ランドセルから墓場まで。

先日、実家に戻った時。
たまたま、テレビで定年後の生活についての番組をやっていました。
 
私「母さんたち団塊の世代は時代の中心だねえ」
母「そうねえ。2007年問題とか騒がれるのも、人数が多いおかげだものね」
 
数年前までは、定年して仕事を辞めていく人は、「寂しいですね」くらいで終わっていたのに、昨今はテレビでも新聞でも大騒ぎしてくれるわけです。
 
母「学習塾がはやりだしたのも、あたしたちが子どもの頃だったわね。大人になればなったで、公団住宅が一斉に整備されたし」
私「父さん母さんの世代に対応するために、新しいサービスが生み出されてきたと言っても過言ではないねえ」
母「人数が多いせいで競争が激しいとか、大変なこともあったけど、いいこともあったわけね」
私「数は力だ。 ……ジェントロジーだって、これから大発展するだろうし」
 
Gerontology(老人学)。
大学時代の恩師曰く、
「以前は、老人学なんて学問はなかった。なぜなら、研究するほど年寄りがいなかったからだ。これは新しい学問なんだ。今後、高齢者がどんどん増えてくるから、老人学研究は盛んになるだろう」
 
私「“痴呆”を“認知症”って呼び替えるようになったのも最近だし。これまでは、アルツハイマーとかは『悲惨な病気』扱いで、『たいへんですねえ』で終わってたのに」
母「苦労して介護してる奥さんとかご主人とかがテレビで採り上げられて、美談扱いされてたわねえ」
私「でも今後、きっとアルツハイマーとかの科学的な研究も急速に進んで、遠からず治療可能な病気になると思うよ」
母「あたしがボケるまでに間に合うかしらね」
私「きっと間に合うと思うよ。今、団塊の世代が定年を迎えるだけでみんな大騒ぎしてるのに、あと20年くらいして団塊の世代が一斉にぼけ始めたら、日本は存亡の危機に立たされることに。なんとしてもそれまでに治療法を開発しないと」
母「お世話をかけますねえ」
 
もっとも、かくいう母は、200km離れたところで弟と同居する両親に、毎月会いに行っている、実に親孝行な人なのですが。
老老介護、というのがあまり他人事ではありません。
 
私「とにかく、心身共に健康に年を重ねて頂いて。死ぬ前日までお元気でいて頂かないと」
母「ピンピンコロリってやつね」
私「それで30年もすると、今度は団塊ジュニア世代が定年で、団塊世代は90代だもの……。定年過ぎても、元気な人は働いてくれ、って世の中になるんじゃないかなあ」
母「まあ、一律何才で仕事をやめろ、っていうのは確かに不合理だわよね。……とうさんは、定年まであと〜〜日、って指折り数えてるけど」
私「ヤマトみたいだな。あと一年以上あるのに。……ともあれ、定年制が不合理だ、っていうのも、団塊世代の定年に合わせて言われるようになったし。いずれにせよ、今後子どもは減る一方なんだから、なんとか労働力を確保しないと」
母「あんたが小学校に入った時、あたしはもう長いこと小学校から離れてたわけよ。で、1学年2クラスしかないのを見て、
『ここは田舎だから人数が少ないんだな』
……って思ったのよ」
私「とんでもねえ。日本全国その状況で、今じゃ1学年2クラスあれば大きい学校扱いですよ」
母「あたしらの時がピークだったのねえ。教室にぎっしり詰め込まれてさ」
私「ところが、その後は全国で空き教室が問題になって、それをどう活用するか頭を悩ませることになったわけですよ。
で、カルチャースクールだのなんだの、結局、団塊の世代が使ってるという」
母「結局、あたしたちが学校に戻ってきてるわけね」
私「今後は、廃校になった学校を老人ホームに転用したり」
母「そのうち、廃校になった学校の体育館でお葬式を挙げたりしてね」
 
ともあれ、両親とも末長く元気で仲良くいてくれますように。