「あの衣装は確実にダメだろう」という感覚が菊池氏より強いです)
 
 加えて、ナチスについて。
 
・自分はナチス擁護に批判的である。
・「ナチスに寛容」と言われるなら侮辱として抗議する。
 
 
 で、関連ツイートについてですが、私が引用するまでもなくだいたいまとめてる人がいました。
欅坂46ナチス似の衣装の件は、SWCにご注進した人が一番おろか」https://togetter.com/li/1048018
 批判的な立場でのまとめらしいのですが、まとめられたツイートを実際に読むと、上記のような主張に読み取れると思います。
 
 しかしまあ一応引用。
 





 
ナチス擁護に行くのはめちゃくちゃ」って言ってますよね?
 

 
 で、たぶん一番有名なのがこのツイート。
 
 
 この記事を書いてる段階で、このツイートだけブクマが128もついている……。
 
 まあ、SWCの情報収集活動を思うと、日本側からの「ご注進」が仮にあったとしても、SWCはそれ以前から本件に気づいていただろうとは思います。
 抗議以前から海外で報道があったと聞きますし。
 
 しかし、それはさておき、この発言に左派……とりわけ反・歴史修正主義クラスタが激昂してしまうのも故なきことではありません。
 
 ご存じの方も多いことでしょうが、ネット右翼勢の中には、
南京大虐殺or従軍慰安婦or靖国神社問題)は、朝日新聞or日本共産党or日本社会党が告げ口したことによって外交問題化したのだ! 奴らは反日だ!」
 という都市伝説が存在します。
 
 これらは事実ではないし、そもそも「外交問題にならなきゃ何してもいいの? 自国のことを自発的にどうにかしようとは思わないの?」という話でもあり、そういう言説がいまだに根強いことについて、左派は(私を含め)強いいらだちと憤りを感じています。
 
 で、菊池氏の発言は、
「自国のことだから外圧に頼らずなんとかすべき」
 という趣旨だったわけですが……それが、ネット右翼
「朝日がいなきゃバレなかった。バレなきゃ許された」
 系発言を強く連想させるものだったために、強い反発を招いたのだと思います。
 
 ……「見た感じが似てる」という以上のものではないんですけどね。
 
 ただまあ、こういう
「単体で切り出した時にダメな意味に見えるツイートをする」
 というのが菊池氏の迂闊なところであり、敵を増やす要因なんだろうなあ、とは思います。
 
 だからと言って、1ツイートだけ取り上げて
原発カルトだ! 靖国カルトだ! ナチシンパだ!」
 って言うのがまともな批判か、というと、全然そうではないのですけれど。
 
 あと、なんか件のツイートに「“ご注進”したのは共産党の誰やららしい」というリプライ(デマっぽい)がついて、それに菊池氏が「奴は党首の器ではないですね」とか返答したのも左派の怒りを招いたっぽい。
 
 迂闊だなあ、とは思いますが、「デマをもとに共産党批判とは許せん!」というのはナチとは離れるのでそれは措きます。
 

再稼働に賛成する奴はナチ。

 
欅坂46を擁護しているから菊池誠ナチスシンパ」
 というのが直接的な「証拠」の例だったわけですが。
 
 では、直接的「でない」例にはどんなのがあるかというと。
 
 以前の記事でも引用しましたが、D_Amon氏はこう述べます。
「当然〜するよね」という皮肉http://d.hatena.ne.jp/D_Amon/20161119/p2

 似非科学(疑似科学)批判派の中にある特徴をもった人々がいる。
 
 専門知の範囲外では基本的に権力寄りの判断をする人々というか、ある種のポジショントークをしていることが露骨に感じられる人々のことで、確実ではないものの分かりやすい特徴を言えば、原発の再稼働を求める人々であることが挙げられると思う。
(略)
 仮にであるが、私がそういう人々に「ニセ科学が人を殺すとか言って他者を動かそうとしている以上、そういう貴方は人を殺した似非科学であるところのナチス優生学を当然批判するよね」と言う場合、そういう人々がナチス優生学を批判するとも思っていないし、そういう人々をナチス批判に動員しようとしているわけでもない。
 
 そういう人々がナチス優生学を批判したがらないだろうことを前提として、似非科学批判や「〜が人を殺す」的に一貫性を欠くことを皮肉っているのである。

 と書いています。
 
疑似科学批判&再稼働容認の人は、ナチに親和的な可能性が高い」と。
 
 ……なんでだかわかります?
 
 私はわかりません。
 私は、D_Amon氏のようには頭が良くないので。
 
 でも、SWCだって、疑似科学批判&原発再稼働論者であることを理由に「潜在的なナチシンパ」として容疑者リストに入れたりしないと思うんですけど。
 
 そもそも、D_Amon氏のこの発言自体が明白な差別だと思うのですが、まあそれは本題とそれるので後に回します。
(記事を分けました。http://d.hatena.ne.jp/filinion/20170128

 
 いずれにしても、
疑似科学批判で再稼働容認だから」
 なんてのがまともな根拠となり得ないことは明らかでしょう。
 

歴史修正主義を「ニセ科学」扱いしないからナチ。

 
 さっきの話、そもそものツイートはこれです。



で、まあ、ここからの瀬川氏のツイートがまとめられているわけですが。
瀬川深さんによる「トンデモと歴史修正主義の合わせ技」としてのナチス擁護とニセ科学批判。https://togetter.com/li/1045411
 
 ナチス擁護は疑似科学で、欅坂46がナチっぽい衣装を着て問題になったので、疑似科学批判者は何か言えと。
 
 ……どうなんでしょう。
 
「なるほど、欅坂46の衣装と疑似科学批判は関係があるな」
 って思いました?
 
 ナチス擁護論者が疑似科学的な主張をする例としては、ホロコースト否定論者の
 
アウシュビッツでは死体焼却施設とガス室が併設されていたとされるが、ガス室で使われたとされる殺虫剤、ツィクロンBはシアン化水素……可燃性であり、そんな構造の施設では引火して爆発してしまう。
 作業にあたる兵士がタバコを吸っていた、という証言もあるが、捏造であることは明らかだ」
 
 ……といったものが有名だと思います。
(「引火する濃度と人が死ぬ濃度は違います」が回答なわけですが)
 
 ただ、それをもって
ナチス擁護というのは疑似科学そのもの」
 っていうのは……違うんじゃないですかね?
 
 例えば、ホロコースト否定論者の主な主張である
「収容所の目的は殺人ではなく強制労働だった」
 とか、
「民族の絶滅を指示する命令書は存在しない」
 といった話は、自然科学分野とはほとんど無関係のものです。
 まして、「ナチス擁護」にまで話を広げるとなると。
 
 歴史修正主義が、その一部に疑似科学的な主張を含むからと言って、EMだのホメオパシーだのといった疑似自然科学と同列にするのは無理があると思います。

 瀬川氏曰く、
 いやはや。
 
 どうして「ナチス擁護は疑似科学だ」って言って欲しいんでしょうね?
(……と思っていたのですが、D_Amon氏によれば、疑似科学だと言って欲しいわけでは「ない」のだ、と。http://d.hatena.ne.jp/filinion/20170128
 
 ……余談ながら、最後の瀬川氏の
放射脳?ハァそれは周辺問題でござんすネ」
 という言い回しもなんとも。
 
 どうしてこう……こういう人って、反原発運動内の疑似科学を批判したがらないんでしょう?
 
 前回の記事で、私は
「自然科学は専門外であるにしても、菊池氏が疑似科学と戦っていることに敬意くらい表してもよいのでは」
 と述べました。
 
 これに対して、D_Amon氏のアンサーは
「デマと差別には理念的には危機感を持つが、それを排除できないことには運動論的には危機感を持たない。在特会を見ればこの社会はデマと差別にまみれた運動が潰れる社会ではないことがわかる」(前掲の「頭が悪いよね」より)
 
 放射能デマや福島差別を排除できなくても、反原発運動が潰れるおそれはないから運動論的には大丈夫、と。
 在特会と同様に(!)
 
 ……そりゃまあ、菊池氏と(というか、疑似科学批判クラスタ全体と)仲良くできないわけですわなあ……。
 
 ともあれ、
疑似科学批判者は歴史修正主義も批判せよ!」
 という主張自体は別に最近のものではなく。
 これが2014年のツイートですから。
 
 そういう要求が、見た限り常に反・歴史修正主義の方から出るのは興味深いと思います。
 
 疑似科学批判クラスタ内で
「お前もがんもどき理論を批判しろ!」
「なぜナノ純銀を批判しないのだ! 貴様もビリーバーなのか!」
 といった「言及しない批判」があるという話は寡聞にして知らないのですが。
 

ソ連を批判する奴はナチ。

 
 何が何だか。


 注意しておきたいのですが、当初の発言は
 
瀬川氏「ナチス擁護をニセ科学として批判しているのか」
菊池氏「ナチス擁護はニセ科学そのものではない。その周辺問題である」
 
 だったのが、ここでは
「菊池氏はナチスニセ科学周辺問題扱いした」
 に話がすり替わっています。
 
 菊池氏を批判する人の特徴として、問題の切り分けが苦手、ということが挙げられるかなあ、と思います。
原発再稼働とナチ、なんてその極致ですが)
 
 これまで書いてきた記事への反応でも、
「菊池氏は原発カルトではないよね? むしろ反原発だよね?」
 と言うと、
「いやでも、沖縄の悪口を言ってるし……」
 
「菊池氏は靖国カルトでもないよね? むしろ批判してるよね?」
「いやでも、韓国の悪口を言ってるし……」
 
 切り分けましょうよ……。
 是々非々でいきましょうよ。
(それでまあ、沖縄とか韓国とか福島自主避難者のことを本当に悪く言っているか? というのも検証が必要ではあります。個別のツイートだけ切り出すとそう見えるのもあるんですが)
 
「100%の味方でなければ敵」
 という発想って、
捕鯨に反対したから反日
「旧日本軍を批判したから反日
 で脳内“反日国家”を世界に増やしていったネトウヨさんと何が違うんですか?
 
 さて、ナチス擁護が疑似科学であるか、というと、前述の通り
「そういう部分もあるが全体としては歴史修正主義分野に属する」
 という話になるでしょう。
 
 そして唐突に出てきたルイセンコ主義ですが、これは誰が見たって間違いなく疑似科学でしょう。
 
 で、そのルイセンコを疑似科学扱いしたことが
「露骨な党派性だ!」
「お前はファシストでありナチスシンパだ!」
 と批判されるという……。
 
 ここだけソ連
 
 ていうか、ルイセンコはスターリンに取り入って権力を握ったわけで。
 ソ連ですら、1956年にはフルシチョフスターリン批判をしてるんですが。
 それを批判するのが気に入らないって、「ここだけスターリン時代」かも。*1
 

今回の忠誠審査委員会

 
 ……というわけで、菊池氏をナチス擁護扱いする言説がいかに無根拠な言いがかりかを見てきたわけですが、これについての批判派の評は、

瀬川深さんによる「トンデモと歴史修正主義の合わせ技」としてのナチス擁護とニセ科学批判。 - Togetterまとめ

「SWCが出張るのは余計なお世話」発言での足止め効果、小池晃に嫌疑をかけた告げ口外交批判の件、ナチス優生学似非科学から外す知的誠実さの放棄。これらの行為を見ればナチス擁護否定発言は免罪符でしかない

2016/11/21 10:01

 これまた「免罪符」扱い。
 
 ……“ナチス風衣装の「擁護」に熱心”“「ナチス肯定」擁護に荒ぶっておられた”ってのは、一体何を見て出てきた表現だったんでしょう?
 
