読書感想文に決して書いてはいけないこと。

二週間くらい前に書けば誰かに感謝されたかも知れない記事。
 
私、一応は学校の国語主任なので、読書感想文を読む機会が多くあります。
 
「良い読書感想文とは何か」
 
……というのはいまだによく分かりませんが、
 
「駄目な読書感想文とは何か」
 
というのは何となく分かってきました。
 
読書感想文を書く時にやってはいけないことの筆頭は、
 
「本の紹介をする」
 
だと思います。
 
一番多いのは、だらだらとあらすじを書くタイプ。
 
「ぼくはももたろうという本を読みました
ある日、おばあさんが川へせんたくに行くと、川上から大きなももが流れてきました。
ぼくはももがすきなので、いいなあと思いました。
ところが、家へ持ち帰ってそのももを切ると、中から赤ちゃんが出てきたのです。
ぼくは、どうしてももから赤ちゃんが出てきたのかなと思いました」
 
……みたいなやつ。
 
まあ、
「この作文を読んだ人が、自分が読んだ本を知っているとは限らないんじゃないか」
という不安に駆られて、本の内容を説明したくなってしまう気持ちはわかります。
(ももたろうはそうでもないですが)
 
でも、「読書感想文」というのは、本を読んだ感想をメインに書くものです。
極言すれば、深い感想が書いてあれば、読んだのがどんな本だったかはどうでも良いことなのです。
 
本の内容には極力触れない方が良いくらいです。
といっても、全く触れないのは無理ですから、どうしても必要な場合に絞るべきです。
 
「ぼくは生まれつきからだが弱く、よく入院しています。
入院していない時も、外で遊ぶことがあまりできません。
入院中のある日、お母さんが持ってきてくれたのがこの本でした。
ぼくはこの本を読んで、ももたろうの強さにおどろきました。
それは、体の強さだけではなく、心の強さです」
 
みたいな。
 
読書感想文は、読書をして自分がどんな影響を受けたかを書くもの。
 
本の内容を紹介するのではなく、自分の内面を紹介せよ、ということです。
 
なので、あらすじ紹介は最悪。
 
また、時々言われる、本のカバー折り返しや巻末の解説を読んで写す、というのも、実はあまりいい方法ではないと思います。
 
「解説」「解題」というのはあくまで作品紹介です。
 
「主人公のたどる運命には、作者の不遇な幼少期の経験が反映されている」
「前二作の執筆を経て、作者の文章表現の技術にも安定が見られてきたと言えよう」
 
みたいなやつ。
 
読書感想文では、文学研究=客観的視点が求められているわけではありません。
求められているのは、あくまで「感想」。
「私がこの作品と出会ってどう変わったか」
という、ひたすら私的なことを書くよう求められているわけで。
 
なので、こういう分析的視点はむしろ不要だと思います。
 
もちろん、「解説」「訳者あとがき」とか言いつつ私的なことを書いてるひともたくさんいますが。
 
「私がこの作品と出会ったのは高校時代のことであった。
当時まだ若かった私は、この作品で語られる哲学に強い衝撃を受けた。
今回、こうして本作の改訳を任されたことには感激しており、初めてその話を頂いた時には我が耳が信じられないほどであった」
 
……とかいう。
 
でも、これを写すわけにいかないのはもちろんのこと。
 
というか、読書感想文とは私的なものですから、他人が写すことなどできないのが本当に良い読書感想文なのだと思います。
 
あえてコンクールの話をすれば、審査員が求めているのは、
「本を読むことで人間は変わる」
……という物語なのです。
 
「この本を読んだことで私はこのように変わりました」
……という、美しい物語を描いてください。
 
*補足
 誤解があるといけないので書いておきますが、私は読書感想文なんて書くのも書かせるのも大嫌いです。