しばらく前のことですが、本校で中国の学校との友好行事がありました。
中国から、何人かの小学生がやって来て、本校の子ども達と一日一緒に過ごし、集会で自己紹介をしたりお互いに歌を披露したりしたのです。
なにぶん、尖閣諸島の一件があった時期だけに、実のところ本校職員の間でも
「なんでこの時期に中国と……」
などという声も聞かれたのですが、まあ、少しでも中国の子どもたちに親日的な傾向を増すことができれば悪いことではないと思うのですよ。
ともあれ、当日は順調に過ぎました。
かく言う私も、交流を深めるべく、給食の時間に隣の席に座った機会に、筆談を交えつつ、中学生レベルの英語で話しかけてみたりしました。
(もちろん、向こうはみんなが英語を習っているような学校なのです)
Q:あなたの学校は、“○○実験小学校”という校名ですが、“実験小学校”とはどういう意味ですか?
A:えーと……。(教室から駆けだしていく)
周囲の子「何を言ったんですかK村先生!」
私「何も変なこと言ってないよ!?」
しばらくして戻ってくると、
A:それは私の学校の名前です。
Q:あー……。ありがとう。大変ありがとう。
周囲の子「なんて言われたんですか? なんて言われたんですか?」
私「んー、半分くらい通じた」
難しいものですね。
(ちなみに、後に聞いたところでは、「実験小学校」とは、様々な教育上の実験を行う学校だそうです。たぶんそうだろうと思って聞いたんですが)
……中国の子ども達、と書きましたが、使節団にはもちろん大人が付き添っており……というか、子どもより大人の方が多いくらいでした。
向こうの代表は「書記」という肩書きだったので、中国共産党の方なんでしょう。
駆けだしていった子も、その大人たちに相談に行ったんだろうと思います。
あまり関係ないですが、この共産ジョークを思い出しました。
米ソ両国の使節団の会談の席で。
アメリカ側の一人がテーブルの下で足を伸ばした拍子に、うっかり通訳嬢の足に触れてしまった。
「ああ、失礼」
通訳嬢ははにかんで、上司である少佐に何か耳打ち。
すると少佐は眉を寄せ、大佐と何か相談。
続いて大佐と将軍がひそひそとやりとり。
それが終わると、将軍は会議室を出て電話をかけに行った。
三十分ほどして、戻ってきた将軍は大佐に耳打ち。
大佐は少佐に、少佐は通訳嬢に何事か伝える。
通訳嬢はアメリカ側ににっこりとほほえんで、
「気にしなくてよろしい」
さて、集会で、向こうの子の代表と本校代表がお互いにプレゼントを交換する場面がありました。
まずお互いに書道の作品を交換。
そして本校からは、子ども達が作った千羽鶴を贈呈。
あちらがくれたのは、何やらきれいに包装された箱でした。
で、その後、本校の校長が本校の子ども達に向かって曰く、
「実験小学校の皆さんから頂いたプレゼントの中身は、校長室に展示しておきたいと思いますので見に来てください」
えー?
玄関ロビーにでも飾っておけば、子ども達も来校者も見られるんじゃないの?
っていうか、校長室に入るとか子どもにとって敷居高すぎでは。
卒業まで足を踏み入れない子も多いのに……。
「……あまり一度に来られても混雑して大変ですので、低学年で見たい人は明日、中学年の人は明後日、高学年の人は3日後に見に来てください」
え…………?
さすがに不審に思いました。
まるで、見に来て欲しくないみたいじゃないですか。
翌日。
廊下から様子をうかがったところ、ドアは開放されて、プレゼントらしき物が机の上に並べてあるのですが、当然ながら校長室が混雑する気配など全くありません。
……校長の言からすると、“教師が見学して良い日”というのはどうもないようだったのですが、校長が不在の間にこっそり見てみました。
(*画像はイメージです)
若干の文房具と、北京オリンピックマスコットのUFOキャッチャーっぽい人形でした。
「あー……」
文房具と言っても、一ダースいくらの鉛筆などではなく、ラメ入りのカラーボールペンなど。
文具店で買ったらバラ売りでそこそこの値段がしそうなものでしたが、それにしても、そこら辺の文具店で……下手をすると100円ショップで売っていそうな品々。
……要するに「中国製」という感じでした。(事実そうでした)
当たり前と言えば当たり前ですが。
……小さな事例から大きな結論を導くのもなんですが、色々考えさせられました。
これらのプレゼントは、もちろん、党書記をはじめとする使節団の大人達が、日中交流事業にふさわしいものを、という政治的配慮のもとに選定したに違いありません。
五輪のマスコットとか、実に明瞭なアピールであると言えます。
一方、文房具は?
