「どのくらい好き?」と聞かれたら。

(本当は、タイトルは「好き?好き?大好き?」にしようかと思ったんですがやっぱやめ。R.D.レインの本は読んでないし読むつもりもありません、と)
 
 さて、
「私のこと、どのくらい好き?」
 というのは、答えに困る質問の一つです。
 
 先日、我が最愛の妻・卒論ちゃんが「Yahoo!知恵袋」で発見して教えてくれた質問。
 
わたしのことどのくらい好き?と聞かれたら、どのように答えれば素敵でしょうか?
「どれくらい愛してる?」っていう問いかけ
 
*この記事は、彼女との付き合いで考えた内容を含みます。
 のろけ成分にアレルギーのある方は読むのを中断してください。

 

なんで聞かれて困るのか。

 
 「知恵袋」を見た感じだと、困ってるのはどっちかというと男性が多い模様ですが。
 
 困る原因は、
 
A:「どのくらい」という質問は、定量的な回答を期待しているように見える
B:「どのくらい好きか」は数値化が不可能(少なくとも現在の科学では)

 
 というジレンマにあります。
(単に「私のこと本当に好き?」という質問なら困る人はいないはず。「本当に好きだよ」と答えればいいだけだから。)
 
 事実、上のYahoo!知恵袋でも、
 
小錦3人分くらい」
「東京ドーム○○個分」
「宇宙を一単位とすると、100万宇宙くらい」
「単位はありませんが、無限天文年くらい」
「100万ドキドキ♪くらい」
「単位を決めてしまうと好き度が有限なものであるような気が」
「俺の明晰な頭脳をもってしてもその量を計算するのに一生かかる位、と逃げる」
「愛は定量的に測れない、といいましょう」

 
 等々、
「単位系を定めた上で何単位に相当するかを回答する」
 というのを前提にしたものが目立ちます。(主に男性)
 
 ……でも、求められてる回答はどうもそれじゃないらしいです。
 
 上の知恵袋を見つけた卒論ちゃん曰く、
 
「うにゃー、うざー! そんなこと聞きたいんじゃないんだにゃー!」
 
 理不尽な。
 
 と、このように、女性というのは(男性と違って)非論理的な生き物なのです……という結論に逃げてしまうのは簡単ですが良く考えたら何の解決にもならないので、ちょっと2人で話し合ってみました。*1
 
 で、わかったこと。
 

あなたは何が聞きたいのか。

 
「どのくらい好きか」というのは、数値的・統計的な情報を求めているのではありません。*2
 もっと、具体的で実感可能な情報を求める質問であるようです。
 
 2人で話し合っていて一番彼女がピンときたたとえ話は、パソコンの話でした。
 
パターンA
「パソコンのメモリ増設したら速くなったよ」
「へー。どのくらい?」
「えーとね、例えばこの音楽データのリッピングが、これまで6分30秒かかっていたところ、現在のスペックだと4分45秒でできるようになったよ」
「ふーん……それって速いの?」
 
パターンB
「パソコンのメモリ増設したら速くなったよ」
「へー。どのくらい?」
「えーとね、ほら、なんか起動するのにやたら時間がかかるソフトがあるじゃん?
 ほら、アイコンをダブルクリックしてー、砂時計が出てー、なんかHDDがカリカカリカリいってー、スプラッシュが出てー、さらにカリカリいってー、またちょっと待ってやっとウインドウが開きましたー!……みたいなの。
 あれが、ダブルクリックした途端にスパッ!と起動するようになったよ」
「へえー!それって簡単にできるの?」
 
 ……日常生活の場面では、「どのくらい速い?」という質問は、必ずしも数値的なデータを要求するものではないんですよな。*3
 それは「どのくらい好き?」という質問も同様なわけです。
 
 だから、
「〜〜してしまうくらい好き」
 的な例示とかが有効ですかね。
 
 それと、メモリ増設の効果はお使いのパソコンの性能や行う作業の内容等によって異なる場合がございますので御注意ください。
 
 さて、さっきの「知恵袋」、卒論ちゃんが合格点を出していたのは、一つめの方の「ベストアンサー」でした。

時々、私も夫に、甘えるときに聞きます。
旦那は
「いっぱい好きだよ」と言いますね〜
「いっぱいってどのくらい?」と聞くと、
「○○(私)が、わかんないくらいいっぱいだよ」
と言います。(笑)
そして、優しくキスをして、「このくらい好きってこと」って言います。
 
