救急車ふたたび

「救急車編」「入退院編」と続いてもう終わる予定だったのに続いてしまいました。
 つまりまた奧さんが倒れたわけです。
奧さんが入退院しました。(救急車編) - 小学校笑いぐさ日記
奧さんが入退院しました。(入院~退院編) - 小学校笑いぐさ日記
 
 結論から言うと、てんかんの診断が出ました。
 
 ある日の夜中のこと。
 奧さんは寝ていて、私は夜更かししてネットを見ていました。
 
 すると、寝室の方から妙な音が。
 奧さんはわりとよくいびきをかくのですが、それとはまた違う、「ぶーっ! ぶーっ!」という感じの音。
 
 何か変だぞ、と思って様子を見に行くと、ベッドに寝ていた奧さんが、白目を剥いて、後ろに海老反りのようにのけぞっていました。
 唇をぎゅっとすぼめて、霧吹きみたいに唾を吹いています。私が聞いたのはその音だったのです。
 腕は体の前にぴんと伸びていて、口の端からはよだれが垂れていて、それが血の混ざったピンク色でした。
 
「ちょ、ちょっとちょっと? 起きて起きて!」
 声を掛けて肩をゆすりましたが応答がありません。*1
 
 脳内に、職場で見た緊急対応フローチャートがおぼろげに浮かび上がります。
 
・意識なし
・呼吸あり
 
「これは救急車呼ばねば」
 
 人生で2度目の119番通報。
「火事ですか救急ですか」
「救急です」
「どうされましたか」
「寝ていた妻が……」
 
 ……と、一通り状況を伝えると、司令室の人(女性でした)が、
「それでは、寝室でうなり声がするので様子を見に行くと、奧さんが痙攣して倒れていた、ということですね?」
 
 うなり声? なのかあれは? 痙攣? 確かに腕がぶるぶるしていたかも知れない……?
 
「ええ……まあ」
「気が付いてすぐ通報されたのであれば、今から2・3分前ですね?」
「はい」
「意識がないということでしたが、本当に意識がないか、もう一度確認していただけますか?」
「はい」
 
 いや、絶対なかったぞあれは……と思いながらもう一度寝室に行くと、奧さんは白目ではなくなっていました。
 なんだか呆然とした顔でベッドに座っています。
 
「気が付いたの? 今、救急車を呼ぶからね」
「なんで!? なんで!?」
 ひどく動揺した……というか、「ここはどこ? 私はだれ?」みたいな様子。
「今、奧さんの様子がおかしかったから、119番したんだよ」
「なんで!? なんで!?」
 
 意識はあるけどどうも様子がおかしい。
 再び電話口に戻って、
 
「意識は戻ったみたいなんですが、どうも受け答えの様子がおかしくて……」
「わかりました。それでは救急車を手配します」
 
 そうして、再び奧さんに声を掛けたり、救急隊から電話が掛かってきて「近くで誘導していただけますか」と言われたり、前回みたいに吐いたら大変なので風呂場から手桶を持ってきたりしていたら救急車が到着しました。(到着があっという間で、誘導に出る暇がなかった)
 
 ベッドの回りに3・4人の救急隊員が集まって、羽毛布団の上でよくわからんオシログラフ(心電図?)がぴかぴかして、いまだ呆然とした表情の奧さんと救急隊員が
「K村さーん、この間もここから救急車に乗りましたけど、覚えてますか?」
「いえ……」
「今日が何月何日か、わかりますか?」
「わかりません……」
「季節はわかりますか?」
「……冬?」(掛け布団を見て答えてた。この時は冬でした)
 みたいな会話をしていたり、私は私で
「それではこちらの書類に奧さんの氏名と年齢と……」
「すいませーん、ティッシュお借りしてもいいですか?」
 とか呼ばれて、心配する間もなく奧さんはストレッチャーに乗せられて階段を降りていきました。
 結局、今回は嘔吐はなかったのですが、救急隊員の一人が、ティッシュを敷いた白いプラスチックの容器(料理用のボウルみたいな)をずっと奧さんの口元にあてがっていました。
 
 しばらくすると、救急隊員から、
「搬送先ですが、前回入院された脳神経外科が、診察だけならしてくれるそうですがどうしますか」
「え……それは、入院はできないということ?」
「そうですね」
「入院が必要な場合は他の病院に転院になる?」
「まあ、そういうことになりますね」
「それなら、他の病院を探してもらえませんか? 別に、前の病院にこだわらないので」
「わかりました、それじゃしばらくお待ちください。雨だし、救急車の中でどうぞ」
 
 そりゃあ前の病院にはカルテとかあるから状況は分かってるだろうけど、入院できないのでは困る。コロナのせいなんでしょうか。(と、この時は思った)
 ストレッチャーで寝ている奧さんの顔を見ながらしばらく待った後、ようやく搬送先が決まり、今回も私は車で向かいました。
 