 私自身は(もちろん)ナチなんか大嫌いですので、
菊池誠ナチスを擁護している発言があるぞ!」
 という方は、ぜひコメント欄等でお知らせください。
 

*1: ただし、ルイセンコ自体はフルシチョフにも取り入り、ブレジネフ時代が到来する1960年代まで権勢を振るった。

「ナチスの優生学を批判したがらないだろうことを前提として」「皮肉としての質問」について。

 
 前の記事(http://d.hatena.ne.jp/filinion/20170129)の続きなのですが、わりと私信なので記事を分けました。

 そういう人々がナチス優生学を批判するとも思っていないし、そういう人々をナチス批判に動員しようとしているわけでもない。
 
 そういう人々がナチス優生学を批判したがらないだろうことを前提として、似非科学批判や「〜が人を殺す」的に一貫性を欠くことを皮肉っているのである。

 私の感覚だと、これは
「私は、ある種の人々に対し、“こいつはナチシンパだろう”という予断と偏見を持って接しています」
 という明白な差別意識の表明だと思うのですが。
 
 この点について、後に氏は、例の疑似科学は人を殺す」を「全ての疑似科学は人を殺す」と読むのは頭が悪いよねの中で、

似非科学(疑似科学)批判派の中にある特徴をもった人々がいる」で始まる疑似科学批判の中の一部の人々を扱っていることが明白な文を疑似科学批判全般に対する文と読むあたりfilinion氏は日本語力が不足している人と考えるしかない。

 と弁明……というか、こちらを「日本語力が不足している」「頭が悪い」扱いなさっています。
 
 ははあ。
 じゃあなんですか、
 
A「私はXX国人を見たら強姦魔だと疑うことにしている」
B「それは差別なんじゃないの?」
A「XX国人の一部の人々がそうだ、と言っただけだ。XX国人全般に対する文として読むのは頭が悪い。お前は日本語力が不足していると考えるしかない」
 
 ……という場合、A氏の弁明(というか罵倒)の方が正しい、という話になるんですか。
「保守」政治家とかがそういう言い訳をするのはよく聞きますが、左派がそれでいいんでしょうか?
 
 人権とは、反差別とは何だったのか。
 
 釈迦に説法だとは思いますけど、差別ってのは、障害者とか外国人とか性的マイノリティへの差別だけが差別なわけじゃないですよね?
 あんまり社会問題としては聞き慣れないもの……「ボイラー技士」とか「ネオ・ケインジアン」みたいな集団だって、誰かが差別すれば差別の対象になり得る。疑似科学批判クラスタ、再稼働容認派だって同じでしょう。
 
 それともあれか、
疑似科学批判者、とりわけ再稼働を容認する奴らなんか体制側だから差別は問題にならない」
 という認識なんでしょうか。*1
 
 あと、件の発言に私が驚愕したのは、「こんなの明白な差別じゃん!」ということだけではなく。
「これは“ナチを批判しろ”という要求ではなく、“お前はナチスを批判したりできないだろう”という皮肉なのだ」
 という話についてです。
 
 その発想は私にはまったく思い浮かびませんでした。
 
 さきほど、瀬川氏について“どうして「ナチス擁護は疑似科学だ」って言って欲しいんでしょうね?”と書きました。
 
 しかし、D_Amon氏によれば、別に「言って欲しい」わけではなく、
疑似科学か? 違うのか? 疑似科学だと言え! どうせ言えないんだろう! ほら見ろ、お前はやっぱりナチシンパだ!」
 と罵りたいがために発せられた質問であると。
 
 この種の
「皮肉としての質問」
 というと、ネット右翼の人が何の脈絡もなく発する
竹島は(or尖閣諸島は)どこの領土ですか?」
 というが連想されます。
 
 人権とか反差別とか、そういう「サヨク」的なことを主張していると、突然おかしな人が絡んできてそう問うわけです。
 
 その背景には、
「お前はサヨクだから中韓にべったりの反日なんだろう! 竹島尖閣が日本の領土だなんて口が裂けても言えないだろう!」
 という発想があるのだと思います。
 
 いやだって、日本共産党ですらどっちも日本の領土だと言ってるのに……。
 ネット右翼の人の脳内政治風景が、現実と乖離した残念なことになっている一例だと思います。
(あと、こういう人たちって竹島尖閣に熱心である一方、なぜか北方領土には滅多に言及しないので、たぶんネトウヨさんはコミンテルンの手先なんだと思います)
 
 ……で、D_Amon氏によれば、
ナチス擁護も批判しているよね?」
 も、それと同様、謎の脳内政治風景に基づいた「皮肉」だ、というわけです。
 
 ……ネトウヨさんの脳内が残念なのは知ってたから、「ああ、皮肉のつもりなんだろうな」ってすぐわかりましたけど。
 まさかはてな左派の中からそんなのが出てくるなんて……予想外でした。
 
 加えて、D_Amon氏は、id:Apeman氏の



 といったツイートを引用しつつ、
>というやりとりはこういう文脈で読まれるべきものだと思う。
 と述べています。(“「当然〜するよね」という皮肉”より)
 
 知らんがなそんな「文脈」。
(ところでid:Apeman氏、件のツイートの「歴史修正主義優生学は批判したくないニセ科学批判マン」というのは菊池氏を指したものだと私は推測しましたし、D_Amon氏も同様の仮定で記事を書いているのですが、実際のところどうなのでしょう? D_Amon氏が考えるように「皮肉としての質問」という“文脈”で発せられたツイートなのでしょうか?)
 
(Apeman氏も……反・歴史修正主義的な活動については日頃から敬意を抱いていますし、否定的な文脈でIDコールとか全然したくない方なんですけどね……)
 
 この「否定的な質問文脈」発言に感じた驚きって、同じく氏のブログの記事「〜で弱者が死ぬ」「〜が人を殺す」という動員要求http://d.hatena.ne.jp/D_Amon/20161119/p1)を読んだ時と同じような驚きでした。
 
 そっちはいきなり

「〜で弱者が死ぬ」「〜が人を殺す」は人権感覚への一貫性を利用した人権派に対する動員要求である。
 
 それぞれの人はそれぞれの関心事にそれぞれのリソースの範囲であたれば良い筈なのだが、「〜で弱者が死ぬ」「〜が人を殺す」という言葉で人権派は人を死から救うために動員要求に応じることを求められ、応じないことをもって「お前らの人権感覚は偽物だ」と嘲られるのである。

 ……という文で始まるんですよ?
 
 世の中、「〜によって死者が出ています」系の言説って山ほどあるじゃないですか。
 それが「人権派へ動員要求である」「それによって人権派は嘲られている」と。
 
 ……最初何言ってるのかわからなかったし、ある種のSFを読んでいるような知的驚きがありました。
「夜来たる」みたいな、地球と全く異なる社会を「自明の常識」として語っていくタイプの。
 
 しかしそれが、我々の住む日本社会について述べた文章なのです。
(……それにしても、菊池氏がナチス擁護を疑似科学扱いしないって散々罵った人が「それぞれの人はそれぞれの関心事にそれぞれのリソースの範囲であたれば良い」って……)
 
 氏の脳内文脈の中では、きくまこ氏は欅坂46ナチスシンパの擁護に荒ぶっておられ、再稼働容認派はナチスと仲良しで、「風力発電所で鳥が死ぬ」は“動員要求”であり人権派への攻撃です。

はてなブックマーク - 「〜で弱者が死ぬ」「〜が人を殺す」という動員要求 - 模型とかキャラ弁とか歴史とか

「兵器は人を殺す」も「悪政は人を殺す」も真理だが、それを「人権派に対する動員要求」とは思わない。「原発を動かさないと弱者が死ぬ」「風車が鳥を殺す」とそれらの差異がわからないなら頭悪いねとしか>id:filinion

2016/12/30 00:53

「頭が悪い」って言い回しがお好きですよね……。*2
 
 残念ながら、私には、氏と「文脈」を共有するのはとても難しいです。
 私は、D_Amon氏のようには頭が良くないので。
 
 以前にも述べましたが、
「薄汚い奴の言うことだから薄汚い内容なんだろう」
 という属人的なバイアスがかかりすぎているせいで、狭いクラスタ内でしか通用しない「文脈」に陥ってしまってるのでは? と思います。
 
 私がリンクを張った、例の
「SWCにご注進した人が一番おろか」
 のまとめ、D_Amon氏も読んでるはずなのですよ……何しろ記事内でリンクしてるし。
 
 ツイート単体を読んで憤激している軽率な人が多いのはわかりますが、まとめを読んだ上で“「ナチス肯定」擁護に荒ぶっておられた”とか書いてしまうというのは、他人に文脈を読むよう要求し日本語力を云々する前に何か読むものがあるんではないか、と私は思います。
 

*1: マジョリティに対する「差別」は、マイノリティに対するそれより問題の程度が小さい、ということはあると思います。
 ヤノマミ族……アマゾンの先住民が
「文明人(ナプ)は愚かで非人間的だ」
 と言ってもそれほど問題にならないけど、我々が
ヤノマミ族は愚かで非人間的だ」
 と言ったらそれは差別になる。
 ただ、それと「疑似科学批判で原発再稼働容認ならナチス擁護だ」が許されるかどうかは別問題。

*2:ところで、この時点では「動員要求かどうかは文脈による」なんてニュアンスはまったく読み取れないと思うのですが。

「えんとつ町のプペル」を読んで。(感想文)

 
結論:あんまり好きな話ではなかった。
 
 絵は素晴らしかったです。
 特に「えんとつ町」の風景が。
 
 それをどなたが描いたのかというと、メインイラストレーターは六七質、という方なのだそうで、ブログを見てもなるほど美しい。(http://3276771.blog.fc2.com/
(「まあお聞き。」ブログの記事、えんとつ町のプペル」に携わった方々について調べてみたhttp://www.mariyatsu.com/entry/pupel)による)
 