けっこう、これで丸め込まれちゃうのですが、
私は、好きですよ、こういうのが。(*^0^*)

 ……ごちそうさまでした。
 
 えーと、「どのくらい好き?」と尋ねる方の意図を考えてみます。
 
 相手は、自分が好かれていることを確認したいから聞くのであって、別に
「“好き”の度合いを数値化して昨年同時期と比較することで今後の行動方針策定に役立てよう」
 ……とか考えてるんじゃないわけです。*4
 
 だから、愛情表現によって回答に代える……というか回答することができる。
 
 ……どんな愛情表現が適切かは一般論として申し上げられることではありませんが。(逃げ)
 
 そしてあともう一つ、もっと複雑な要素があります。
 

隻手音声。

 
 彼女から聞いて、ううむと唸った話。
 
「あのね、『どのくらい好き?』って聞くのは、答えが聞きたいんじゃないんだにゃ。
 聞かれて、『どうやって答えたらいいかなー』……って悩んでるのを見るのが好きだから聞くの」
 
 ……だそうです。
 
 「質問」というと、自分が知らない情報を相手から引き出すのが目的だ、という風に考えてしまいがちですが、必ずしもそうとは限らないのです。
 
 身近なところでは、教師が子どもに「この問題の答えはなんですか?」と聞くのは、それを知らないからではない。*5
 
 最終的な回答ではなく、質問された側にあれこれ考えさせること自体が目的である……というのは、禅の公案に近いものがあるかも知れません。
 

まとめ

 
「どのくらい好き?」と聞かれたら?
 
1:
 とりあえず困れ。
「この好きだという気持ちをどう表現しよう」という気持ちを表現しよう。
 即答しちゃいかん。
 
2:
 回答は具体的・例示的に。
 愛情表現で回答するのも可。
 
 そんなわけで、「どのくらい好き?」というのは、あるいは「男性的」でも「論理的」でもないかも知れませんが、それ自体はまったく合目的的で理にかなった質問である、ということができます。
 
 だから、相手の質問の意図に即した回答をすることが必要なのです。
 
 ……考えてみれば当たり前の結論なのですが。
 

余談。

 
 ウチの場合だと、10年間の付き合いを経て、
 
「どのくらい好き?」→「すごく好き」
「すごくってどのくらい?」→「とっても好き」
「とってもじゃわかんない」→「こうして一緒にいると幸せだなー、って思うくらい好き」
「どのくらい幸せ?」→「すごく幸せ」
「なんでそんなに幸せなの?」→「好きだから」
 
 ……という感じに落ち着きました。(ほぼ毎回これのバリエーション)
 
 トートロジーってレベルじゃねーですけど。

*1: これ、以前「まっとうな理屈の通じない女性と良好な関係を築く方法(「分裂勘違い君劇場」ブログ様)」を読んだときに感じた違和感からスタートしてるんですけど。
 この記事、冒頭は
>みなが納得するようなフェアな道理を筋道立てて女性に説いて、上手くいかず、
>女は非論理的だ
>とか、
>女は愚かだ
>と結論づける男性をときどき見かけます。

>しかしこういうとき、
>間違っているのはたいてい男の方
>なのです。
 ……って書いてるけど、結局結論としては
「女性は狭い家庭の中でしか過ごしてないから、男性が職場で多数の他者と関わる中で身につけたような利害調整的な説得の論理が通用しないのだ。じゃあどんな論理が通用するかって?さあ?」
 ……って感じですよな。
 「男性的な論理性」が欠如したのが「女性の論理」だ、と言ってるのに近い。

*2:少なくとも、うちの奥さんに関する限り。

*3:それが必要な場合も多々あることは当然ですが。

*4:ドリルを買いに来た客はドリルが欲しいのか? って話ですよな。

*5:まあ、普通は。