 病院に着くと、先に待っていた救急隊員が、
「奧さんはもう診察室にいらっしゃいますので」
「お世話になりました」
「それから、こちらはお返しします」
 と、白いポリ袋に入った何かを渡してくれました。
 何だろう? と開けてみると、キッチンにあったボウルでした。
 
 いやあれウチのボウルだったんかい。
 
 前回の「奧さんの保険証は黒いトートバッグの中に入ってましたよ」でも思ったけど、救急隊の方のこういう遠慮のなさは頼もしいと思います。その場にあるものは何でも遠慮なく使って欲しい。命より大切なものはないですから。
 
 ……で、奧さんを診察した医師曰く、
「じゃあ、紹介状書くので、朝になったら(もう明け方近かった)脳神経外科を受診してもらえますか」
「えっ」
 
 入院しなくていいのか。
 前回の経験を生かして、もう入院用の衣類とか手提げ袋にまとめて持ってきていたというのに。(なおお守り袋は今回も忘れた)
 
 そして受診が終わった奥さんはめちゃくちゃ眠そうで、会計で呼ばれるまでの間に、待合室のソファに横になって寝てしまう始末。
 
「あのさ、車、表の来院者用駐車場に停めちゃったからちょっと遠いんだけど、歩ける?」
「……ねむくてあるけない」
「じゃあ、ここで待っててくれる?」
「ねむい」
 
 仕方がないので、受付の人に「あそこのソファでうちの妻が寝ちゃったので、車を回してくるまで様子を見ててください」とお願いして車を取りに行きました。
 
 いくら徹夜だからってそこまで眠いのは普通じゃない。
 徹夜なのは私も同じ(むしろ私の方が寝てない)なのに。
 後で調べると、てんかんの発作は脳が非常に興奮する状態なので、発作の後は強い眠気が出たりするそうです。
 
 帰宅した時にはもう夜明け。
 なんだか足がふらついて階段をうまく昇れない奧さんをどうにかベッドに寝かせ、私も仮眠を取りました。
 
 平日だったので、7時過ぎに学校に電話して教頭に事情を説明し、その日は休みをもらいました。
 
脳神経外科へ紹介状をもらったので、今日はそちらで診察を受ける予定です」
「わかった、お大事にね。何時頃病院に行くの?」
「ええと……9時受け付け開始です」
「わかった」
 
 それで再びうとうとしていると学校から電話が。
 
「あのねえ、校長先生にお伝えしたら、脳のことは急いだ方がいいし、いい病院があるからそっちを紹介するって……今替わるね」
 
 校長曰く、紹介状がなくても受診できる病院があって、早朝でもやっているのでそっちにかかった方がいい、という……。
 
 お話はありがたく聞いたのですが、
 
・私がもう限界まで眠くてそんな遠くまで運転できない。
・超眠そうだった奧さんもぐっすり寝ていて起こすにしのびない。
・病院で「明朝受診を」って言って帰されたのにそんなに緊急を要するとは思えない。
 
 という理由で、聞くだけ聞いてまた寝ました。
(これがアドバイス罪か……)
 と思いながら。
 
 で、ひと眠りして脳神経外科で診察を受けると、
 
「うちの病院、てんかんの専門医は週に一度しか来ないので、また明日来てもらえますか。とりあえず今日の分の薬は出しておきますね」
 
 学校に電話して翌日も休みをもらい、また折り返し電話が掛かってきて校長から別な病院を勧められました。
 アドバイス罪。
 
 とはいえ、校長は身内を脳溢血で亡くされたそうなので、気持ちもわかるのですが。 
 
 翌日、脳波検査をして、てんかん専門医の診断を受けると、
 
てんかんですね」
「そうですか……」
てんかんは子どもの時に発症する病気、と思われがちですが、K村さんのように成人してから初めての発作が起きることも珍しくはないんですよ」
「前回の脳波検査では、少し気になるところがあるけどてんかん特有の脳波とはいえない、とのことでしたが」
てんかん特有の波形があればの時点で診断が確定するんですが、発作の時にしか波形が出ない患者さんもいます。『てんかん特有の波形がないからてんかんでない』というわけではないんですね」
「なるほど……」
「K村さんはこれで2回目の発作ですからね。発作が2回あったらてんかん、という診断基準になっています。それに、お話だと、発作が起きる直前、ベッドでスマホを見ていたら、顔の半分がしびれるような感覚があった、とのことですが、そういう前兆を感じるのもてんかんに典型的といえます」
「これからどうすればいいんでしょう」
「ともかく、てんかんそのものを治療する方法はありません。薬を飲んで、発作を抑えていくことになります。色々なお薬があるので、体に合ったものを探していきましょう」
「何が原因なんでしょう」
「はっきりと『これが原因です』と言うことはできません。MRIでも、目に見えるような病変とか血栓とかはありませんでした。検査では確認できないような小さな病変が起きて、それが発作を引き起こしているんだと考えられます。ただ、ストレスや睡眠不足は発作の引き金になるので、今後は避けてください」
「車は……?」
「現在の法律では、最後の発作から2年間は車の運転ができないことになっています。2年経てば基本的に試験なしで運転免許を再取得できるのですが、途中で発作があるとそこから2年待つことになります。諸外国に比べて厳しい規制だと思うのですが……まあ、我々にどうこうできることではないので」
 