 一方で、あの……あー……いかにも絵本絵本した感じの登場人物は、氏のイラストとはだいぶ違うので、また別の方が関わっているのかな、と。
 
 で、ストーリーなのですけども……。
 
「僕はハッピーエンドが好き」
 ということらしい西野氏ですけれども、この話って「ハッピーエンド」じゃないよなあ……と。
 
 主人公のルビッチにとっては、「父ちゃん」が帰ってきてくれたわけだからハッピーなんじゃないの? ……と言えなくもないですけど、しかし、近所のいじめっ子や町の人々が「ゴミ人間」に冷たい、という現実は何ら変わるところがないのですよね。
 地上に降りれば、また友人や町の人々から白い目で見られる日々が始まるわけで、あんまり問題は解決してない。
 
 ただ、あとがきを見るに、
「えんとつ町は、夢を語れば笑われて、行動すれば叩かれる、現代社会の風刺」
 と、わざわざ太字で書いてあるので、たぶんそういうことなのでしょう。
 
 たぶん本作には、氏の、自身に批判的な人々への思いが反映されていて。
 氏はおそらく、周囲の人の態度が変わるとか、社会を変えられるとか思ってないのではないかなあ……と思いました。
 
 ……本作の登場人物は、「ルビッチ」だの「アントニオ」だのいう名前で外見も白人風。
 なのに、町の看板やらなんやらが「小林建設」「株式会社日本デザイン」「ひばり号」とかやたら日本語出てきて違和感バリバリだったんですが……。
 あれは、「日本社会の風刺」のつもりだからなんでしょうね……。
 
 主人公のルビッチも、煙突掃除人という設定なのに、それらしい場面がほとんどなく、むしろ「学校でいじめられた」とか現代日本の子どもみたいだし。
 
 だったら登場人物も日本人にして「日本のどこか」設定でやれよ、と思わなくもないですが。
 
 あと、すっごい細かい話なんですが、
「4000メートルの崖にかこまれ、そとの世界を知らない町がありました」
 で始まるので、
「4000mの崖で囲まれてるって、盆地なのかな? 台地なのかな? 煙突の煙がこもるということは盆地かな?」
 などと思いつつ読んでいたら主人公の父親は漁師だったという設定が出てきて、街外れには普通に砂浜があった。
 
 どんな地形なんだ。
 
 別に海でなくて、崖を登って外の世界を見ようとして死んだ、とかいう設定でも良かったのでは……。
 
 あと、どぶ川に落としたはずのロケットがあそこから出てくるのもちょっと謎。
 
 ともあれ、個人的には、一度はプペルに冷たくした人々が、プペルとルビッチの父親を見直して、「空を見上げる」ことの意味を思い出す……という希望溢れる話の方が好みだし、子どもたちにもそういう話を読んで欲しいな、と思いました。
 
 ……西野氏がそういうイメージを抱くことができるといいな、と思います。
 

きくまこ氏を擁護する・その2「菊池氏は靖国支持者ではない」編

 一文の得にもならないのに菊池誠氏への批判に勝手に反論するシリーズ第二弾。
 前回の、「菊池氏は原発カルトではない」編は、思った以上に多くの方に読んで頂けた上、好意的な反応が多く、とてもほっとしました。
 
 曰く、
「きくまこ先生は基本的にはまっとうな科学者だよ。専門分野外で迂闊な発言が多いだけで」
原発関連の発言は妥当だよ。社会学関連とかで軽率なことを言うのが問題なだけで」
 
 うん……。
 
 ……そして今回は、靖国神社……社会方面の話なんですけどね……。
 

批判の例。

 
 そもそも主に問題になったのは、菊池氏の
「カルト候補を当選させるよりは靖国参拝する議員を当選させるほうが社会的には利益がある」
 という発言です。
 
 これに対して、はてな内で見える範囲では、「法華狼の日記」ブログの記事、
「国家権力と密接なカルトと、カルトの二択なら、前者を選びます」「それは二択として成立していないのでは?」「国家権力と密接なカルトは定義としてカルトではない」「あっはい」http://d.hatena.ne.jp/hokke-ookami/20161226/1482900661
 
 が批判記事でしょうか。
 他にめぼしい記事は見つからなかったのですが、賛同するブコメもたくさんついていたところを見ると、同意見の方も多いようです。
 
 記事のおおまかな内容としては、
 
・政治家を選ぶ場合であっても、棄権も選択肢のひとつである(靖国を選ぶ必要はない)。
・そもそも靖国はカルトである。
 
 ……という感じでしょうか。あと幸福の科学とか、「やや日刊カルト新聞」創始者氏の話とか。
 
 記事の詳細はちょっと後に回して、菊池氏の立場を確認してみます。
 

実際のとこどうなのか。

 
 菊池氏の靖国神社に関する立場は以下のようだと思います。
 
靖国神社を支持しない。
靖国参拝する議員には政治的に問題がある。
・政治家が靖国神社に参拝することは対外的にマイナスである。
・ついでに言えば幸福の科学も支持しない。
 
「嘘だ! あいつはそんな奴じゃない!」
 とか言われそうなので本人のツイートを引用します。




 
 この3つが、id:hokke-ookami氏が引用しているツイートです。(こんなに気が進まないidコールは初めてだ……)*1
 
 それ以外のツイート。
 


 
 ……というわけで、菊池氏は、
「そもそもこんな二者択一自体がナンセンス」
「議員の靖国参拝には問題がある」
 と主張していることがわかります。
 
「どうせ偏った引用をしているんだろう!」
 と言われそうなんですけど、twitterで「@kikumaco 靖国」で検索したらこれしか出てこないので私も驚いたのですよ……(2017/01/14現在)。
https://twitter.com/search?f=tweets&vertical=default&q=%40kikumaco%20%E9%9D%96%E5%9B%BD&src=typd
 
 もしこれ以外に、
「消された靖国賛美ツイートがあるけど魚拓があるから見ろ」
twitter以外のメディアで靖国を礼賛しているから読め」
 といったことをご教示くださる方がいれば歓迎しますけれども。
 
 幸福の科学関係のツイートの方がずっと多かった。

 ……ちょっと脇道にそれますけど、
幸福の科学の総裁はネタ扱いされている。深刻に扱う必要はない」
 って主張を見ると、かつて「嫌韓」的主張に批判を加えると
嫌韓はネタだから。マジレスすんなwww」
 とか言われてたことを思い出すのですよね……。
 

いったいどうしてこんなことに……?

 
 ……その……。
 hokke-ookami……法華狼氏の、歴史問題……歴史修正主義批判などの活動には敬意を抱いています。
 間違いなく私より頭のいい方だし、知識もある……批判的に言及とかしたくない相手なのです……が。
 
 しかしですね。
 
 そもそも件の批判記事のタイトル、
「国家権力と密接なカルトと、カルトの二択なら、前者を選びます」
「それは二択として成立していないのでは?」
「国家権力と密接なカルトは定義としてカルトではない」
「あっはい」
http://d.hatena.ne.jp/hokke-ookami/20161226/1482900661
 って、おかしいのでは?
 
 まず、菊池氏は、
靖国は国家権力と密接だからカルトではない」
 などという主張は全くしていませんよね?
 
 ですから、記事中、靖国についての
「“特定の人物・事物を熱狂的に崇拝,礼賛すること”がカルトだ、という定義に従えばカルトだよね?
 ああでも、“既成宗教に対する異端であることと、小集団であること”をカルトの定義とすれば、集団が巨大化して国家権力と一体化し、社会への影響力が増せば、『カルト』の枠組みから外れるって寸法だね?」
 ……という法華狼氏の一連の議論は、菊池氏の発言とは全く無関係な、いわば一人相撲に過ぎません。
 
 そもそも最初の「二択」において、菊池氏は
靖国とカルトどちらがマシか」
 とは言っていません。
靖国参拝する議員とカルト候補者」
 という設定をしています。
 
 靖国がカルトであるとしても、靖国神社に参拝する者がみな靖国カルトの支持者である……と言い切るのはさすがに無理があると私は思います。
 
 もちろん、政治家と靖国が接近することには、一般市民とは全く異なる危険性があるのは重々承知しています。
 
 しかし、例えば私自身が、
靖国に参拝するかカルトに入信するかどちらかを選べ」
 と迫られたら、前者を選びますし、そこで後者を選ぶような人に政治家になって欲しくはないです。*2
 
 いずれにせよ、例の記事タイトルの「あっはい」に至るやりとり、そして記事内のカルトの定義云々にまつわる議論は、菊池氏に向ける非難としてはわら人形論法の典型のように思えます。
(もちろん、靖国自体が、かつて国家全体を覆い尽くした巨大カルトであったこと、現在もなおその残滓が息づいており、息を吹き返しつつあるようにさえ見えることは、私も全面的に同意します。昨日記事に書きました。http://d.hatena.ne.jp/filinion/20170114
 
靖国参拝する議員」の中には、戦前の靖国カルトの状況とかほとんど知らず、ただ「参拝した方が“保守”層にウケがよさそうだからなー」とかいうだけの理由で参拝してる連中も相当いるんではないか、と思っています。
 それはそれで危険な話なのですが。
 

カレー味の………と、………味のカレー。

 
 件のツイートについて、
「どちらも拒否すべきだ! 選ぶべきではないのだ!」
「二者択一の設定がおかしい」
 という批判も見られます。
 
>どちらも拒否するべきという異論に対しては同意しつつ、やはりどちらかを選ぶしかない問題だと重ねて主張している。
 
 ……そうでしたか?
 
