犯罪が起き、その判決が下った時に、しばしば「被害者/遺族には納得できない思いが云々」って話があります。
しかし私が常々思うのは、犯罪の量刑に被害者やその親族・遺族の心情を酌量すべきでない、ということです。
だって客観的な意見ではないに決まってるわけですから。
例えば、昔、私がバッグを置き引きされたとき(現金はほとんど入ってなかったけれど、個人的に大事なノートとかが入っていた)、犯人が交通事故か何かで死んで欲しいと思いましたし。
奧さんが(まだ結婚する前だったけど)痴漢に遭った話を聞いたときには、そいつが目の前にいたらホームから突き落としてやりたいと心底思いました。
……でも、じゃあ、置き引きは死刑、痴漢も死刑、というのが量刑として妥当か、といえば、まあ明らかにそうではない。
だから、被害者やその親族が厳罰を望むのは人間として当然だし、それを非難することはもちろんできないのだけれど、しかし社会の側がそれに巻き込まれてはならない、ということなのです。
刑罰の目的は、復讐ではないのですから。
つまり何が言いたいかというと、私は低能先生を憎んでいるのです。
彼が生涯娑婆を歩くことがありませんように。
……客観的に見れば、
「低能先生は自閉症スペクトラム障碍の疑いがあるのではないか。彼を包摂できなかった社会の側にも問題がある」
といった話になろうかと思います。*1
しかしそんなの糞食らえなのです。
私は、別に殺されたhagex氏と知り合いだったわけではありません。ブログの読者だったわけですらありません。
(ブログ記事を30件くらいブクマしていたけど、それはたまたま流れてきたのを読んだだけで)
しかしそれでも、「はてな村の有名人」として知ってはいたし、共感するところもあったわけで。
(そしてまた、私自身、度々低能先生から罵倒のidコールを受け取っていたわけで……。個人的には、通報を受けてアカウントをBANしていたはてなの対応が間違っていたとは思えません)
私や、あるいは名のある…そして私同様に名もないはてなの人々が、hagex氏の死を悼み、低能先生を憎むのは、あるいは客観的には……政治的には正しくないかも知れないですが、今は許されるのではないかと思います。
いや、hagex氏と親しかったけれど、それでも低能先生に慈悲の目を向けるような聖人がいるなら、それはそれで尊いことだとは思いますが。
ただ、私以上によく知らないのに「殺される方にも落ち度があったんだろう」とかいう意見には私的な憤りを覚えます。
一はてな民として、心よりhagex氏の死を惜しみ、哀悼の意を表します。