あけましておめでとうございます。
今年は良い年でありますように。(切望)
……で、新年早々、不特定多数(それも、どうやら日本人の過半数)にケンカを売るような話を。
ええと、歌には歌詞というものがあります。
歌詞は詩です。
つまり文学作品です。(「ブンガクじゃなくてオンガクじゃないのか」とかいうツッコミは却下)
文学作品には、テーマが秘められています。
……秘められていなければならないのです。
文学、と言えるかどうかわかりませんが、例えば、民話「鶴の恩返し」を考えてみます。
(「鶴女房」とも。というか、木下順二の「夕鶴」)
あの話のテーマが何か、受け手によって様々な考えがあり得ると思います。
例えば、
「約束は守らなければならない」
とか、
「異種結婚は必ず破綻する」
とか。
あるいは、
「たとえ夫婦間といえど、互いに踏み込んではならない領域が存在する」
……と、いったところでしょうか。*1
しかしながら、話の中で、これらが直接語られることはありません。
あの話のラストは、
「本当の姿を知られてしまっては、これ以上一緒にいるわけには参りません。さようなら」
……と言って、鶴であった娘が去っていくのであって。
もしもこれが、
「本当の姿を知られてしまっては、これ以上一緒にいるわけには参りません。やっぱり、異種結婚は破綻するものなのです。それに、約束は守らないといけませんよ。たとえ夫婦間であっても、互いに踏み込んではならない領域が存在するのですから。それではさようなら」
ばさばさばさー。
……台無しですよね?
つまり何が言いたいのかというと。
私は「世界に一つだけの花」*2が嫌いだ!
……ということです。
いや、あの歌で語られている、「かけがえのない自分を大切にしよう」的な主張には、全面的に賛成するんですが。
ただ、それが前面に出すぎですよ。
詩というのは、「テーマが秘められている」べきなのであって。
全然秘められてませんからあれ。
例えば仮に、あれと同じことを、星野富弘さんが書いたとします。
*3
件の詩を書くとしたら、たぶん、画面の下半分にいろいろな花が並んでいる絵で、その上に詩が。
そうすると、星野さんなら、
花屋の店先に並んだ
いろんな花を見ていた
人それぞれ好みはあるけど
どれもみんなきれいだね
……あたりでやめにするんじゃないかと。
この中で誰が一番だなんて
争うこともしないで
バケツの中誇らしげに
しゃんと胸を張っている
……あたりまで来ると、ちょっとくどいんじゃないでしょうか。
(この一節だけ使う、って手もあるかなあ)
それなのに僕ら人間は
どうしてこうも比べたがる?
一人一人違うのにその中で
一番になりたがる?
もうその辺にしませんか星野さん。
そうさ僕等は
世界に一つだけの花
一人一人違う種を持つ
その花を咲かせることだけに一生懸命になればいい
台無しです星野さん。*4
繰り返しになりますが、決して、あの歌の言っていることが間違っているとか、そういう話ではなくて。
ただ、あれは歌詞というより、スローガンとか演説とか呼ばれるものに近いと思うのです。
スローガンとか演説とかが、詩よりも劣ったものだというわけではありません。
でも、普通、演説に曲をつけて歌ったりしないだろう、と思うわけです。
そんなに直接的に教えてもらわなくたって、相手の言いたいことを読み取る(聞き取る)能力は、日本人にはちゃんとあると思うんですけど。
……と、そんなわけで、あの歌は、私の中ではかなり台無しな歌なんです。
あの歌が嫌いなのは昔からで、ここに書こうかと思ったこともあったんですが。
ただ、ブログを書き始めた時点で、すでにちょっと昔の歌になってしまったかな、という気がしていたのでそのままに。
……それがまさか、紅白で「スキウタの一位」として歌われるとは……。
あんな、説明的で説教臭い歌のどこがいいんだよ……。
と、こんなひねくれた私ですが、本年もよろしくお願いいたします。
*1:民話の常として、「鶴の恩返し」にも様々のバリエーションがあり、鶴を助けるのが若い男だったりおじいさんとおばあさんであったり。
男の名も、「夕鶴」の「与ひょう」の他、「金蔵」など。
*2:作曲:槇原 敬之. 作詞:槇原 敬之
なお、本稿はこの曲の歌詞についての批評を行うものであり、「他の詩人ならどうしたか?」という想定をする上で、歌詞の引用が必要でした。
それゆえ、これは著作権法第32条に認められた引用の範囲に含まれるものと考えます。
たぶん。
*3:この画像は、こちらからもらってきました。
http://www.kaiseisha.co.jp/newbook/new005.html
*4:すみません星野さん。