 菊池氏は、繰り返し
「一般にはそんな単純な二択ではない」
「そもそもそんな二者択一にしてはいかんという趣旨なのだが」
「僕もどちらも拒否すべきと考えますが」
 と述べています。
 
 だったらなぜ一方を選んだのか、という話ですが、これ、最初の発言の前に、
「カルト候補と靖国参拝する議員、どちらに投票しますか?」
 的な“究極の選択”(菊池氏曰く「馬鹿な質問」)を迫った人がいたからですよね? (具体的なツイートは発見してませんが)
 
 だったら、批判されるべきは、その質問をした人の方なのでは?
(どんな流れでその質問が発せられたかは後述)
 
 第一、仮に菊池氏がその質問に対して、
靖国はカルトだから問題設定がおかしいですね」
 とか、
「答えられませんね。どちらも選ぶべきでないから」
 とか答えたら、許してもらえたんでしょうか。
 
 これはまあ憶測ですが、そう答えたら答えたで、
「どうしても靖国を批判したがらない菊池誠
 とか、結局批判の対象になったのでは、と思います。
 
 そして、法華狼氏の、

 しかし政治家を選ぶ場合であっても、棄権も選択肢のひとつではあるし、そもそも選挙だけが意思決定の手段ではない。
 両方への批判を公言することはいつでもできるし、本来ならばデモや陳情という選択肢もある。
 菊池教授のような立場ならメディアを通した発言も可能だろう。

 ……というのもまた、答えになってない気がするのです。
 そりゃあ両方を批判することはできるし、デモも陳情も、メディアでの批判もできるでしょう。
 
 でも、例えば小選挙区でその2候補しかいなかったら、まずどっちかが当選してしまうわけで。
 
 デモ等の……選挙以外の意思決定の手段があることは事実ですが、それは選挙に行かないことの理由にはならない、と私は思います。
 
 かつて、集団的自衛権に関するデモについて、
「デモやってる人、ほとんど選挙なんか行ってないんじゃねーの?(笑)」
 と嘲笑するツイートのまとめが作成されていました(https://togetter.com/li/690990)。
 
 一方ブコメでは
「具体的なデータがあるならともかく、妄想で他人を見下すとかどうなんだ」
「デモをするほど政治意識の高い人が選挙に行かないわけないだろう」
 といった意見が主流だったように思います。私もそう思っていました。
 
 ですが、法華狼氏のご意見は、むしろその「嘲笑」に裏付けを与えるもののように思います。
 
 私は、何はともあれ選挙の価値を信じています。*3
「支持できない候補」と「もっと支持できない候補」だったら、ひとまず前者に投票して、それからデモでも陳情でもすべきだと思っています。
「ハズレしかないガチャ」にしか思えない選挙から、それなりの政治家が誕生することだってあるかも知れません。
 棄権したところで投票率が下がるだけです。それを「政治批判の高まり」とか深刻に受け止める政治家はあまりいないでしょう。
 
 ともあれ、
「どちらかを選べ! 態度を鮮明にしろ!」
 と言われて
「そんな二者択一おかしいと思うけどなあ……」
 とぶつぶつ言いながら選んだ人に対して、
「選ぶべきでない!」「そんな二者択一はおかしい!」
 と批判するのはひどいと思うのですよ。
 
 まあ……「その方がマシだ」ではなく「社会的に利益がある」って言い回しが勘に障ったのかも知れませんけど、でもそんなの脊髄反射ですよね。
 

効かない「免罪符」。

 
 前回の原発の話には、当然ながらご批判も頂きました。
 その中で、どうにも気になるものがあります。

きくまこ氏を擁護する。「菊池氏は原発カルトではない」編 - 小学校笑いぐさ日記

偽科学批判を旗印にしつつ、かなり偽社会科学的な主張が見られる人なので、免罪符的発言だけ抜いたらそらま妥当だろうな。でも韓国の過ぎた反日教育ガ〜、なんて熱湯欲の受け売り言ってる人だよ、自称中立の典型。

2017/01/09 22:22

きくまこ氏を擁護する。「菊池氏は原発カルトではない」編 - 小学校笑いぐさ日記

再稼働に反対しないのなら少なくとも消極的推進派でしょう。むしろ行く行く廃止というのは左派ポーズとりたいがために言っているだけで本音ではないように聞こえる。原発以外でもそんな印象を受ける。

2017/01/09 19:00

 あるいは、法華狼氏の件の記事のブコメ
「国家権力と密接なカルトと、カルトの二択なら、前者を選びます」「それは二択として成立していないのでは?」「国家権力と密接なカルトは定義としてカルトではない」「あっはい」 -

言及対象と言及姿勢が示すキクマコ先生の欲望。専門外でも欲望に従って非常に熱心に発言し続けるキクマコ先生。キクマコ先生が掲げる免罪符を真に受ける人は見る目が無いのだろうなあと思う。

2016/12/28 17:43

 菊池誠氏の、反原発・反靖国的な発言は「免罪符」「ただのポーズ」である……。
 
 ……つまり、
「口ではああ言っているが、本心は違うのだ」
「あれは嘘をついているのだ」
 ……ということです。
 
 おかしくないでしょうか?
 
 菊池氏に「不利な」証拠は、発言を「モディファイ」したり、言ってもいないことを曲解・拡大解釈した上で批判され。
 一方で、菊池氏に「有利な」発言は、「あれは免罪符に過ぎないのだ」で、なかったことにされる。
 
 それが批判としてフェアだと言えるでしょうか?
 
 告発する側が好きなように証拠を作り出したり無視したりするのが許されるなら、ヒトラーを博愛主義者にするのもガンジーを好戦的な先制核攻撃論者にするのも自由自在です。
 
 こういう、恣意的な証拠採用を行った上で、思想性・政治性を批判されるのは、ある種の政治裁判を連想します。
 ナチの民族法廷とか、冷戦期の赤狩りとか。
 
 ……そもそも、仮に、菊池氏が右翼的な人であったとして、それが左派であるかのような「免罪符」を掲げる意味ってなんでしょう?
 メリットありますかね?
 
 もちろん私は、基本的人権の尊重……市民の社会的自由や、格差の是正、社会的弱者の救済、差別の撲滅、あるいは国際協調、そして、歴史の教訓に真摯に学ぶ姿勢、といった、おそらくは左派的な価値を強く信じています。
 
 しかし、最近の世間……とりわけネット世論では、そういった「サヨク」「リベラル」は著しく劣勢であり、侮蔑語として使われる有様です。
 
 そんな中で、「靖国に参拝する議員の政治性には問題がある」なんてネットで書くのは、「免罪符」どころか、むしろ勇気を要するのが現状ではないでしょうか。
 それを「免罪符だ!」と思ってしまうのは、我々が左派クラスタの中にいるからじゃないかな、と思います。
 左派クラスタの中では、右派的な発言こそが批判されるわけですから。
 
 私の認識は、むしろこちらに近いです。
きくまこ氏を擁護する。「菊池氏は原発カルトではない」編 - 小学校笑いぐさ日記

自身の党派性を隠そうとするあまり、逆に見えてしまうという印象。自身の政治的スタンスを明確にした方が、伝えたい内容が伝わると思うのだが。

2017/01/09 18:36

 菊池氏はどちらかというと左派なんだけど、あまり党派的に見えないように振る舞っていて、その結果として左派から批判されてしまう、という。
(「自称中立」とか批判されるの私も経験が……)
 

余談:忠誠審査委員会

 
 余談です。
 
 アメリカでは、1947年、大統領令により、公務員の忠誠審査が行われることになりました。
 それがどんな模様であったか、カール・セーガンの「科学と悪霊を語る」に書かれています。(実際に審問を受けたのは、「コンドン委員会」で知られるエドワード・コンドン)

 私がコンドンの下で学ぶ大学院生だったある夏のこと、コンドンは忠誠調査委員会に引き出されたときの話をしてくれた。
 私はその話を、今もはっきりと覚えている。
「コンドン博士、あなたは物理学における革命の最前線にいたということですね、ええとそれは……」
 ここで審問者はゆっくりと注意深くメモを読み上げた。
量子力学と呼ばれているものです。
 一つの革命の前線にいられるあなたのことですから、別の革命の前線にもいられるでしょう」
 コンドンはさっと立ち上がり、その非難は事実無根であると答えた。
 コンドンは物理学における革命家ではなかったのだ。
 そこで彼は、右手を挙げてこう言った。
「私は紀元前三世紀に打ち立てられたアルキメデスの原理を信じています。
 十七世紀に発見された、惑星運動に関するケプラーの法則を信じています。
 私はニュートンの法則を……」
 こうしてコンドンは、ベルヌーイ、フーリエアンペール、ボルツマン、マックスウェルの名を次々と挙げたのだった。
 だが、物理学者のこんな教理問答は、コンドンの役にはあまり立たなかった。
 委員会のメンバーには、このユーモアが通じなかったのだ。
(改行はほぼ引用者による)

「お前は物理学の革命の最前線にいた。だから共産革命も支持しているのだろう」
 馬鹿馬鹿しい話ですが、コンドンはこの後セキュリティクリアランスを剥奪され、職を追われたのですから*4、あまり笑いごとでもありません。
 
 このような、あらかじめ有罪が決まっていて、証拠にもならない証拠を元に断罪される、茶番めいた政治裁判の例は古今東西多々あるわけですが……。
 まあ……そんな人々が権力を握る国には住みたくないものだな、と思います。

カール・セーガン 科学と悪霊を語る

カール・セーガン 科学と悪霊を語る

 

負のスパイラル。

 
「免罪符」派の人は、
「いや、菊池誠の普段の発言を見ていれば、あれが免罪符だとわかるのだ」
 とおっしゃるんだろうなあ、と思うのですけど。
 
 でもその「普段の発言」に対する評価自体が、
菊池誠はそういう奴だ」
 という認識の元に行われてるわけですよね?
 
1:菊池誠は、以前薄汚いことを言った薄汚い奴である。
2:菊池誠は薄汚い奴だから、この発言はこんな薄汚い意味に違いない(薄汚い意味に取れない発言は、「免罪符」に違いない)。
 
 この2つが無限ループを起こして、菊池氏に対する脳内評価がどんどん悪化しているのでは。
 別に各氏が脳内で誰にどんな評価をしようと自由なのですけれど、スパイラルの結果として、実際の菊池氏の発言意図と(そしておそらくは、あまり左派的でない人々による理解とも)大幅に乖離し、
「左派の人たち、なんであんなわけのわからない批判をしてるの?」
 という状態になってしまっているのでは、と懸念します。
 
 お互い同士の話ばかり聞きあった結果、内輪でしか通じない論理や政治用語ばかりの主張になってしまい、一般市民から乖離してしまう……というのは、左派にとってもっとも忌むべき道だと思うのです。
 
 想像するに、このスパイラルが始まってしまったそもそものきっかけは、おそらく原発震災ではないかと。(だから前回、原発の話を最初に書いたわけですが)
放射能による被害は思ったほどではなかった」
 という指摘を、素直に受け入れられた人と、そうでない人がいて。
 
「そうでない人」が、菊池氏を盛んに「エア御用」などと罵り「人民の敵」扱いしたことが、現在に至っているのではないかな、と思います。
 
 はてなにも、かつてはまっとうな科学ブログを書いていたのに、震災以降、「甲状腺がん多発」「化学物質過敏症」といった方面に行ってしまった人がいますし……。
 

カルトってどのカルト?

