促成栽培。

注目URL」より。
 
芦屋広太 ひとつ上のヒューマンマネジメント :5分で人を育てる技術 (5)言うことを聞かない“自信過剰な部下”
http://itpro.nikkeibp.co.jp/article/Watcher/20061206/256081/
 
色々言われてますが、
芦屋広太です。日頃いかが人を育てておられるでしょうか。」
に始まるこの記事を読んで、確かに私も不快な気分になりました。
 
ただ、私自身はずっと学校勤務で、民間企業には勤めた経験がありません。
なので、
「ひょっとして自分が甘いのか?」
という疑いも捨てきれないんですが。
 
ともあれ。
思うに、芦屋氏のまずいところは、まず、「育ててない」ってことだと思います。
 
はてなブックマークで、
「これは教育ではない。文中の「改造」が当てはまるのかも。これは人としてやってはいけないことだと思う。」
ってコメントがついてますが、全くその通りで。
 
そもそも、5分でそんなに劇的に人が育つなら、親も学校もいらんのですが。
 
思うに、本当の「成長」とは、坂本氏が、
「自分は自分なりに考えてみたんだけど……。でも、先輩の経験から出た意見も貴重だと思うから、それも重視した上でもう一度考え直してみよう」
みたいな感じの人間になることだったのではないでしょうか。
少なくとも教師と教え子の関係なら、そっちへ向けて坂本氏を育てようとすると思うんですが。*1
この記事のように、坂本氏が上司に無条件に服従するようになったことは、坂本氏にとってあまり成長ではないような気がします。
 
次におかしいのは、
「次長と部長には「口裏を合わせて」おきました。坂本に絶対OKを出さないようにお願いしていたのです。」
という、やり口でしょうか。
 
口裏合わせのモラル的側面も当然気になるところですが。
ただ、それ以上に、おかしいのは、「なぜ口裏を合わせる必要があったのか」ってことで。
坂本氏の案が、本当に抽象的で意味不明で説得力がなく、「いい加減な提案」と思われてしまう訴求力のないものなら、口裏を合わせなくたって、部長と次長のOKが出るはずないと思うんですが。
それをあえて口裏を合わせた、ということは、そうしないと自分の頭越しに次長のOKが出てしまって、坂本氏がもっと言うことを聞かなくなる可能性がある、と思った、ということですよね?
 
それと関連して、一番納得いかなかったのは、「自分の判断が正しく、坂本は間違っている」それゆえ「坂本が私の言うことを何でも聞くようになったのは素晴らしいことだ」っていう、芦屋氏の無条件の確信です。
 
「お前が自主的に変えなきゃ意味ないだろ。納得して変えなきゃ,何もならないだろ。」
……と言いつつ、芦屋氏が坂本氏に「納得」させたいのは、「お前は俺の言うことに黙って従うべきだ」ということです。
「そのように提案書を書いた方が顧客に対して説得的だ」、という点を「納得」させる気なんかさらさらない、という。
 
私は、営業の提案書なんて書いたこともなければ読んだこともありません。
でも、おそらく、この場面での芦屋氏の判断は正しいんだろうと思います。経験も上ですから。
 
ただ、私自身は隙だらけの人間なので、自分のやり方について子どもから異論が出ると、それに部分的に説得されてしまったりもします。
まあ、こんな不適格教員は例外にしても、「子どもの言葉にはっとさせられました」的なエピソードは、教育関係の本でもサイトでもむしろあふれていると言って良いと思います。
 
「教育とは共育である」ってやつですね。
 
なので、「自分は正しいのでお前は従え」的姿勢にはどうにも違和感が残ります。*2
 
ましてこの場合、子どもと教師よりもっと歳の近い大人同士ですから。
三人寄れば文殊の知恵、と言いますが、部下からも自分とは違う意見を聞かされる中で、時には、芦屋氏が坂本氏に「はっとさせられる」ケースもあり得るのではないでしょうか。
……「あり得たのではないでしょうか」?
 
芦屋氏の立場だと、部下は可能な限り芦屋氏の判断に沿うように業務を遂行すべきものということになり。
芦屋氏が頭脳で部下はその手足です。
 
手足が頭脳の司令にいちいち意見を挟んでいたら人体は大変ですが、企業もそうなのでしょうか。
 
……企業はそうなのかなあ?
 
民間企業に勤めた経験がないだけに、こうして書いてきて疑問もあって。
まず、「部下を育ててない」って書きましたが、そもそも企業は教育機関ではないから当然、と言われれば返す言葉もなく。
 
学校が人を育てるのはそれが目的そのものだからですが、企業が人を育てるのは、利潤追求という目的のための手段としてです。
 
だから、業務に支障をもたらしそうな部下を5分で「改造」してより大きな利潤を期待しうるようにできるなら、そうするのが企業では当然……なんでしょうか?
 
学校では、いわば坂本氏のような、ちょっと頭が良くて口が達者で、教師の言うことにいちいちつっかかるような子どもは時々います。(20人に1人くらいはいそうな気が)
それをこうやってやりこめて、教師の言うことをなんでもハイハイ聞く子に仕立て上げるのは、教育者としては無価値以下だと思うんですが。*3
でも、企業ではそれが正義なんでしょうかね?
 
軍隊では部下は上官に絶対服従だし、そうでないと戦争はできません。
企業が学校より軍隊に近い組織だとすれば、「上司の命令に部下は従って当然」というのを叩き込むために有効ならどんな手段も講ずるべきだ、みたいなことなんでしょうか?
いちいち部下と意見を交換し、部下を説得しながら仕事を進められるほど企業には時間も労働力も余ってない、とか?
 
