特色ある足立区。

足立区だけの特色でとどまって欲しいものですが。
 
ニュースから。

小中学校予算に学力テストの結果を反映…東京・足立区
 東京都足立区教委は来年度から、区立小中学校への予算配分に、都と区が実施している学力テストの結果を反映させる方針を決めた。

 テストの平均点などから各校を4段階に分類し、各校の独自の取り組みに支出する「特色づくり予算」の配分を、1校あたり500〜200万円と格差をつける。区教委教育政策課は「子供の能力に序列をつけるのではなく、学校経営を評価するという趣旨。学校の経営改革として実施したい」としている。
 
http://www.yomiuri.co.jp/kyoiku/news/20061104ur22.htm

リンクミスを修正しました。霞先生、ご指摘感謝します。
とうとうそういうことが、という感じです。
 
これによって、もちろん、各校の、子どもたちの学力を向上させようというモチベーションは上がるはずだと思います。
 
例えば、昼休みに補習をやるとか、放課後に補習をやるとか、運動会の練習を削って補習をやるとか、そもそも学校行事を減らして補習をやるとか、道徳の時間にこっそり補習をやるとか、学級活動の時間にこっそり補習をやるとか、体育を減らしてこっそり補習をやるとか。
 
もちろん、道徳とか学活とか体育を削るのは問題ですが、例えば「先生のクラスが学年で一番成績が悪い」的な目を向けられたら、そういう行為に走る担任が出てくるのはむしろ必然かと思います。*1
 
いや、これは必ずしも悪質な妄想ではなくて。
 
昨年、市内全校の学力テストの結果を公表することにしたために、学校側が子どもの答案を改竄して、成績を高く見せかける、なんて事例があったりしたのです。
それも校長自ら。
http://www.asahi.com/edu/news/TKY200610300141.html
 
そもそも、今回配分に使う予算は「特色づくり」用の予算なんだそうですが……。
 
えーと、つまり「特色ある学力向上」ですか?
 
だって、評価基準は全国共通なのに、どう特色を出せとおっしゃるんですか。
 
私としては、こういった、数値化して競争をあおろうっていう発想は、学校にはなじまないのではないか、と常々思っています。
いや、陳腐な意見だとは重々承知してるんですが。
 
企業であれば、基本的には利潤をあげるのが最大の目標だし、それを基礎にして考えれば、数値目標を掲げるのもまずまず簡単だろうと思います。(実際には、全部門が直接売り上げを出してるわけじゃないから、難しいこともあると思いますが)
 
しかし、教育の目標は、教育基本法に従えば「人格の完成」ですから。
それって数値で評価できるものですか?
 
いや、児童生徒指導に競争原理を持ち込もうという事例は昔からあります。
 
以前読んだ本で、あいさつ指導に得点制を持ち込んだ話がありました。

  • 友だちに、自分からあいさつできたら3点
  • 友だちからあいさつされて返すことができたら1点
  • あいさつできなかったら0点

……みたいなルールを定めて、スタンプカードに得点を記録していくという。
 
容易に想像できることですが、この制度以前は
 
「おはよー」
「あ、おはようー」
 
……ですんでいたものが、
 
「おはよッ!」(3点)
「くッ……おはよう! やりやがったなこの野郎!」(1点)
 
……な感じになってしまったという。
 
いやまあ、これは極端な例で、評価基準が間違っていた例だと思うんですが。
 
ただ、それじゃあ、「正しい評価基準」って何だろう? という。
 
近年、学校には、なにごとにつけ
「数値目標を設定しろ」
……という圧力がかかります。
 
社会人校長とかが、
「教育現場であっても、何らかの形で数値目標を設定することは可能だし、有効だ」
……みたいなコメントをしているのが新聞に載ったり。
 
それはまあそうで、学校でも、何らかの形で数値目標を設定するのは可能です。
むしろ容易ですらあります。
通知票ってのはそういうものですし。
 
ただ、教科で言うと「知識・理解」とかは数値化が容易でも、「関心・意欲・態度」はなかなか困難ですし。
まして、道徳的実践力とか「自ら学び自ら考える力」「生きる力」とかになるとなおさら困難。
 
「大切なんだけど数字で表せないもの」っていうのが、とても大きいわけです。
ていうか、人間そのものの評価なんだから、当然ですが。
 
そういう、数値化が困難な分野で、地域や学校の特色を生かした取り組みをするように、というのが、「特色ある学校作り」だと思うんですが。
それを、何より数値化が容易な「学力向上」の予算に充てようという足立区の発想はよくわかりません。*2
 
どうも、こういう「わかりやすさ」「評価しやすさ」を求める性急さが最近とみに増しているように思います。
 
現実には、評価も何も、
「そもそも学校が子どもたちに身に付けさせるべき力はなんなのか」
という基本的なことでさえ、共通理解が図られていないのが教育界の現状なんじゃないでしょうか。
 
これは、必ずしも教育学者が馬鹿だとか無能だとかいう話ではなくて、教育がいつも子どもを相手にしなきゃならない、という根本的な事実に由来しているのです。
 
かつて、遺伝学の黎明期、メンデルがメンデルの法則を発見するには、エンドウマメを使いました。
従って、遺伝子の一世代は一年。
実験は15年の期間を要しました。
 
やがて、実験にハツカネズミが使われるようになると、ハツカネズミは2・3ヶ月で成熟し、子どもを生むようになりますから、実験のスピードは数倍になりました。
 
さらに時代が進んでショウジョウバエが使われるようになると、世代間隔は10日に。
さらに大腸菌、T2ファージ……
 
と、これはかなり乱暴な議論で、今でもハツカネズミを使わないと検証できない仮説とかもたくさんあるわけですけれども。
ただまあ、とにかく研究をスピードアップさせる方法がいろいろできた、ということです。
 
ひるがえって、我らが教育学は?
 