 
 ところで。
 
 件の発言の「カルト候補」って、具体的にどこのカルトの候補なんでしょう。
 
 菊池氏に
「カルト候補と靖国参拝する議員、どっちがマシだと思うのか?」
 って迫ったのは、誰なんでしょう。
 
 この間まで、「幸福の科学かな?」と思っていたのですが、以下のまとめを見ると、どうも違ったようです。
野党共闘はクソ。カルト候補よりも靖国議員のほうが、社会的利益がある」https://togetter.com/li/1061598
 



 どうも、仏教系の新興宗教、「親鸞会」の話みたいです。
 
 ……正直よく知らない。
公式サイト→http://www.shinrankai.or.jp/
被害「家族の会」→http://higai-kazoku.news.coocan.jp/
 
 Wikipediaを見ると、大学生をターゲットに偽装勧誘を行っている……という情報はあるものの、あとはやたら詳しく教義が載っているだけで、活動自体が反社会カルトだ、という話はなく。
 しかしノートページを見ると、なにやら激しい編集合戦があり、「信者が不都合な情報を消した」「やたら教義ばかり長々と書いている」といった批判も。
 
 まあ……よくわからぬのですけど、野党共闘によって、親鸞会の元信者(菊池氏は「選挙の為に形式的に脱会しただけ」と言う)が候補として担ぎ出されたことを菊池氏が批判し。
野党共闘の名の下にカルト候補を支援するなら共産党も同罪だ!」
 みたいなことを言ったら、共産党支持者が憤激し。
 その中で、「靖国とカルト」の話が出てきたようです。
 
 ……どうなんじゃろ。
 菊池氏もナイーブすぎるんじゃないか、と思うけど、親鸞会のこと全く知らないからなあ……。
 ……それは……まあそうかも。私は都民じゃないけど。
 マジか。
「まあ菊池氏、私より右寄りっぽいし、熱心な左派から見たら不満もあるだろうよなー」
 と思ってたけど、少なくとも投票行動においては私よりも左翼だった。
 
 ともあれ、共産党の「野党共闘」支持者が、カルト批判の菊池氏を論難するために「カルトと靖国」の話を持ち出したのが、そもそもの発端だったのではないかな、と思います。
 

*1:はてなユーザーでない方に説明しておくと、はてなって、「id:」の後にユーザー名をつけた文を書くと、相手方に通知が行くんですよ。「これは陰口ではない」って証拠みたいなもの……だと思ってます。

*2: ……っていうか私、靖国に行ったことありますけどね。10年以上前ですが。
 まあ……面白かったですよ。遊就館とか。すごい偏ってて。
 なんか、海外からの観光客らしき方が、半笑いでパネル(念の入ったことに日英二ヶ国語表記だった)とか読んでて、あれはわりと存在自体が国辱だと思いました。

*3:まあ……歴史的に見ると、それは「左翼」の伝統的立場とは言えなかったりするのですが。

*4:英語は読めないんですけど、英語版Wikipediaにはたぶんそう書いてあった。

感想文:「神国日本のトンデモ決戦生活」を読んで。

靖国神社」というと、「戦没者(だけではないけど)を神として祀っている神社」というような認識がたぶん一般的だろうと思います。
 
 そこに、「A級戦犯合祀」というようなワードが出てくる方もいるだろうし、
「戦前、戦中には、“戦死者は靖国で日本を守る”というのが政府や軍に利用されたんだよね」
 という方もいるでしょう。
 
 で、その「利用」とは実際のところどんな感じだったのか。
 その一端を垣間見ることができるのが本書といえます。

神国日本のトンデモ決戦生活 (ちくま文庫)

神国日本のトンデモ決戦生活 (ちくま文庫)

 本書は、太平洋戦争下における戦意高揚を意図した宣伝の類いを、出版物から例証していくものです。
 
 この本自体のオススメ度は……星3つくらいですが(後述)、挙げられている資料はたいへん興味深いので、いくつかご紹介したいと思います。
 

靖国作文コンクール

 
 正式名称は「靖国神社の英霊に捧げる文」。
 
 主催は大日本雄弁会講談社(現在の講談社)。
 募集広告は、大日本雄弁会講談社発行の人気雑誌、「少女倶楽部」「少年倶楽部」「幼年倶楽部」に一斉に掲載。

(画像がイマイチ綺麗でないのは勘弁してください。スキャンした時には、こうして紹介するつもりではなかったので……。実際の本はもっと鮮明です)
 
 応募総数1万3968名といいますから相当に盛大なものです。
 
 主催は民間の出版社ですが、後援は陸軍省海軍省、軍事保護院。
 軍と政府、そして靖国神社の密接な協力があって実施されたコンクールです。

 一人一遍、一九○○字以内で、冒頭に「奉納文」という文字を必ず入れるようになっている。
 これは、応募されたすべての作品を「靖国神社の英霊の御前に献納」するためだった。
 今も靖国神社のどこかに、すさまじい作文の山が保管されているかもしれない。

(改行は一部引用者による。以下同じ)
 
 実施企画書によれば、

 この綴方募集の目的は、少年少女達が、その感想を綴ることによって、靖国の英霊に対する感謝の念を深めると共に、ますます愛国心を奮ひ起し、少国民としての尽すべき道を自覚し、以て次代の日本をつぐべき大責任を体得せしめることにあります。

 とのこと。
 
 このコンクールで見事「優等」になった3名のうち、国民学校初等科1年、南雲恭子さんの作品が掲載されているので引用したいと思います。
 国民学校初等科は、現在の小学校にあたりますから、恭子さんは6・7歳。
 戦争で父親を亡くされた、戦争遺児ということになります。
(なお、カタカナを平仮名に改めました)

 おとうさま、恭子はおとうさまにおてがみをかくのがうれしくてたまりません。
 おとうさまが、とほいせんちでなくなられてから、もう七ねんもたちます。……
 早く大きくなって、おかあさまのおてつだひをしたいとおもひます からだがよわいのでもっとぢゃうぶにして、をんなのへいたいさんになって、おとうさまのかたきをうちます。
 さくらがさくと、おかあさまが、やすくにじんじゃにつれていってくださいます……さくらがさいたら、おとうさまに、おめにかかれるのをたのしみにしてをります……
 さくらのさくまで、さやうなら。

「お父様が遠い戦地で亡くなられてから七年」ということは、恭子さんは父親に会ったことがほとんどないわけです。
 当時はよくあったことかも知れませんが、やはり悲劇というほかありません。
 
 恭子さんが父親を失ったことについて、軍と政府は多少なりとも負い目を感じるべきだと思うのですが……

 この南雲恭子さんと「優等」に選ばれたもう一人の男子は、同年四月四日、靖国神社で行われた「靖国神社の英霊に捧げる文」献納奉告祭に参加、神殿に向かって作文を読み上げ、列席した軍人たちを感激させた……と、「少女倶楽部」昭和十九年五月号は伝えている。
 当時の靖国神社宮司・鈴木孝雄予備役陸軍大将に面会し
「からだの丈夫な、心の清らかな良い日本人になるように」
 というありがたい訓示も頂いた、という。

 ……靖国の予備役陸軍大将とその他のえらい軍人さんたち、女児に「女の兵隊さんになって、お父様の仇を討ちます」とか言わせて悦に入ってていいんですかね。

 ちなみに「優等」の賞品は、「勉強机」と「額入靖国神社の写真」。
 次点の「秀逸」は「硯箱」と「靖国神社の写真」であった。

 写真ェ……。
 
 もちろん、21世紀の日本でも、
原子力ポスター、小論文・作文コンクール」http://www.mext.go.jp/b_menu/houdou/22/06/attach/__icsFiles/afieldfile/2010/06/21/1294983_01_1.pdf
 などというものが行われていましたし(現在は中止)、総務省主催の「人権作文コンクール」も、入賞作品の偏りを指摘する声はあります。*1https://togetter.com/li/221711



 しかし、まあ、雑誌媒体で募集広告が出て、盛大な授賞式(献納奉告祭)の模様が同じく雑誌記事になって、入賞作品が全文掲載される、というのは、破格の扱いと言えるでしょう。
 

「息子さんの戦死おめでとう!」

『聖戦下の式辞と挨拶集』(青年雄弁奨励会編、文英堂、昭和十四年)では、「慰霊祭における戦友の弔辞」「戦没陸軍将士を弔ふ辞」「戦死海軍英霊に献ぐ辞」「青年団代表の弔辞」「村民代表の弔辞」などなど、演説例が豊富に準備されていた。

 弔辞なのに「演説」とはこれいかに。
 その内容とは。

……殊に御老母は御子息の出征以来、日本人の身体は天皇陛下に捧げたものだ、名誉の戦死を遂げることは、日本人の誇り、男子の本懐であるといふ意味のことを、常々隣人の方々に話されてゐたと承っては、尚更ら、私はその御心中を恐察して哀切の感に堪へぬのであります。……
 我が帝国が今日、世界の列強と伍して、一歩も遜色のない国家となりました蔭には、幾多の尊い忠臣義士の人柱が建てられてゐるのであります。今後も亦一旦緩急あらば相当の犠牲者を必要とするのでありませう。

 あっ、これは演説だわ……。
 
 それにしても、息子を失った母親を前に、
「これからもまだまだ死ぬよ! お国のためにそれが必要なんだよ!」
 っていうのが、「模範的弔辞」扱いであったという……。
 
 この「演説」を前に、遺族側も、表立って悲願にくれることが抑圧され、「模範的遺族」として振る舞うことを要求される構造だったのであろうなあ、と思います。
(遺族側の「模範的応答」の例もありますがそれは買って読んで頂くとして)
 
 はたまた、女性誌「婦人倶楽部」付録「すぐ役立つ問答式 新実用お作法」より「戦死者の遺族には何と挨拶したらよいか」。

 此の度は、××さんには勇ましい御戦死を遂げられまして、洵にご名誉なことと存じます……やがて護国の神として、靖国神社にお祀りされるご名誉を担はれますことゝ存じます。
 折角お身体を御大切に遊ぱしますやう。

 この場合、日本における一般的な葬祭儀礼についてわれわれが学んできたような、
「このたびはご愁傷様でございます」や「さぞやお力をお落としでございましょう」といった、なぐさめの言葉は強い禁忌とされている。
 その理由として同書では、

 本来、国家の為に戦死したのですから、軍人の本望であり此の上ない名誉で、「お目出度う御座います」といふのが、一番個人を讃へることになります。…

 ……本来、死ぬために戦争に行くわけではないのだから、戦死自体は「軍人の本望」ではないはずなんでは……と思うのですが、それを「死んでおめでとう」にするのが靖国の力なわけです。
「死ぬ=おめでとう!」
 なのであれば、幼女の父親を死なせたことにだって、何ら良心の咎めを覚えるいわれはない。
 戦争を指導する側からすれば、安心してじゃんじゃん兵士を戦死させることができるし、実際そのようになったという……。
 

靖国の子」……戦争遺児を訪問し「父の慈愛」扱いされる東条英機首相。
 いやいや「本当の父」の方はなんで死んだのかと。
 
 銀河英雄伝説(作者の主張はあんまり好きじゃないんですけど)で、自国の戦死者遺族から
「お前のせいで息子が死んだ」
 と非難されたヤン・ウェンリーは、
「軍人の仕事は、結局はいかに効率的に味方を殺すか、ということに過ぎないんだ」
 と自嘲するわけですが(うろおぼえ)。
 
 もし非難されるのではなく、目をキラキラさせた戦争遺族たちに
「母として息子の命はお国に捧げたのです! もう一人の息子も軍人です!」
「私も兵隊さんになってお父様の仇を討ちます!」
 とか口々に言われたら……舌をかみ切っていたかも知れんですよね。
 

