映画WALL・E、見ましたよー。
……新婚旅行から帰る途中の飛行機の中で。
思わず2回も見てしまいました。
私がまず「おお!」と思ったのは、とりあえずメカ。
メカがメカがロボがロボがマニピュレーターがマニピュレータが警報が警報が。
宇宙船内で整然と動き回る連中の姿は、DVD「超SF的 社会科見学」的な(見てないけど)興奮があります。
でもまあ、ここでメカ萌えを語られて見に行きたくなる人は少ないでしょうから、ストーリーについて語ってみます。
テーマは「愛」。……というか、「人間性の勝利」なんでしょうか。
主役であるロボットたち、外見こそいかにもメカっぽいですが、その行動はしばしば作中の人間たちよりも「人間的」で、思わず感情移入させられてしまいます。
そもそもの
「環境が汚染され、人間が見捨てた地球で働き続けるゴミ処理ロボット」
という設定からして、なんか切なさが胸に迫るわけですが。
“仲間”とか“恋人”とかへの憧れも人並み(!)に抱いているのに、700年に渡って孤独の中に放置され続けたウォーリー。
人間はウォーリーにひどいことしたよね。
いや、ウォーリーは人間を責めたりしないのですが。
その様子がまたぐっと来ます。
もちろん、ひたすらイブを追いかけ続ける健気さも。
一方の人間たち。
ロボットが運営する、オートメーションの極みみたいな社会の中でぐうたら過ごす彼らの姿には、誰もが
「ちょっとどうなの?」
という嫌悪感を抱いてしまうでしょう。
が、その嫌悪感は同時に我が身に跳ね返って来るものでもあります。
特に、私みたいに、暇さえあればネットを見ていて、風景を眺める時間よりモニタを見つめる時間の方が長いような人間には。
作中の、
「ご先祖様たちは我々を誇りに思ってくださるでしょう……現在の私たちが、700年前と変わらない生活をしていることを」
という台詞は、なんともすさまじい皮肉です。
どうやら育児・教育も自動化されているらしく、それがまた
「Aは、Axiom。みんなのおうち。
Bは、BNL。あなたのともだち」
とかいう嫌な教育内容。
地球上に残ったビラなどから考えて、どうも巨大企業BnL社のCEOが、ほとんど合衆国大統領(ひょっとすると世界大統領?)に近い政治的権限を握っていた模様。
そして、そんな教育の成果か、BnLのCMを見て、なーんにも考えずに即座に新製品(っていうか服の新色)を購入する人間たち。
しかもその「新色」ってのがただの青一色だしな。創造性の欠片もない。(たぶん、事前に決定された「流行サイクル予定表」を使い回してるだけなんじゃないかと)
「企業が支配するディストピア」という見方もできます。
……けど、「企業支配」って言ったって、実は人間は誰一人働いてないんだから、ある意味ユートピアじゃね?
……もちろん、そこでは人間は食って消費して寝るだけで、進歩も創造もイノベーションもありゃしないわけですが。
そんな、完全に安定して(停滞とも言う)運営されていた700年後の人間社会にとって、ウォーリーの存在は、全くの異物であったわけです。(あと、本人は全く異物のつもりのないイブも)
で、その異質さが、周囲のシステムや、個々の人間に対して直接間接に影響を与え、人間たちに、忘れていた「人間性」を取り戻させ、ついには、ほとんど停滞状態にあった社会を覆します(部分的には人間自身の意志で)。
そして再び、人間自身……と、ロボットが協同して歴史を築く時代が訪れる……というわけです。
……と、ストーリーの素晴らしさは語ったのでロボに戻りますが、キャラクターの造形がいかにもロボらしくて、観客に媚びないのが潔い。
主人公のウォーリーなんか、建機の親戚みたいな外見だし、ペットにゴキを飼ってるとかどうよ。
ヒロインのイブも「美しいロボット」ということになってるけど、それは工業製品的な美しさであって、「女性的」な美しさはほとんどない。
有り体に言って、「クリオネ型AIBO」ですよあれは。(ちなみにしっかりゴキとも戯れます)
しかも吊り目。
いや、吊り目萌えー、とかいう人もいるだろうけど、あの吊り目はグレイ型宇宙人とかの形ですよ。
……って、全然ほめてるように見えませんが、全力でほめてます。
左:クボタの小型ブルドーザ
右:ソニーのクリオネ型AIBO
初見では全然かわいく見えない奴らですが(実際、映画会見とかのニュースで「実物大ウォーリー」の写真を見たときには「なんだこりゃ?」って思ったものです。)、物語を見るうちに(っていうか、もう序盤のうちから)そこに感情移入させるだけの力がストーリーにあります。
ロボットに感情移入できるのは日本人特有の心性だ、鉄腕アトムの国だけだ、「フランケンシュタイン・コンプレックス」だ……なんて言われてきましたが、ありゃあ大嘘ですよ。
「知性を持ったロボットが暴走して人類を滅ぼす」
型のストーリーが氾濫する時代はもう過去のものか、なんて思いました。
むしろ、「設定はロボだけど見た目は人間」にしがちな日本人に比べて、R2-D2みたいなロボット感満点なロボをそのままキャラクターとして感情移入させるPixerはすごい。*1
BigDogの動画見て
「きめええ」
とか
「夜道で出会ったら泣く」
とか言ってる場合じゃないですよ、ええ。
……いや、夜道だったら私も泣くかも知れん。
ともあれこの映画、日本で作ったら、イブは「耳だけ機械の萌えっ娘」とかになるんじゃないかしら。
前にも書きましたけど、「ドラえもん」のキー坊が、ポケモン並みのかわいさになってしまう時代ですものなあ……。
→
想像図(下手で申し訳ない)。
ともあれ、思えば、「ロボット」の語の原点となったのは、カレル・チャペックの「R.U.R.」でした。
あれ、結末は(ネタバレ注意)、
「人類が滅んで数十年後、ロボットについに“愛”が芽生える。生き残った唯一の人間は、彼らを新たな“人間”、新たなアダムとイブとして讃える」
……という感じなんですけど。
一方、本作では「ロボットに愛が芽生える」のは序盤も序盤。
「R.U.R.」では画期的な結末であった「愛を理解するロボット」が、「WALL-E」では物語の出発点なのです。
そう考えると、感情を持ったロボット、というのは、一般社会の中でずいぶん現実味を帯びて受け入れられるようになって来たのかな、と思います。*2
いやまあ、
「人間の愛は生殖本能に根ざしたものであって、ロボットが持つ感情は、人間のそれとは異質なものになるはずだ」(山本弘:SFにおける人間とロボットの愛の歴史)
いう主張もたぶんもっともだと思うんですけどね。*3
ともあれ、先ほど結末を
「人間とロボットが協同して歴史を築く時代」
と書きましたが、その「ロボット」は、ただの機械ではなく、(潜在的には)人間並みの知性と感情を備えた連中なのです。
そんなロボットと人間が手を取り合って行くとき、作中の社会が先々どのように発展していくのか……と想像するのも、なかなか楽しいものでもあります。
ウォーリーに感化されたロボットたちが続々と恋に陥って、仕事がおろそかになる……とかいうのも(安直!)それはそれで面白そうだな、と思うことでした。