幸せなお産……ですか。

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信仰と狂気〜吉村医院での幸せなお産
コメント欄で大激論が交わされている模様。
参加する度胸もないし、医学にも育児にも関わってない部外者が無駄に盛り上げると管理人に迷惑がかかりそうな気もするのでここで感想を書いてみます。
 
私の把握した範囲では、要するに吉村医師は、
 
・自然分娩こそ、お産の自然な姿、人間本来のあり方である。
帝王切開や陣痛促進剤などを使った人工的なお産は、銭もうけ優先、産科医の都合優先の誤った姿である。
・自然なお産で生まれた子どもは目の輝きが違う。心の安定が違う。母子の絆も深まる。

 
……という主張なんですね。
 
で、問題になってるT氏は吉村氏の支持者の方。
 
時系列順に話を追うと、
・逆子であることが判明。
・お灸、ホメオパシー、逆子体操と思いつく事をいろいろためしたが、結局逆子は直らなかった。
・吉村医院に通院。「バリバリの安産です」と言って受け入れてくれた。
・まき割りやスクワットをしながら陣痛を待つ。
・予定日を1ヶ月過ぎて陣痛。
・陣痛が始まって3日たっても生まれず。吉村氏は近所の医院に転送を決断。
・近所の産科医院で帝王切開により出産。
・出産の翌日、産科医院の反対を押し切り、吉村医院に再転院。
・授乳中の事故(母親の居眠り)により、子どもが死亡。

 
……という流れ。
 
で、T氏はこの顛末について、「素晴らしい体験だった。3日しか生きられなかった我が子にもありがとうと言いたい」という。
 
で、現代医療支持の方々からの批判。
 
・親の信念のために、子どもや母親の命を危険にさらしたのではないか。間接的な子殺しではないか。
・あなた方が初めから一般の医院にかかっていれば、緊急対応など必要なかった。
・逆に、自然分娩が最高で「死産・流産も良いお産」だという信念を持っているなら、一般の医院に転送されるべきではなかった。
・産科医院の周産期医療はもはや限界に達しているのが現状である。無駄に近隣産科医院の負担を増やした結果、手が回らず処置を断られた妊婦がいた可能性をどう考えるのか。
・というより、吉村医院ではこのような事態が常態化しており、近隣の産科医院は事実上吉村氏の尻ぬぐいをさせられている状況にある。スタッフにとっては重大な負担であり、また、吉村医院からの転送に対応するため、他の妊婦を断るケースも事実発生している。
・予定日を一ヶ月も過ぎてなおこれを放置し、危険になれば他所の医院に尻ぬぐいをさせておきながら、「自然分娩100%」などと喧伝する吉村氏の良識を疑う。

 
……といった感じでしょうか。
 
現在、コメント欄がパンクして、次の記事のコメント欄に議論は移っているんですが。
内容も、子どもの死はきちんとケアしなかった吉村医院に責任があるので刑事告発も視野に入れるべき、いやあれは染色体異常だった、なんだとお前は吉村医院関係者なのか患者の個人情報をこんなところで書くとは言語道断、などという状況なので私にはついて行けません。
 
あー。
 
私としては、吉村氏的思想もあって良い、と思うのです。
 
科学によって自然を制圧し、管理された環境の中で生きることが最高、というわけではない。
自然の中で、自然と共に生きるのが素晴らしい、と考える人もいるでしょう。
 
科学万能&人命優先を突き詰めれば、何か私が大好きなディストピアが誕生する可能性もあります。
 
星新一の作品で、そんなのがありました。
 
作中、地球の地表全ては、上下左右に果てしなく続く集合住宅です。
その狭い部屋一つに一家全員が住んでいます。
食糧はパイプで配送されるし、娯楽はテレビなので、外出の必要はなし。
(食糧だか空気だかに、「部屋を広く感じさせる薬品」が配合されている)
住宅の壁面には、果てしなく続くエスカレーターがついていて、「外出」することもできます。混雑を避けるため、割当時間が決まっていますし、エスカレーターに乗って出かけ、エスカレーターで帰ってくるだけですが。
集合住宅は絶え間なく増築され、部屋は少しずつ狭くなり……。
「人類は倍々ゲームをやっているのかも知れないな。このまま人口が増え続けたら……」
と、そこまで考えたところで主人公の思考はとぎれます。
コンピュータにより、絶対的な人命尊重を否定するような思考がブロックされるためです。
 
うむ、これは嫌だ。
 
生まれてきた後の生活水準はとっても大切です。
語弊を承知で言えば、人の命は地球より重いけど、時にはそれより重いものもあるのです。
 
例えば、対テロ戦争の為に、市民のプライバシーを完全に政府が管理する、とか嫌ですよね?
たとえ、プライバシーを守ったために、テロで死者が出るリスクが高まったとしても。
交通事故の死者が毎年5万人いても、個人の自動車所有を禁止しろとは誰も言わないですよね?
 