「僕たちも英霊の後に続きます!」……と言いなさい。

 
大東亜戦争小国民の常識」……国民学校生徒の上級試験の受験参考書であり、口頭試問の模範解答として作成されたパンフレットである、とのこと。

問:護国の英霊をお迎へした事がありますか、その時どんな感じを持ちましたか。
答:お迎へ申した事があります。元気に勇ましく出征なさった勇士が、今護国の神として無言の凱旋をなさるのかと思ふと大変おいたはしい感じで、胸のふさがる恩ひが致します。
 護国の英霊に対して、どんなに感謝しても感謝しきれない心で一ぱいになると共に、私達もきっと御後を守って米英撃滅に全身を捧げます事を御誓ひ致すのであります。

問:特別攻撃隊真珠湾攻撃の特殊潜航艇隊。いわゆる「九軍神」のこと)のお話の中でも、どんな所に一番感激しましたか。
答:大君の為に一命を捧げ、生死を超越して敵地に飛込まれた事に感激しました事は勿論、特に九勇士の方々が共に親孝行な方であって、少年時代からすぐれた考へを持って見えた事や、特に特殊潜航艇が岩佐中佐以下の万々が心血を洗いで立案された新武器であった事等涙のこぼれる様な心持が致します。

この想定問答集が怖いのは、「常識」はもちろん、模範的「感想」までも子どもたちに叩き込もうとしているところだ。右の真珠湾特攻への模範「感想」なぞその好例

 道徳の教科化。
 
「死ぬのは名誉」→「ボクたち小国民もそれを模範にしよう!」という「正しい」感想を抱くよう要求されていた、という。

 

戦没者遺族を靖国神社・東京観光に無料でご招待!(ただし……)


 靖国神社戦没者を合祀する「招魂式」、ならびにそれに続く「臨時大祭」には、各地から戦没者遺族が招待されたとのこと。
 筆者は以下のように書きます。

 日本全土はもとより朝鮮・台湾などの植民地や満州国から、戦没者遺族たちが招待された。
 臨時大祭を克明に記録した「靖国神社臨時大祭記念写真帖」(陸軍測量部撮影)を見ると、大鳥居から神門を抜けて拝殿前まで、玉砂利の上にむしろがしきつめられ、遺族たちがその上にびっしりと正座している。
 初日から雨にたたられた昭和十七年秋の臨時大祭では、遺族たちが紋付き・袴をびしょ濡れにしたままかしこまって正座しているという、かなり悲惨な写真が残っている。
 こんな状況であるにもかかわらず誰も文句を言う者がいない……、靖国の霊的権威力とは恐ろしいものであると感嘆した。
 全国から参列した遺族たちには宿舎があてがわれ、東京見物などもセットされていた。
 遺族慰安所として、歌舞伎座明治座・有楽座・帝国劇場・東京宝塚劇場などが開放されて、遺族たちはお芝居を楽しみ、皇居・二重橋から神宮外苑・絵画館に明治神宮など、お仕着せ東京観光コースを巡ったようだ。

 単に式典に参列するだけでなく、東京観光もセットであったと。
 
 ……もっとも、「外出の際は必ず大日本婦人会員の案内で行動し、一人で勝手に出歩かないこと」だそうなので、あまり楽しい東京観光ではなかったんではないか、という気も……。
 北朝鮮観光に行くと、政府の観光ガイドが常時張り付いていて、決して単独行動させてくれない、という話を連想するなど。
 
 ともあれ、政府による「ご招待」ですから、交通費は政府負担。
 内地で印刷された乗車券が、時には航空便まで使って、台湾やら満州やらまで配送されたという……。
 大東亜共栄圏すごいですね。
 ……電子メールもFAXもない時代とはいえ、もっと地方分権的な方法はなかったんですかね……? 
 
 それがなかったのです。

 昭和十六年四月十七日付の、警視庁警務部長発、外務省東亜局長宛のこんな文書がある。

 靖国神社臨時大祭参列遺族ノ身元調査方ノ件照会
来る二十五日靖国神社臨時大祭執行に際し之に参列する遺族(満州国中華民国在住者)の身許調査に関しては曩に陸軍省副官より御照会有之候事と存候も右調査の結果に関しては警衛上注意を要する者の有無とも(若し有之節は其住所、氏名、年齢並其の内容を具体的に)直接当方にも御通報相煩度此段及照会候也。
(略)
一、素行上注意を要する者に非ざるや
1、精神病者に非ざるや
2、平素不平不満を抱懐し居り上書建白等の惧れなきや
3、其他警衛上注意を要する者に非ざるや
二、遺族に対する賜金を繞り家庭紛争議等を起し悪化し居るものにに非ざるや

(文書中のカタカナをひらがなに改めた)
 
 いくら「誉の遺族」と持ち上げていても、実のところ大日本帝国が遺族たちに向けるまなざしは、これほど猜疑心に満ちたものであったことがよくわかる調査項目である。
「遺族に対する賜金を繞り家庭紛争議等を起し悪化し居るものにに非ざるや」などと家庭の秘部まで調べ上げよというのだから、おそるべき警察国家というほかはない。
 この要請に基づいて在外公館は、現地警察を駆使して、外地から参列する遺族の身上調査に狂奔した。

 ……靖国神社に参列する遺族の方が一様に「模範的」遺族で、雨の中、紋付き袴で玉砂利の上に正座させられても文句を言わないのは、そもそもそういう人間だけを抽出し、
「美しい靖国」「美しい英霊の親族」
 を、国家を挙げて演出していたからなわけです。
 
 家庭内の調査、というのもなかなか恐ろしい話ですが、個人的には、
「平素不平不満を抱懐し居り上書建白等の惧れなきや」
 というのが心に残りました。
 
 田中正造
「お願いがございます! お願いがございます!」
 みたいなのが紛れ込んでいたら台無しですからね……。
 
 こう……やっぱり北朝鮮の、首都・平壌には「核心階層」に属する政治的に忠実な市民しか住めない、という話を連想したり。

靖国の社頭に聴く」はいいけど、
「よね子か、よくきてくれたね。兄さんは喜んでゐました」
 って、誰に聞いた誰のコメントなんだろう……。
 

業務災害は反逆です、市民。

 
 お国の為に身命を投げ出すのは、もちろん戦地の兵隊さんばかりではありません。
 銃後の産業戦士もまた同様なのであります。
 
 国家総動員法の施行に伴い、未熟練労働者が大量に工場に送り込まれた結果、現場では事故が多発することになりました。
 これに対して発行されたのが、「戦時安全訓」(武田晴爾:産業経済新聞社

 ああっ、産経だ!(他意はありません)
 
 その前文。

 われわれの生産成績如何が、皇国の興廃を決定するのに重要なる要素であることが、はつきりわかつてきた今日、われわれは最早銃後の人と云ふが如き生ぬるい思索を追ふてはならない。
 日毎の職場を決戦の新戦場と念じ、必勝の戦略を練つて不敗の生産を戦ひ取らなければならぬ。
 此の目的を達成するために最も必要なることは、精神力の昂揚である。大和魂にみがきをかけて生産戦を戦ひぬくことである。

 ……ちょっと待って、「安全訓」のはずなのに、「精神力の昂揚」「大和魂」で生産成績を上げよう、って話が前面に来てるんですが。
 
 いや、もちろん安全の話も出てくるんですけど。

 生産職場の安全を希ふ心は、日本に於ても昔からあつた。
 職場に注連縄を帳りめぐらし、もろもろのつみけがれを払ひ給へ清め給へと神に折る心、魔除けの神符を招じて職場にことなきを念ずる心は、古来からの日本の習慣であつた。

「古来からの安全対策」の例として出てくるのが注連縄と魔除けの神符……いやそれ絶対他にもっとマシな例があるはずだと思うんですが。

 米英の安全運動は、もちろん米英の個人思想国家に生長したものであるから、其の底を流れて居るものは、個人主義自由主義である……
 彼等が安全を説く根底は、正邪善悪に非ずして損得利害である……
 此のやうな如何にも低俗幼稚にして悪どい考へ方は絶対に日本の国柄には合はない。

注意:「自由主義」は罵倒語。
 
 ああ……でも、「自分の利害を考える従業員は低俗。日本の国柄には合わない」とかいう経営者、今でもたくさんいそう……。

 われわれの身体は自分勝手に自由にしてはならない陛下の臣民であり、建物設備も機械装置も、事業主のものにして事業主のものではない。
 すべてが陛下に帰一し奉るべきものである。
 若し不注意や過失で災害に身を傷け、設備を破壊したり焼失したりするやうなことがあれば、臣子として申し訳なき不忠である。
……かく考へると、明らかに諸君の身体は、諸君の身体であり乍ら、面も諸君の身体ではない。戦ふ日本国家の身体である。

 職場で事故を起こすのは「不忠」。
 国民の身体は国家の身体……。やっぱり主体思想じゃないか!
 
 公地公民制は奈良時代に廃止されたかと思いきや、大日本帝国では生きていたというですね……。
 

極楽往生する奴は反日

 
「忠霊公葬」論、というのがあったんだそうです。
 
 当時、明治十五年に出された内務省通達により、神職は一般に葬儀への関与が禁止されていたとか。
 
 これに、当時の「愛国」人士が「戦死者の公葬は仏教式ではなく神道式で行うべき」と主張していたという……。

「忠霊公葬」論の急先鋒、大東塾の影山正治は、次のように書いている。

一、聖職奉公のための戦死は生命奉還である。畏こみて大君の辺にこそ死ぬるのである。死して忠霊なほ大君の辺にまつろひ、以て無限に皇運を扶翼し奉るのである。
 若しその霊を阿弥陀仏に托して西方十万億土に送り、釈迦仏に附して彼岸極楽に送りやる如きことあらば、忠死の根本否定であり、忠霊の致命的冒涜である。
 肉体の生命は至尊に捧げるが霊魂の生命は天津日嗣以外に捧げると言ふのでは忠節どころか、恐るべき国体叛逆の大罪である。
 この様な相対忠は絶対に否定されねばならぬ。これでは断じて「天皇陛下万歳」にはならぬ、即ち「天皇機関説」の極致にほかならない。

「陸軍葬再論」「忠霊神葬論」(大東塾出版部、昭和十七年七月)

注意:「天皇機関説」は罵倒語。
 
 ……天皇機関説ってそういうのでしたっけ……?
 
