「いじめ対策」対策。

文部省の通知に曰く。

「いじめ」の定義については、一般的には、

  1. 自分より弱いものに対して一方的に
  2. 身体的・心理的な攻撃を継続的に加え
  3. 相手が深刻な苦痛を感じているもの

とされているが、個々の行為がいじめに当たるか否かの判断は、表面的・形式的に行うことなく、いじめられた児童生徒の立場に立って行うことに留意する必要がある

だそうです。
 
…………。
 
なるほど。
おっしゃることはよくわかりました。
 
えーと、でも、「一般的に〜〜とされている」って……。
 
文部省が最初にそう言ったんじゃなかったんでしたっけ?
 
さて、もちろん、いじめは卑劣な行為であって、断固許すことはできません。
 
しかし、それは自明な事実とした上で、「準いじめ」とでも呼ぶべきものについて思うことを。
 
不登校にせよ学習障害にせよ不適格教員にせよ、学校の抱える問題のほとんど全てがそうであるように、いじめにもスペクトルがあります。
真っ白なレベルと真っ黒なレベルとの間に、広大なグレーゾーンがあるわけです。
 
ちょっとつつかれたとか、ちょっと嫌なことを言われた、とか、ちょっと冷たくされた、とか、他の子には親切にするのに私には親切にしてくれない、とか。
 
そういった、ほんのわずかないじめの兆候でも見逃すな、対処を怠るな、というのは全くの正論のように思われます。
でも、誰かが誰かを嫌うのを禁止するのは難しいことです。
まして、「〜〜ちゃんにつつかれた」みたいな、ほとんど悪意のない「嫌な行動」までとなると。
 
先日、
「教職員の職能開発が求められるわけ!」
と題した資料のコピーが配布されました。
 
○学校生活(小学校・中学校)において、先生との関係で、とてもいやな思い出は?
○あなたが注意されたり叱られたりして嫌だったのは、どんな言葉ですか?

 
というのに対して、いろいろな回答がリストアップされていました。
 
まあ、その中でも、
○「へたくそだからくるな」「バカ」「帰れ」「神経がどうかしている」「お前のせいでだいなしだ」「お前が悪いんだ」という言葉。
○「幼稚園に帰れ」「男なのに、にこにこしていて気持ち悪いんだ」

みたいなのは、確かにひどいと思います。(最後のは、たぶん担任と子どもがうまくいってないんですね)
 
でも、
○分からないから「分からない」と答えたのに、「なぜ分からないの」と言われた。
○「それじゃ理由になってないだろう」自分なりに理由を言ったのに、流されてしまった。
○ものを壊した時、怒られる内容は同じなのに、何人もの先生に同じことを言われた。

……とか、確かに良い指導じゃないかも知れないけど、時にはあることだと思いますよ?
 
「1kmは何m?」
「1000m」
「よし、じゃあ、2kmは?」
「んー、2000m?」
「よしよし、じゃあ、1km100mは何mかな?」
「えーと、1100m」
「そうだねえ、それじゃあ、2km100mは何mだろう」
「えーと、12km!」
「…………うう」
 
『なんでわからないんだ?』
って、本気で思うことはよくありますもの。
この子の脳内で、何がひっかかっているんだろう? って。
 
あと、先日、本校の産休代替の先生が話していたこと。
 
「A君が、B君のことすごく無視したりとかいじめるんですよ。
それで、『なんでそういうことするの』って聞くんですけど、そうしたら『精神的に嫌』とか、『生理的に受け付けないんです』とか言うんです。
そういうのって、なんて答えたらいいんですかね?」
「んー。 それはそういう問題ではない気がするけども……」
 
聞かれた先生は、
「相手に嫌な思いをさせているのが事実である以上、理由を言ってすまされるようなことではない」
「理由を聞くだけ聞いて、『そんなのが理由になるか!』って一喝する」
……とか答えてました。
 
正当な理由など存在しない。
そういうケースもあるわけだと思います。
 
「でもね、私が注意すると、A君はすごく納得いかない顔をするし、どうもおうちでも私に言われたことしか話してないみたいで、なんだか保護者の方からも私嫌われちゃったみたいで……」
「子どもなんて、自分に都合悪いことは親に話すわけないんだけどねえ。
先生が自分で保護者の方に電話して、
『最近A君が学校でこれこれこういう状態で、このような指導をしたんですが、おうちではどうですか?』
って聞いてみるといいと思うよ。
最近急にそういうことが始まったんであれば、実際にA児も何か問題を抱えているのかも知れないから、
『A君のことが心配で』って立場で事情を聞いてみれば、保護者も安心するんじゃないかな」
 