思うに、これを選んでしまった(……とあえて書きますが)のは、中国がまさに工業国への過渡期にある証では、という気がします。
我が国を含め、どんな国でも、かつて衣食住は基本的に手作りのものでまかなっていました。
貨幣経済が発達してからしばらくの間も、そのお金で買えるのは、結局のところ他の誰かが手作りした品物だったわけです。
しかし、やがて工業化が始まると、機械で生産された、安定した品質の製品が社会に出回るようになります。
そういう製品は初めは高価なものであり、服や文房具をデパートで買ってもらった子が級友に自慢するとかそういう状況が生まれました。
とりわけ、先に工業化を成し遂げた諸国からの輸入品……「舶来の」品物は、高級品の代名詞だったりします。
そういう社会においては、「手作りでない」品物は、贈り物として高い価値を持つことでしょう。
しかし、やがて工業化が進展するにつて、工業製品はどんどん廉価になり(それが工業化の原動力なのですから!)、品質の保証された……同時に均質な製品を、誰もが気軽に使えるようになります。
すると、工業製品が陳腐化した結果として、「ハンドメイド」とか「世界に一つしかない」「あなただけの」といった言葉が価値を持つようになるのです。
(「オリジナルグッズが当たる!」とかいう抽選も、ある意味では「大量生産していない」ことの価値であると言えます)
現在においても、国によっては、化学繊維の衣類が高級品と見なされ、金持ちが誇らしげにジャージを着ているとか、合成洗剤を使うのがステータスシンボルだとかいうところもあると聞きます。
一方、日本では、「手織りの木綿生地」とか「手作り石鹸」とかが、エコとかロハスとか地産地消とかいう言葉とともにもてはやされているわけです。
食生活についても似たようなことが言え、先日読んだよそのブログ記事、
「もう腹がいっぱいだから、マクロビオティックなんでしょ?」(“てんかん(癲癇)と生きる”ブログ様)
では、
「マクロビオティックが流行るのは、日本人の食生活が充分豊かになったから」
という主張がされています。
極端な例ですが、飢餓に苦しむ国や、飢餓を克服したばかりの国で、マクロビオティックが普及することはないでしょう。
マクロビオティックは贅沢な食に飽きた人にとって魅力的な、とても贅沢な食(の人体実験。または道楽)です。
本校の子ども達(というか、考えたのは教師です。もちろん)が、中国の学校への贈り物として「そこらで売っているような」ものではなく、千羽鶴を選んだのは、「手作りの方が心がこもっている」と考えたからです。
一方で、中国側が「市販の文房具」を選んだのは、おそらくは、それが手作りより価値があるという感覚があったからではないでしょうか。
(中国の子どももそうなのか、代表団の大人達だけなのかはわかりません)
同時に、中国の工業力の成長を示したかったのかも知れません。
喩えるなら、高度経済成長時代の日本人が、海外に行ってウォークマンを贈るような気持ちだったんじゃないかな、と思います。
中国の伝統的な工芸品を贈るなんて、党の威信に賭けて許されないのかも知れません。
一方で、おそらく日本人の感覚としては、個人ならともかく、百人単位の児童が通う学校に対する贈り物として、ボールペン数本、というのはかなり微妙なんじゃないでしょうか。
それは子ども達にとっても同様です。
なにしろ、学校の社会科見学で工場とか郵便局にでも行けば、見学者への配布専用にデザインされたノートとか下敷きとかをくれますし、交通安全協会だの消防署だのは、わざわざ向こうから啓発のためのマスコット人形だのシールだのを贈ってくれるのですから。
……それも全員に。
これを見た校長が、必要以上に厳しい入場制限をしたのは、子ども達が
「なんでこんな安っぽいものわざわざくれたの?」
という印象を受けるのを避けるためだろうと思います。
……いや、確認してませんけどね。校長室に無許可で入ったわけだし。
ともあれ、逆に考えると、「手作り」の千羽鶴を受け取った向こうは、あるいは逆に
「なぜこんなものを?」
「こんなの、“ウチの学校でも作れる”じゃないか」
と感じたかもしれないな、と思います。
文化の差、と言えばそれまでですが。
……もっとも、仮にそうだとしたら、そんな「差」がいつまでも続くとは言えません。
先日、「ガイアの夜明け」をちらっと見たら、“ニッポンの反転攻勢”というスペシャルの中で、岡山の縫製職人が作った子ども服を上海で売る話がありました。
http://www.tv-tokyo.co.jp/gaia/backnumber/preview110104.html
……日本人が手作りした商品を「高級品」として中国で売るって、全然「反転攻勢」じゃないんじゃないかしら。
以前はそれこそ逆だったわけですからね。
それはそうと、向こうの子が書いた書道作品はさすがに素晴らしいできばえでした。
本人の身長より長い条幅に、中国語で「中日の友好は上古に発する」みたいなことが書いてありました。
もちろん中国人なんだから中国語が書けるのは当然とはいえ、日本の小学生であれだけ達筆な子は(たとえ平仮名でも)なかなかいないだろうと思います。
……書いてある紙が真っ赤なのがまた印象的でしたね。
あれも上古からの伝統なのかしら。