「24時間死ぬまで働け」
 どころか、
「死んでも靖国で護国のため永久に働け。極楽に行くのは国体叛逆の大罪である」
 という恐怖のブラック国家。
 
 靖国に行くのが本当に恩寵なのか、死んでも解けない呪いなのかわからなくなってくるんですが……。
 

まとめ

 
 もちろん、靖国の思想が戦死を賞賛するものであり、それが国家によって利用されていた、ということは、わりあい一般的な知識だと思います。
 
 しかしながら、その「利用」というのは、単に靖国神社の境内や、当時の軍人・政治家の発言に登場していた、という話ではありませんでした。
 靖国の思想は、子ども向けの雑誌や女性向け生活雑誌、業務災害防止マニュアル等々、ありとあらゆる表現に浸透し、国民生活を覆い尽くしていたのです。
 その狂気の片鱗を覗くことができる、という意味で、本書は大変興味深いものです。
 
 一方で、今回挙げたエピソードの中にも、それを狂気として受け止めず、
「戦前の日本人はこんなに愛国的だった」
 等々と持ち上げる人がいかねないのでは……と感じざるを得ない現在の日本でもあります。
 
 靖国というと、公的参拝か私的参拝か、とか、A級戦犯の合祀、といった話ばかりがクローズアップされますが、じゃあA級戦犯分祀すれば政治家が参拝してもOKなのか、というと、全然そうではなく。
 むしろ、A級戦犯が英霊扱い、などというのはわりとどうでもよいことであって、
靖国を讃える人々によって、私やその次の世代が『英霊』にされる日が来るのではないか」
 という怖れこそが本質ではなかろうかと思います。
 
 靖国参拝に反対すると、
「戦死者の慰霊をして何が悪いんだー!」
 とおっしゃる方が必ずいます。
 
 もちろん、戦没者の慰霊をするのは悪くないのです。
 しかし、靖国神社には、「それ以外」の意味があるのですよね……。
 
 個人的には、国立の慰霊施設の建設が実現すれば良い、と思っているのですが……当面望み薄、といった感のある昨今です。
 
 さて、
「お前どんだけ引用してんだよ」
 と思われたかと思いますが、これは本書のごくごく一部に過ぎません。
 
 今回、特に靖国に関わる部分を挙げましたが、本書は「皇国プロパガンダ」全般を扱った本であり、内容は靖国にとどまりません。
 
アメリカ人をぶち殺せ!」等のスローガンがページごとに刷り込まれているという、雑誌「主婦の友」。
「結婚委員」を委嘱し、二十五歳以上の未婚男子と二十三歳以上の未婚女子を「一掃」することを決定した、という、大日本婦人会土浦支部
 昨今の「外国人が見たスゴイ日本」系番組を彷彿とさせる、「イタリア大使館付き陸軍武官の愛娘・フランチェスカちゃん(ファシスト少女団所属)」の日本文化体験記事。
 市営バスの前面に掲げた日の丸が外れて落下した際、とっさに拾おうと飛び降りてトラックにはねられて死んだ女性車掌が「美談」扱いされ、歌やら16ミリ映画やらが作製された……というエピソード(奉安殿の火事で校長が焼死した話は知ってたけど、日の丸かよ……)。
 靖国の妻(戦争未亡人)が、「女性の詰らぬ劣情や、一時的の感情に左右されて」再婚しないよう「日本婦徳」を守ろう、というパンフレット。
 
 ……など、素敵な内容の数々。
 
 ……なのになんで「オススメ度は星3つ」とか書いたかというとですね。
 
 著者の文章、上で引用を避けた部分の書きぶりが。
>少年少女が「涙のこぼれる様な心持ち」なんて答えるのだから、靖国フェチの人びとはたまらなく萌えるのであろう。
 とか、
大日本帝国の通信インフラは神がかりのアホ文書であふれかえっていたのだろう。
 とか、
>子どものあごに手をかけグッと上に向かせるのは、太りぐあいと血色を凡る「人買いの品定め」ポーズ。まるで、出征したお父様の生き血を啜った現代の山椒大夫に、女の子が品定めをされているようです。
 とか、いちいち扇情的な文章が多くてですね……(人のことは言えない、という話もありますが)。
 
 挙げられた資料は、それだけ見ても充分狂気が伝わってくるものばかりなので、あえて煽っていただく必要はないんではないかな……と思うのですが、元々が雑誌連載だった文章をまとめたものだ、というので、そう考えるとまあ腑に落ちるかな、と……。
 ともあれ、買って他人に勧めるには難しい本です。
 
 しかし、この記事を読んで「興味深いな……」と思われた方にはオススメかな、と思います。
 

 コタツやあやとり、水墨画を珍しがるフランチェスカさん。
 あれ、これこの前テレビでやってたような……(錯覚)。

*1:実のところ、人権作文の方が出品数は遥かに多い。学校経由で半強制的に集めてるから

きくまこ氏を擁護する。「菊池氏は原発カルトではない」編

まえがき

 
 物理学者で、疑似科学批判に熱心な菊池誠氏ですが、一部はてな左派からバッシングされているようなので、擁護してみたいと思います。
 
 叩いてる人の意見を概観するに、「罪状」は主に3つ。
 
原発推進派である。
ナチスシンパである。
靖国カルトの支持者である。
 
 そりゃ大変。
 ほんとにそんな人だったら私も叩きますけど。
 
 ……まあ、別に菊池氏は知り合いでもなんでもないので、叩かれても放っておけばいいかもしれないんですけど……。
 ただ、なんか、氏への謎バッシングが「坊主憎けりゃ」現象を引き起こした結果、
疑似科学批判はファシストだ!」
 みたいなことを言い出す左派の人がいるようで……。
 
 そういう人の発言を放置すると、今度は中間層の人から
「左派って疑似科学擁護なんでしょ?」
 みたいなイメージを抱かれかねないのでは、と私は懸念しています。
 
 私は左派だと思うけど、疑似科学擁護扱いされるのはまっぴらごめんで。
 
 とりあえず今回は、菊池氏の原発問題に関する批判を確認してみたいと思います。
 ……それが、問題の始まりだったのでは、と思えるので。
 

批判の例。

 
「隅田金属日誌」ブログの記事、ニセ科学を非難するヤツはたいてい理系カルト」http://schmidametallborsig.blog130.fc2.com/blog-entry-1749.html)は、まず、菊池氏の以下のツイートを引用します。*1


 で、その上で、以下のように書きます。

■ 社会的な意思決定の場に理系カルトが出てくると健全な意思決定ができない
 
 ご自身の原発カルト、理系カルトもそのままではないのかと。
 
 モディファイすると菊池さんが非難される構造として全く違和感がないものが生まれる。

僕が原発カルトを非難するのは、社会的な意思決定の場に理系カルトが出てくると健全な意思決定ができないからだ。極端な話、「事故で放射能を撒き散らしたけど大した影響はないから我慢しろ」と行政が決めたら大変なことになる。エネルギー政策などを見ると、それもそれほど笑いごとではない。健全な民主主義には健全な常識が必要だ。人間社会を理解できないお理工さんのの出る幕はない。
(太字は筆者による改変部)

 ……まあ、お気づきの通り、これは「批判」などと呼べるようなものではありませんけども。
 
 他人の発言を「モディファイ」などしたところで何かを論証できるものではないですし。
 それで「構造として全く違和感がない」のは、菊池氏の元発言が論理的におかしくないことの証明だとしか言いようがない。
 
 菊池氏が「理系カルト」「原発カルト」だ、という認識がすでにある人は、これを読んで喜ぶかも知れませんが、そう思っていない層を説得する力はない……というか、むしろ気味悪がられるだけだろうと思います。
 そういう意味で、非常に内輪向けの文章に思えます。
 
 記事後半、SF作家・野尻抱介氏への批判はおおよそ的を射たものだと思うだけに、「なんでこれ並べて書いたんだろう?」という。
 
 そもそも、EMを例に挙げて疑似科学の危険性を警告する、菊池氏の発言には何もおかしな点はないわけで。
 それをわざわざ批判のために引用などしては、
「左派は疑似科学擁護」「反原発はEM信者」
 等と見なされるのでは、という懸念を覚えます。
 
(そもそも、記事のタイトルが「ニセ科学を非難するヤツはたいてい理系カルト」ですからね……)
 

実際のとこどうなのか。

 
 菊池氏の原発問題に関する立場は概ね以下のようだと思います。
 
原発を推進するかどうかは社会が決定すべきことで、科学が決めることではない。
・ただ、福島第一原発事故があった以上、原発推進はあり得ない。
・2世代後、3世代後の子孫がどういう判断をするかはわからない。それは子孫の判断に委ねるべき。
・停止中の原発については、安全性の審査が済んだのであれば再稼働すべき。
・福島の農産物が放射能で危険だとか鼻血が出るとかいうデマは問題だ。
 
 一つの目安として、いつぞや話題になった「原発政策レーダー」にあてはめてみましょう。https://togetter.com/li/157815*2
 右上が原発推進、左下が反原発、ということになります。

「長期的には脱原発」「短期的には(審査を経て)再稼働」
 ということなので、菊池氏の立場はC-4あたりになろうかと思います。
(どうでもいいですが、私はもうちょっと左下になります)
 
「段階的脱原発派」とでもいうべき立場だと言えるでしょう。
 
「嘘だ! あいつはそんな奴じゃない!」
 とか言われそうなのでいくつか本人のツイートを引用します。




 このへんの
原発の是非は民主的手続きが決めるんだよ」
 というのは……まあもっともなこととは思います。
 
 そこから
「再稼働の是非も民主的手段で決まるよ。民主政府が決めた手続きに則って粛々と進められるべきだよ」
 になるんだろうなあ、と思うんですが……私は「民主国家の国民は政府に従順であるべきだ」とは思わないなあ……(ソクラテスは毒ニンジンを飲むべきではなかった派)。
 唐突な「幸福の科学」disは、「靖国カルト編」の伏線です。(書く機会があれば)

「デマはいかん」については、ツイッターとかでなく、メディアの取材記事にもなっていますので、そっち参照した方がいいかもですが。
 
・週プレNEWS「科学から見た反原発の問題点 菊池 誠「“御用”のレッテルで科学を殺すな」」http://wpb.shueisha.co.jp/2012/07/03/12292/
 
 編集部がつけたタイトルは「反原発の問題点」になってますけど、内容的にはデマ批判。
 
 あとまあ、菊池氏一番の失言といえるのはこれでしょうか。


 本発言については本人も釈明しているし、まとめも色々あるのですが、はてなブログで記事を書いてる方がいたのでリンク。
 
「妄想科學倶楽部」ブログの記事、「未だ続く「メルトダウン」発言問題に関して」。(http://docseri.hatenablog.jp/entry/2015/03/20/113330
 
 まあ要するに、菊池氏は「メルトダウン=臨界事故によって炉心が溶融すること」だと考えていた(そしてそれは起きなかった)が、崩壊熱で燃料棒が溶けることも「メルトダウン」と呼ばれることを後から知った、という。
 
 結局の所、「メルトダウン」というのは原子力工学などで厳密な定義のある言葉じゃなくて。
 あの頃も、マスコミが「メルトダウンしたのか、どうなのか」と言質を取ろうと迫る一方、東電側が「メルトダウンは(自分たちの定義では)していない」と答える、という、えらく不毛な状況だった記憶があります。
 何をどう定義しようと、事故の状況が変わるわけじゃないんですぜ。
 