もちろん、グレーではなくてブラックなゾーンに属するいじめや、体罰に代表される駄目な指導も存在する、というのは厳然たる事実で、それは許されないことだ、という意見に異論を唱えるつもりはありませんが。
 
この前は、職員会議で校長先生から、
「保護者から苦情があった」
として、
「指導の際に子どもに手を出さないこと」
「大声をあげないこと」
などを指示されました。
 
ううん……。
 
確かに、蹴ったり叩いたりは体罰ですけど。
文科省の基準だと、
「身体に対する侵害、被罰者に肉体的苦痛を与えるような懲戒は体罰に該当する。(昭和23(1948)年12月22日法務庁法務長官調査意見)」
だから、たとえばおでこをつつくレベルまで体罰にあたるとは思えないんですが。
(ていうか、要するに体罰って傷害罪なんじゃないかと)
 
まして、大きな声で叱ると他の子がびっくりする、って。
どんなガラスの心臓ですか。
 
なんか最近、間違った方向に圧力が高まってる気がするんですけども。
 
どうも、
「とにかく子どもに嫌な思いをさせるべきではない」
……というのが、昨今の風潮であるようです。
 
確かに、子どもを大声で叱ったりして従わせるような指導よりも、やさしく説いて聞かせて納得させる方が、指導としては上だと思います。
どんな教師だって、それを目指していると思います。
 
また、子ども同士でも、他の子を思いやって、相手が嫌な思いをしないよう考えて行動できる子の方が立派だ、というのに異論はないでしょう。
 
実際、A児とB児の間でトラブルがあった時、
「A児、そんなの大したことじゃない。そんなことで泣くな」
……っていうのより、
「B児、君に悪気がなかったのはわかったけど、A児はそれが嫌だったんだって。自分はいじわるのつもりでなくても、相手はそれが嫌だ、ってことはあるんだよ。これから気をつけようね」
……って指導の方がポピュラーだし、たぶん妥当だとされているんじゃないかと。
 
でも、仮にそういう指導が行き渡って、保護者も教師も子ども同士でも、子どもが嫌な思いをしないようなクラスになったとすると。
そういう環境で育った子どもって、大人になるまで、対人関係で嫌な思いをせずにすんでしまうわけですよね?
 
……それって、どうなんでしょう。
 
「最近の若者は厳しく叱られた経験がないから、ちょっと上司に叱られるとすぐに会社を辞めてしまう」
とか、私が就職する前から言われてましたけど。
 
その傾向に拍車をかけませんか。
 
そういう教育方針って、要するに子どもを精神的に無菌培養しようとしているのであって。
無菌室にいる間はそりゃあみんな心身共に健康で明るいクラスかも知れないけど、無菌室から出た瞬間に、「宇宙戦争H.G.ウェルズ)」の火星人みたいなことになるんじゃ。
 
いや、だからって、わざわざ子どもを理不尽な叱り方をしたり、子ども同士のトラブルをあおったりするのがいいとは思えませんが。
それは要するに、病原菌の繁殖を助長することなわけで。
抵抗力のない子は死んでしまいます。比喩でなく。
 
となると、解決策はやっぱりソーシャルスキル教育でしょうか?
ソーシャルスキル教育とは、そもそもは
少子化の影響で、社会性を身に付ける機会のないまま学校に入ってくる子が増えた」
ということから、社会性育成のために注目されるようになったものですが、これを応用することで、いじめに屈しない、上司に叱られても挫折しない力が身に付くかも知れません。
 
現在、教室を無菌化しようという要請が高まっています。
しかし、それは一時的には問題が沈静化したように見えても、長期的にはむしろ危険だと思います。
ソーシャルスキル教育を通して、理不尽な目にあってもくじけない抵抗力を付けること。
いわば「種痘」が必要なのではないでしょうか。
 
……でも、ソーシャルスキル教育だって、
「ストレスマネジメント教育」
より、
「相手に嫌な思いをさせない教育」
がメインだよね、現状。