主がそこで全地の言葉を混乱(バラル)させ、また、主がそこから彼らを全地に散らされたからである。(創世記第11章第9節)

本校には、アメリカ出身のALTが来ています。
先日聞いた話ですが、彼は近々市内で英会話を教える予定なんだそうです。
 
無料で。
 
…………。
 
いや……、まあ、そうですか。
 
N社に数十万の受講料を払い込んでしまった私の立場は。
 
まあ、ALTとは言え、体系化されたテキストやノウハウがあるわけではないですから、N社をはじめとする英会話学校に比肩するだけの英会話教育が行えるかどうかはわからないですけどね。
 
ともあれ、市内であれば時間的な問題はないし、N社のプラスアルファということで、そっちにも顔を出してみる予定です。
今年は活動的な人間を目指したいので、色々なことに首を突っ込んでみようと思います。
 
『どこであなたInglish crass 持つますか?(ピジン英語)』
『虚実中学校の隣にある教会の部屋を借ります』
 
へえ。
 
私「……と、いうことなんですが」
H「虚実中の隣に教会なんかねえぞ?」
私「あれれー?」
 
ヒアリング失敗?
 
すると、M教諭が
「あ、私場所知ってますよ。私も行く予定なんで、一緒に行きましょう」
「それはありがたい。それじゃあ是非」
 
で、あとで話を聞いたところ。
 
私「でも、なんで教会の場所なんか知ってるんですか?」
M「実は私、前にもそこで英会話習ってたんですよ」
私「へえ。 ……でもやめちゃったんですか?」
M「そうなんです。 その時は、神父さんの奥さんが教えてくれてたんですよ。で、英会話と、神様のお勉強を一緒にしましょう、って話で……」
 
なにその新興宗教的手口。
「一緒に聖書の勉強会をしませんか」byエホバの証人
 
妻帯してるってことは、プロテスタントですかね。
……よもや、イエズス・ハリストス教会?
 
M「それで、なんか、回を重ねるごとに“神様の勉強”の比率が上がっていってですねー。 それはそれで、すごいなあ、いいなあ、って思ったんですけど」
 
M先生、もしかして、宣教師とかに教化されやすい人?
ある意味で日本人らしいけど。*1
 
M「でも、うちの父がそれを聞いて、『うちは仏教だー! 許さーん!』って言ってですね」
 
あー、唯一神「でうす」の訳語に「大日」をあてて、仏教の一派に見せかけるというのはどうですか。*2
 
M「なんか、ある日その奥さんが、『それでは、みなさんはもう立派なキリスト者ですから、正式に信仰の道に入りましょう』って言ってですね。なんか、水浴びをするらしいんですよ」
私「洗礼ですか!」
M「そう、それ? それで、悩んだ末にやめちゃったんです」
私「あー。そりゃあまあ、確かに躊躇するでしょうねえ……」
 
英語を習いに行ったつもりが、ある日クリスチャンとして洗礼を受けるよう薦められたら、普通の人は引くだろうと思います。
 
M「だって、なんか、全身裸になるらしいんですよ。 やっぱり恥ずかしいじゃないですかー」
私「そっちか!」
 
そういう問題か!
いや、むしろそういう問題なのか?
 
ていうか、おうちが仏教なのと何か関係あるんですかそれ。
 
M「それで、一度断ったものにまた顔を出すのも気まずくて。だから一緒に行ってくれると助かります」
私「まあ……、やむを得なかったと思いますよ?」
M「でも、向こうの人とかはきっと普通にそういうのを受けてるんだろうなあ、と思って」
私「いや、向こうの人は普通は赤ん坊の時に洗礼を受けるから、恥ずかしがる暇もないんじゃないかと」*3
 
……とまあ、そんなことで。
 
月曜から、教会にて英会話教室の予定です。
 
……今回の講師は神父さん*4の奥さんではなく、市のALTですから、洗礼を求められるかどうかはわかりませんが、ちょっと緊張。
 
色々なことに首を突っ込んでみようと思いますよ。
 
信仰の道には入らないけど。
私は敬虔なボコノン教徒ですのでー。

*1:イエズス会による日本での宣教活動は、初期においては順調でした。

*2:イエズス会の名誉のために。
これは日本人が勝手に思い違いをしただけで、イエズス会が意図的に唯一神大日如来を混同させようとしたことはありません。
ついでに言うと、彼らは「神」という訳語も、多神教である神道に由来するもので、唯一のGodを表す語としてはふさわしくない、と考えていました。
確かに、現在に至るも、「キリスト教の神様」と同時にたくさんの神様が併存しうる、という感覚が、日本人にはある気がします。
もっとも、「天帝」「天主」「天道」いずれにせよ、「唯一にして至上」の存在を表すのにふさわしい訳語など、当時の日本にはなかったと思いますが。
「love」の適切な訳語ですら当時の日本にはなかったんだし。
「汝の隣人を……えーと、大切にせよ」。

*3:この後で疑問に思って調べたんですが、洗礼というのは必ずしも浸礼(全身浴)とは限らず、水を頭に掛けるだけ(潅水礼)、とか、色々な形式があるんですね。
また、赤ん坊の洗礼を認める宗派もあれば、本人の意志による洗礼しか認めない宗派も。
成人の洗礼にこだわり、形式が浸礼、ということは、そこはバプテスト教会かな?
してみると、「洗礼」ではなくて「浸礼」、あるいは「バプテスマ」と呼ばなきゃならない。
 
……こういう、キリスト教の形式的側面に興味を引かれるのが、ボコノン教的なところかも。

*4:プロテスタントだとしたら、「牧師さん」が正しいんじゃ?