 奧さんは、自分がてんかんだという診断に納得していない様子でした。
 まあ、MRIで異常もなく、脳波にてんかん特有の波形もなく、ただ2回倒れたから自動的にてんかん扱いで一生薬を飲め、と言われたのでは納得できない気持ちもわかります。
 
 ただ、奧さんにとっては「ベッドで寝ていて気が付いたら病院だった」という状態ですが、私は発作の様子を見ているので……。
(奧さんは、救急隊員に「今日は何月何日ですか?」と聞かれたことも、病院の待合室で寝てしまったことも覚えていないのだそうです)
 私は、前回の発作の後、てんかんについて少し調べたこともあって、正直「やっぱりてんかんだったのか……」という気持ちでした。
 
 ネットでもちょっと調べました。
てんかんについて | てんかんとは | てんかんinfo
 てんかんの発作は見た目は派手なことも多いですが、それ自体に命の危険はないので、安全なところで横にして回復を待てばよいのだそうです。救急車はいらない。
 いやでもびっくりするけどな。
 
 上のサイトには、
「患者さん自身に発作の記憶や意識がないことも多いので、周囲の人から得られる情報も重要です。発作時の状況を詳しくメモしたり、発作の様子を携帯電話などで録画しておくことも役立ちます」
 とか書いてあるけど、「これはてんかんの発作だから危険はない」ってわかっていればともかく、そうと知らない状態であれを落ち着いて録画してる人がいたらちょっとおかしいと思う。
 
 とはいえ、思えば、てんかんでないと思っていたのは私と本人だけで、周辺の医療関係者はみんな最初からそう考えていたのだと思います。
 
 紹介状を持って行った脳神経外科で「てんかん専門医は明日にならないと来ないので」と言われたこと。
 その前、救急車で運ばれた病院で、紹介状をもらってその晩のうちに帰されたこと。
 さらには、救急隊が「入院はできないけど脳神経外科に運びますか?」と尋ねたこと。
 もっと前、119番をした時、「本当に意識がないかもう一度確認してください」と言われたこと。
 そもそも、最初の入院の時に「同じ発作があったらまた受診してください」と妙に念を押されたこと。
 
 あれは全部、内心で「これはてんかんじゃないかな……」と思っていたからこその対応だったのですね。
 
 最初の入院で謎だった、腕と顔のあざも、ただ意識を失って倒れただけでなく、けいれん発作でテーブルなどにぶつけたのだと考えれば筋が通ります。
 
 ……と、ここまで書いたのが、もうしばらく前(まだ冬だった頃)の話。
 
 現在は、奧さんは運転免許は返納、車も処分してしまいました。
 私が奧さんの勤務先まで車で送り、そこから自分の勤務先に向かうような生活。
 私が以前より少し早く家を出るのは仕方ないのですが、奧さんは少しどころでないです。
 というのも、そもそもの勤務開始時刻が美術館より学校の方が早いので、奧さんの出勤は以前よりやたら早くなってしまいました。 
 
 また、休日はあちこち飛び回っていた奧さんですが、今はそれも難しくなっています。
 田舎暮らしなので車がないと外出が厳しい上、勤務先が市営美術館で、学校勤務の私と休日が合わないのです。
 あと、私は引きこもりで車の運転が好きでない。(ひどい)
 
 ひどい……けど、でもほんと、奧さんは何時間も車を運転しても平気だったけど、その奧さんの要望に添って2時間ほどあちこち運転したら私はめちゃくちゃストレスがたまって手が震えてきたので危ない。
 一日だけならともかく、今後当分は続くことを思うと、私自身にとっても持続可能な支援でないといけないと思います。SDGs
 
 ちょっと前までは夫婦そろってまあ元気だったのに、ある日突然生活が一変してしまうのだなあ、と、つくづく思います。
 まあ、とりあえず2年間経てば免許証が戻ってくる(はず)という区切りがあるし、運転できない以外はほとんど健康なので、介護としては軽い方……というか、「介護のチュートリアル」みたいなものかな、と思っています。
 
 てんかんの有病率は1%ほど。
 よくある病気ではないけれど、そこまで珍しい病気でもありません。
 
「一寸先は闇」と言いますが、皆様もどうか備えてください。

*1: てんかんの発作の時は声を掛けない方がいいらしいのですが、この時はそもそもてんかんだと知らないので。