 はてブを見ても、この発言を持ち出して「エア御用」「原発カルト」呼ばわりしている人がいるようなので、まあ……失態だったなあ、とは思いますが。
(しかし、元のツイートが事故直後の2011年3月、リンクしたブログが2015年3月、そしてこの現状という……。元発言がたかだか百数十RTに過ぎない(この記事書いた時点では)、というのもちょっと驚きです)
 
 ところで、さきほど引用の
 
>「反原発運動は放射能デマを駆逐できるか」が問われている
 
 に、猛烈に反発する左派の方がいたりします。
 
「模型とかキャラ弁とか歴史とか」ブログ記事、「素人を「動員」してどうするつもりなの?「専門でないので言及しない」のは正当な理由である筈」。(http://d.hatena.ne.jp/D_Amon/20161230/p1
 
 id:D_Amon氏は、件の発言を引用した上で、

粛々と放射能デマ批判をしていればいいのに、なんでキクマコ先生は反原発派に対し放射能デマを駆逐するよう運動論をぶつのでしょうね。

原発放射能デマと共闘しているとかいうことがあって、それを批判するならまだわかりますが、反原発放射能デマを駆逐できないことをもって批判するのは理不尽というか、無理難題を要求していると思います。

 等と批判します。
 
 ここらへん、まことに不幸な行き違いだなあ、と思います。
 
 さきに見たとおり、菊池氏自身は脱原発寄りです。
 そして、脱原発派は疑似科学を排除すべきだと考えており、そして自ら率先してそれを行っているわけです。
 
 立派な態度だと言わざるを得ません。 
 
 しかしながら、id:D_Amon氏は、菊池氏を逆に「反原発派の敵」と見なしているため、
「デマを駆逐できるかが問われている」
 という発言に
「(敵から)無理難題を要求された!」
 と反発し、「悪質な誘導姿勢」などと糾弾するわけです。

はてなブックマーク - はてなブックマーク - はてなブックマーク - 「〜で弱者が死ぬ」「〜が人を殺す」という動員要求 - 模型とかキャラ弁とか歴史とか

原発内にある疑似科学の批判自体は正しくても、対象の人が仮に反原発の主流が疑似科学であるかのように批判する人で、そのことに対して運動論をぶつ人であれば、「動員要求」ですし誘導姿勢も悪質ですね>id:filinion

2016/12/30 03:12

 で、さらに

これらの発言は運動論としても「反反沖縄基地運動は幸福の科学を駆逐できるか」「反反沖縄基地運動から幸福の科学を排除するのは急務」並みに陳腐な発言だと思います。
 
幸福の科学が勝手に関与してくるのに、仮にそれを排除できない方が悪いと言われれば、反反沖縄基地運動も反反原発も困ってしまうのではないでしょうか。まあ、そういう人々がそういうことを言われることはないのだろうとは思いますが。

 という謎の例え話を持ち出し、
放射能デマが勝手に絡んでくるだけなので、デマを批判する必要はない」
 と主張します。
 
 ……あたかも、菊池氏が幸福の科学と仲良しな反・反基地運動支持者だ、みたいな物言いですけど……。
 それは「菊池誠原発カルトで理系カルトのファシストだ!」という色眼鏡で見てるからそう見えるだけですよね……?
 当てこすりのつもりなんでしょうけど当てこすれてない。
 
 そこは、
「自分には知識がないから疑似科学批判は難しいが、被災者の人権侵害に繋がるデマは問題だと思っている。デマ批判の先頭に立っている菊池氏には敬意を表する」
 とでも言えばいいのに……。
 
 っていうか、この記事書くのにググってたら、kanose氏が4年半も前に疑問を呈してましたよ……。(私もブクマしてた)
 
「ARTIFACT@ハテナ系」ブログ記事菊池誠氏は科学者としてダメというが、どの辺がダメなのか誰か説明して欲しい」http://d.hatena.ne.jp/kanose/20120622/kikumaco
 
 ここのコメント欄とかブコメとか見ても「ああ……」って感じ。
 溝は埋まらない……というか、広がる一方なんだな、という。


 
 ともあれ、この記事はツイートの引用が主なので、
「偏った引用だ!」
 といったご意見は当然あろうと思います。
 
 私も「何が何でも菊池氏を擁護しなければ」というような利害関係があるわけでは全然ありませんので、
「菊池氏は原発推進派だ!」
 ということが明確な発言などご存じの方がいらっしゃいましたら、ぜひコメント欄でお知らせください。
 

追記:反原発運動の不都合な点を指摘するのは「反・反原発」なのか。

 
id:D_Amon氏は、




……といったツイートを引用し、
 
>どのようなエビデンスがあってそのように主張しているのか知りたいものである。
http://d.hatena.ne.jp/D_Amon/20170112/p1
 
>(「反原発運動に取り組んでいる人たちの少なからず」ってどう調査したどんな根拠があるのでしょうね)
http://d.hatena.ne.jp/D_Amon/20161230/p1
 
 ……などと述べ、菊池氏が「反・反原発」であることの証拠にしようとしています。
 
 ……いや…………………………どうですかね?
 
 っていうか、D_Amon氏がそう言ってるのはこの記事を書く前から知ってたんですが、つい言及を避けた論点なんですよね、それ……。
 
 観測範囲問題かも知れませんが、割合としてどの程度であるかはさておき、反原発運動の中に放射能デマの人が少なからずいる、というのは明白な事実ではないでしょうか。(←言いたくなかった)
 それを指摘されて「エビデンスを示せ! この原発カルトめ!」とか言うのは、現実逃避というか論点逸らしというか“現在”修正主義的というか……。
 
 例えば、群馬大学早川由紀夫氏がその一例でしょう。
 氏が熱烈に反原発を主張し、なおかつ、福島の風評被害を拡大するようなデマを流してきたことはよく知られていると思います。(これもエビデンスが必要でしょうか?)
 
 ちなみに、「早川由紀夫の火山ブログ」の記事ニセ科学批判運動の真の目的」http://kipuka.blog70.fc2.com/blog-entry-508.html)では、こんなことが書いてあります。

菊池誠をリーダーとするニセ科学批判クラスタ放射能安全を強調するクラスタは、かなりの部分が重なる。
 (中略)
彼らの真の理由そして目的は、現社会体制の維持継続を不安にさせる要因を早期につぶすことだったのだろう。

そう考えると、菊池誠をリーダーとするニセ科学批判クラスタが今回科学をかなぐり捨てて、やみくもに放射能安全を強調する側に立ったことがよく理解できる。原発こそが、ほんらい彼らがもっとも力を入れて批判すべきニセ科学だったはずだ。運転で生じる毒を始末するすべをもっていない技術なのだから。

ニセ科学批判の人たちは権威あるい当局と親和性が高い。その本質はもともと「御用」にあったとみられる。

 氏の主張は、「反原発」「放射能デマ」「菊池誠疑似科学批判は権力の手先!」が分かちがたく結びついた一例だと思います。
(まあ、正直なところ、この記事「だけ」ならD_Amon氏も賛同するのでは? とも思えますが)
 
 その他、広瀬隆氏とか武田邦彦氏とか小野俊一氏とか「美味しんぼ」とか、反原発に熱心な人が同時に放射能デマ拡散にも熱心である例は多数あると思うのです。
 有名人を数人挙げただけですが、これらのブログのコメント欄を見れば、それに賛同する「反原発放射能デマ」の一般人が多数いるらしいことは残念ながら否定しがたいと思います。
 
 はたまた、
「全国中学生人権作文コンテスト」で、福島の桃がテーマの「それでも僕は桃を買う」が総理大臣賞受賞(http://www.moj.go.jp/content/000116357.pdf
 というニュースに、
「御用学者の卵」
「政府やマスコミの情報操作」
「洗脳」
「福島産を避けるのは差別でも偏見でもない」
 などと罵る「一般市民」の例もあります。
https://togetter.com/li/596758
 
 ……もちろん、D_Amon氏に、「お前もそのデマ野郎の仲間だ! 被災者を傷つけるエセ人権派め!」などと言うつもりはありません。
 
 例えば、先日、氏が(好意的に)ブクマしていらした、物理学者、早野龍五氏のインタビュー記事。
BuzzFeed「科学者がいま、福島の若い世代に伝えたいこと 「福島に生まれたことを後悔する必要はどこにもない」」https://www.buzzfeed.com/satoruishido/hayano-san-01
 
 この記事を、反原発派・小野俊一氏は口を極めて罵ってますからね。
「院長の独り言」ブログ記事「1419.広島や長崎の歴史を僕たちは克服していないと豪語する早野龍五」http://onodekita.sblo.jp/article/178341784.html

・フクシマにはなんの問題もないと主張する早野龍伍氏が、新春のインタビューであろうことか「広島・長崎の歴史を克服していない」と発言した
・この発言は、加害者の米国が作り上げた神話に基づいており、馬脚を現したと言える
・非常に腹立たしい発言であり、ここで問題提起しておく

 福島の被害を過小評価しようとする中心人物の一人である早野龍五が、Buzzfeedのインタビューに出ていたのでこちらで紹介したい。

 ですから、D_Amon氏が、放射能デマと一線を画しておられることはわかっています。
 
 しかし、反原発運動の中に放射能デマが多数存在していることまで否定するのは非現実的ですし、見ようによっては、
「反原発派は内部にデマが多いことを認めない→どうしても身内のデマを否定したがらない→やはり反原発はデマ擁護」
 と見なされかねない態度だと思います。
 
 菊池誠氏が言うように、
「反原発運動の内部には放射能デマに親和的な人も多い。我々はデマを排除できるかどうかを問われている」
 というのは、残念ながら確かな事実だと思います。
 
「残念な事実」を指摘されて逆上するのでは、歴史修正主義ネトウヨと変わるところがないではありませんか……。
 
 ……まあ……偉そうなことを言いつつも、私が当初この論点を「避けて」しまったのは、
 
「私も反原発だし、“反原発を主張する人の中にはデマを語る人も多い”なんて言うのは気が進まないなあ……」
「引用するとしたら、知名度だけはあるデマ屋さんにリンクを張ることになるから、めんどくさい人がコメント欄に沸きそうだし……」
「まあ、“放射能デマを信じてる反原発の人がけっこういる”なんてこと、あえて言わなくてもみんなわかってくれるよね?」
 
 ……と思ってしまった、というのが原因なので、D_Amon氏ばかりを身びいきだとは言えないのですけど。
 

*1:ツイートの画像を張ってらっしゃるんですけど、FC2ブログってツイート埋め込めないんですかね。不便ですね。

*2:別に権威ある団体とかが作製したものではないですが、まあ、目安として。