うーんうーん。
 
……と、あれこれ考えていたところ、
コーチングの考え方の真逆すぎ」
というコメントを発見。
 
コーチング。
あ、前、ここ↓で読んだぞ。
http://d.hatena.ne.jp/koutyalemon/20060627/p3
ええ、TRPG関係ですが。何か問題でも?

( 1). ラポールの構築
( 2). 会話への導入
( 3). 現状の確認
( 4). 問題・課題の特定
( 5). 「望ましい状態」をイメージする
( 6). 解決法の検討
( 7). 課題を達成するためのプラン作成(6W2H)
( 8). 取り組みへの意志の確認
( 9). 力づける
(10). フォローの約束

ってやつですね。
 
うーん。
ハウツー本の又聞き、という、いたく駄目な論拠になりますが……。
この伝で行くと、
 
「ご苦労さん。がんばったな。助かったよ」(1) これが、トラックバック先で言う、マクド5秒の法則。
「これ、少し直すともっと良くなると思うんだが、聞いてくれるか?」(2)。 これがbat-and原則。
「このプランがどういうもので、向こうがどういう立場か、わかってるよな?」(3) 私にはわからんので適当。
「この表現、あえて抽象的にしよう、と考えたわけだよな? その考え方はわかるんだが、具体例を書かなかった結果、逆に、こちらが具体的な事例を出すことができないのではないか、と取引先に受け取られてしまう可能性もあるんじゃないかと思うんだ」(4)
「お前がせっかく作った提案書だ、これを読んだ相手が、これは実に効果的で魅力的なプランだ、と納得してくれるのが一番いいよな?」(5)
「もっと具体的な事例を示して説得力を持たせながら、さらにイメージもふくらませてもらえるような表現が工夫できれば完璧なんだが……」(6)
「何もこの場で答えを出せ、ってわけじゃない。一人で考える必要もないしな。仮に、もう一度出すまでの計画を立ててみようか……」(7) 私にはわからんので適当。
「どうだ、その線でもう少し練ってみる気はあるか?」(8)
「難しい注文だとは思うが、お前ならできると思うよ。頼んだ」(9)
「困ったことがあったら、俺に相談してくれ。任せはしたが、押しつけたつもりはないからな」(10)
 
……こんな感じ?
 
うわ。こんな人間になりたいぞ、自分。(まず無理)
もちろん、口先の問題ではなくて、私が適当に流した(3)と(7)をしっかりおさえているか、というのが、信頼される人間になるための実力として大切なわけでしょうが。
 
ともあれ、こういう「コーチング」という発想がある、ということは、やっぱり、芦屋メソッド的な物は必ずしも企業で支配的ではない、ということですよね。
であれば、私も少しほっとします。
 
子どもたちが学校卒業後出て行く企業が、芦屋メソッドで「改造」しようと迫ってくるところだとしたら、学校はそんな風土に対応できるような人間を育てないといけないわけだし……。(どうやって「対応」すべきかはさておき)
 
別なコメントから。
「この部下がクライアントと悶着起す前に社内でロールプレイしてリスクヘッジしたってだけの話に「これはひどい」とか言ってる連中は本物のバカなんじゃないだろうか。(もしくは「営業職」の役割を想像できてないか)」
……そうですなあ。
でも、上司につっかかる、ってことは、クライアントとも悶着を起こす、ってこととイコールではないと思うんですよ。
 
それに、学校でも、あえて失敗させて、その後反省させて、そこから学ばせる、ってことはあるけど、この記事みたいに理不尽な失敗を経験させるのはどうかと。
これ、坂本氏から見たら
「部長と次長は芦屋氏と同じことを言った」
「言われたとおりに直したけどOKが出なかった」
「芦屋氏と一緒に行ったらOKが出た」
だもんなあ……。
企業では、「あえて失敗させる」というのが損失につながるからできにくいんでしょうけど、これが「ロールプレイ」だとしたら何のロールプレイなんだろう。
 
ただ、芦屋氏の名誉のために書いておくと、第4回までの記事は割と納得できる物もあるんですよ。
「ヒューマンマネジメント」として読む、というより、自分が教育される側として。
「仕事を上手く進めて周囲から認められるためには,仕事に「価値」を付加しなくてはならない」
「「丸投げ」したら自分に何も残らない。でも,自分の責任で仕事をやればたくさんの知識と経験が自分に蓄積され,判断も早くなる。結局,最後には楽になる・・・」
「「仕事があって時間がどれくらいかかる」のではなく,時間が決まっていて仕事のやり方を決めるんだ。」
「抽象的なことしか言えないのは,理解が浅いんだ。」

思うに、この記事を読んだ人の多くも同じ気持ちだったんじゃないでしょうか。
自分が芦屋氏に教育される側として。
だから、今回の記事を読んだ時も「坂本君」の側に感情移入してしまって、それで反発を覚えたんじゃないか……と。
 
ともあれ、私も、良き職業人、良き教育者を目指したいものです。
私は、日頃いかが人を育てているでしょうか?

*1:逆に言って、坂本氏に成長すべき余地があることも否定しません。

*2:もちろん、指導上、子どもの異論をいちいちその場で採り上げていたら指導にならない、ということはあります。
「今は先生の言ったとおりにやりなさい」と言わざるを得ない場面もあります。
ただ、それは「子どもの意見を聞かなくて良い」ということではないと思うわけで。

*3:もちろん、教師が十分に人間的な実力を持っていることが分かれば、子どもも一目置くようになる、とは思いますし、それは望ましいことだと思いますが。
でも、芦屋氏のこれって「人間的な実力」なのかなあ?