口蹄疫関連の募金をしたよ! したったらしたよ!
「うぜー」
とか思われるかも知れないし、まあ、募金した人間が
「俺は募金したんだぜ、お前らどうよ?」
みたいな口をきくのも、いとかたはらいたけれど。
でもまあ、募金した人間の楽しみってそのくらいしかないのでね。
さて。
申し上げたいのは、
「みんな気軽に募金しようぜ!」
ってことなんですよ。
はてな義援金窓口→http://d.hatena.ne.jp/hatenacontrib/20100519/1274233369
(はてなポイント送信による募金の解説ページです)
待って、石を投げないで。
えーと、人間には、
「自分の行動に一貫性を持たせたい」
という心理があります。
私の大好きなこの本なんですが、
- 作者: 西田公昭
- 出版社/メーカー: 紀伊國屋書店
- 発売日: 1995/08/01
- メディア: 単行本
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その実験では、力リフォルニアの住宅建築会社が、庭に安全運転の大きな看板をたてさせてもらうために、最初はダミーの小さな要求として、安全運転の小さなステッカーを貼らせてほしいと要請して、それへの応諾をしてもらったあとで、別の人が目的とする大きな交通安全の看板を建ててもらうように要請した。
そうすると、直接すぐ、真の目的とする大きな要請をして承諾をえようとした条件群よりも、約三倍の効果があったという。
つまり、
「おたくの庭に、この安全運転の看板を立てさせて欲しいんですけど」→「だが断る」
……と答えるような人であっても、
「この交通安全ステッカーを差し上げますんで、おたくの車に貼ってもらえませんか?」→「あー……いいよ」
というやりとりをした後だと、看板を立てさせてくれる率が大幅にアップする、というわけですよ。
本では
「認知的不協和」
という言葉を使って説明していますが、要するに、一度自分自身について
「自分はステッカーを貼ることに同意した。交通安全運動に協力する人間である」
というイメージを抱いた人間は、さらに大きな(交通安全運動についての)要求が来たときにも、それを受け入れなきゃならないような気がする(断ることにストレスを感じる)というわけです。
……逆に言うと、
「口蹄疫関連で募金したら、今後、別な災害が起きたときにも毎回募金しなきゃいけないんじゃないか?」
「もっと大きな災害が起きたら、もっと多くの額を募金しなきゃいけないよね?」
とか無意識に思って躊躇してしまう、という心理もあろうかと思うのです。
でも、そんな必要はないのですよ。
前掲書に言わせると、
「首尾一貫していようとする」
という人間の性質を巧妙に利用するのがカルトなのでして。
最初は全く無関心だったはずの相手に、
「無料のパンフレットをお受け取りください」→「ちょっとした集会に参加しませんか」→「セミナーに……」
と、徐々に徐々に
「自分はこの団体の思想に関心を持った人間である」
という自己イメージを形成させ、いつの間にやらメンバーに引き入れてしまうという。
首尾一貫性を窓から投げ捨てろ!
……というわけで、私はハイチの地震とチリの地震と口蹄疫に募金した金額は一緒だし、中国青海省地震には募金してないけど、そのことを全然恥じたりしてないですよ!
石を投げないで。
ともかく、
「世界には苦しんでいる人が大勢いるし、これからも大勢出てくるだろうに、今回だけ募金するとか自己満足じゃないのか? 偽善じゃないのか?」
とか余計なことを考えて立ち止まるより、不公平でも気まぐれでもいいのでなんかした方がいいと思うのですよ。
いとかたはらいたし。