人命はなにより大切、と言いつつ、私たちは生活水準と人命が失われるリスクを秤に掛けているのです。
 
だから、
「新生児死亡率が高まるというデメリットがあるとしても、自然分娩によるメリットはそれを上回る」
という主張自体は、論理的には間違っていないと思います。
科学的にはどうか知らないですけど、まあ現代科学が肯定しようが否定しようが、吉村氏とその支持者は気にはされないでしょう。
 
山本弘の「ギャラクシー・トリッパー美葉(1)」でしたか。
「気」の力を操って生活している異星人が登場しました。
彼らは、一度は高度な科学文明を築き上げたのですが、人口爆発や環境汚染、文化の退廃などに嫌気が差していたところに「気」の力を発見し、科学文明を捨て去ったのです。
今では、種を蒔けば「気」を込めて成長を促し、怪我をすれば「気」の力で治療するという生活。
「化学肥料使った方が早いんじゃないの?」
とか、
「薬で治療したら?」
とか言うと怒られます。
「効率優先の文明に毒されると、大切なものを見失う」って。
「気」を操り、自然と共に生きる生活こそ、最上のものだ、というのです。
 
この辺、吉村氏と共通ですよね?
(……ていうか、このエピソード自体、ニューエイジ思想全般に対する風刺なんでしょうが)
 
「ところで、この惑星、一番多い時で何人くらい人口がいたの?」
「……50億……くらいかな」
「今は?」
「3千人くらいか」
「ずいぶん減ったのねえ?」
「何事にも犠牲はつきものじゃ」(引用うろ覚え)
 
何事にも犠牲はつきものなんですよ。
それを受け入れる覚悟がみんなにあるなら、それもまた良し。
 
で、この人達が偉いのは、怪我をした時に医療キットで治療されて、文句を言ったこと。
(親切にされたら礼くらい言え、という気もしますが)
 
「気にくわない奴らだったけど、誰にも迷惑をかけていなかった」
……ってことです。
 
一方、吉村氏が問題にされるのは、自然分娩の素晴らしさだけ強調しておいて、そのデメリットに口をつぐんでいること。
「デメリットもあるが、それは自然分娩のメリットに対する、許容すべきリスクなのだ」
……という立場を貫かず、むしろ困った時にだけ現代科学に頼ろうとするってことでしょう。
 
近代医学の悪口を言っていながら、本気で危険な時は近代医学に丸投げ、というのは、確かに「尻ぬぐいを押しつけている」と言われても仕方ない。
「車は危険だ。自動車の私有は禁止すべきだ。でも俺は乗るよ」
ってのと同じことですよね。
 
むしろ、周辺医院の側で断ってしまうべきなんじゃないか、という気もしますが……。
 
……とはいえ、一般の医院の側としては、
「自然分娩支持者なら、死にそうになったらおとなしく自然に死ね」
「当院では、吉村医院からの転送はお断りしています」
……ともなかなか言えないんでしょうね。
 
目の前の救える人は救う、救えない人も救えるよう研究する、という論理のもとに、現代医療は進歩してきたんだし。
 
んー。
自覚があるのかないのかわかりませんが、吉村医院はいわば現代医学のシステムとその倫理に寄生してる存在なんですね。
今や宿主も元気じゃない(らしい)のに。
 
自然分娩だろうが帝王切開だろうが、母子ともに無事なのが本当に幸せなお産だ、という、お母さんのコメントが真理だ、と、私は思うんですけど……。
 
「みんなの幸せのための必要な犠牲」というものを認めない立場が、科学なのかもしれないです。
 
私だったら、自分の子どもが生まれる時、吉村医院に入院させたいとは思わないなあ……。
 
…………肝心の卒論が、マクロビオティックとかオーガニックとかに傾倒しがちなのが不安です。