依然として人間の子どもを研究対象にしています。
 
人間の子どもは、教育期間が終了するまでに最低9年。
 
最近では大学に行くのが当たり前で、新しい世代が生まれてから教育課程が修了するまでの期間はむしろ長くなりつつあります。
しかも、教育期間が終わればそれでおしまい、ではなく、むしろそこからが始まりです。
教育機関で身に付けたものが、どこまで社会で役立つのか、という検証をそこから始めなければなりません。
 
おかげで、例えば情報工学(私の弟の研究分野)では、「去年の参考書は今年使えない」のが当たり前であるにも関わらず、教育学の分野では、依然としてピアジェ*3だのロジャース*4だのマズロー*5だの、下手をするとルソー*6だの「アマラとカマラ*7だのが現役です。
 
だから情けない、とかいう話ではなくて、子どもを相手にしている限り、研究のサイクルが遅いのはどうにもならない学問なのです。
  
もちろん、どんな研究にも20年も30年もかかるというわけではありません。
「子どもの計算力を伸ばすのに百ます計算は有効か」みたいな研究テーマだったら、数ヶ月でできるでしょう。
「数学的思考力を伸ばすのに、算数的活動を積極的に取り入れた授業が有効か」だと、数年。
それが、
「社会で必要とされる数学的能力は何で、それを身に付けさせるにはどういった教育方法が有効か」
……となると、数十年の期間が必要なのです。
 
だから、これまで、学習指導要領はほぼ10年ごとに改訂されてきました。
新しい教育内容を大学付属校などで実験し、その結果を検討し、あるいは、中教審などの結果をふまえ、新しい方針を決定するには、それだけの期間が必要だったわけです。
 
ところが、なんでも伊吹文科相は、このたびの履修漏れ問題を鑑みて、指導要領を見直す方針だとか。
 
この前、ゆとり教育がらみで見直したばっかりだよ?
 
そんなころころ変えたって、前回の改訂の結果が現れる前に改訂、ってことになるだけで。
 
こういうものって、「Plan→Do→Check→Action」が基本なんじゃないんですか。
なのに、「Check」する暇もなく「Do」がやってくる、という。
勘弁してください。
 
社会の変化が早くなっている分、教育改革もスピードが必要だ、とかいう話なのかも知れませんけど、あいにく、人間の子どもが成長する速度は、ムーアの法則には従わないのです。
 
メンデルのエンドウマメがまだ実を付けない段階で、早く論文を書け、ってせっついたって、どうにもならないと思うわけです。
 
そうやって悠長に構えていられないから、足立区みたいに、すぐ評価できる「学力」とかに飛びついちゃうのかも知れませんけど。
学力が高いのは確かにいいことかも知れないけど、それ以外の部分を評価しないで学校を序列化しようというのは、切り捨てる部分があまりに多すぎて危険だと思います。
 
それに、学力の高い学校にたくさん予算を配分する、ってことは、「底辺校にかける予算はない」ってことになるわけで。*8
下の方にランク付けされた学校では、予算不足でますます学力が低迷する、ってことになるんじゃないでしょうか。
 
学力が低迷しているなら、なおさらたくさん人員(=予算)がいる、っていう方が、まだ発想として正しいように思えますが……。*9
 
「すべて国民は、法律の定めるところにより、その能力に応じて、ひとしく教育を受ける権利を有する」
とは、日本国憲法の定めるところですが。
「能力に応じた教育」って、能力の高い子にたくさん金を掛ける、って意味ではないと思うんですが。
でないと、知的に障害のある子なんて、予算かけないことになっちゃいますよ?
 
それに、どんなにがんばっても学習内容を十分に理解するのが困難な児童がいるのが学校の実態なわけで。
そうすると、知能的にボーダーラインの子は、どんどん特別支援教育の方に行くよう圧力をかけた方が制度上有利、ってことになります。
「お宅のお子さんみたいなのがいると他のお子さんが迷惑するんです」みたいな。
 
だったら、得点そのものではなくて、本人の学力がどの程度向上したか、とか、能力に対してどの程度学力があるか、とかを評価する必要があるんじゃないでしょうか。
まあ、そんなの不可能なんだけど。
 
こういう、適切かどうか疑わしい基準で子どもたちを競争に追い込むという点で、足立区の方策も、
「おはようッ!」
の話と、似たり寄ったりなんじゃないか、と思うことしきりです。

*1:もっと嫌な話として、
「明日は統一学力テストです。お前とお前は学校に来るな」
みたいなのとか?

*2:たぶん、一番融通が利く費目だから、とかそんな理由だと思うんですが。

*3:児童心理学者。四段階からなる思考発達段階説を唱えた人。(1896〜1980)

*4:臨床心理学者。非指示的カウンセリングの人。(1902〜1987)

*5:自己実現の欲求を最上位に置いた、欲求の五段階階層説を唱えた人。(1908〜1970)

*6:フランスの哲学者。「ルソーの著作といったら?」と聞かれて「社会契約論」と答えるのは普通の人で、「エミール」と答えるのは教育関係者。(1712〜1778)

*7:オオカミに育てられた野生児……とされるが、現在ではどこまで本当なのか疑問視されている。1920年に発見された。

*8:いや、「成績が低い学校には、別建ての学力向上予算で非常勤講師を派遣するなど対応は可能」とか言ってますけど。
でも、そもそも、英語講師の派遣費用とか、特色作り予算でまかなってたんでしょ?

*9:もっとも、低学力校にたくさん予算を配分するよ、って方式でも、問題は起きるだろうけど。