以前、とあるとんかつ屋にて、「白金豚」なるブランド名を目にする機会がありました。
その時は「はっきんぶた」なのか「はっきんとん」なのか、はたまた「ぷらちなぶた」なのかさえ分かりませんでしたが、ちょっと珍しい名前だな、と思って、後にネット検索。
読みは「はっきんとん」だそうです。
「白金豚」公式ホームページ
http://www.meat.co.jp/main.htm
岩手のブランドポークで、飼育配合から出荷までの一貫生産、豚肉免疫力の弱まる離乳期には別の農場で育てる2サイトシステム、山のわき水を鉱石で濾過した極上活性水の使用……といった方法で育てられた豚なのだとか。
「極上活性水」というくだりを読んでうさんくささに圧倒されてしまうのは私の心が狭いからですか。
で、その名前は、
岩手県花巻市の偉人、宮沢賢治は、人間の業をよんだ秀作「フランドン農学校の豚」の冒頭で、豚が大地の恵みを受けて上等な食肉を生み出す様を、自然界における「触媒だ。白金と同じことなのだ」と感心しています。
童話作家であり、学者であった賢治ならではの例といえます。そして今、花巻の大地でその精神を受け継いで昇華した豚肉に「白金豚」(はっきんとん)と名付けました。
「フランドン農学校の豚」。
高名なる童話作家、宮沢賢治の作品から名をとっているのですね。
実に高尚な。
……で、名前聞いたことある人います?
「フランドン農学校の豚」は、確かに宮沢賢治の童話です。
宮沢賢治作品で最も印象に残った作品を挙げよ、と言われたら私はこれを推すんですが。*1
しかし、「こども童話文庫」とかに入ることはたぶん絶対にない作品です。
森羅情報サービスで全文読めますので、興味のある方はご一読を。
フランドン農学校の豚→http://why.kenji.ne.jp/douwa/54furand.html
以下ネタばれ。
この作品、フランドン農学校で飼育されている豚が主人公です。
ただ、この話の中の動物たちは、みんな人並みの頭があり、この豚は
「語学も余程進んでゐたのだし、又実際豚の舌は柔らかで素質も充分あったのでごく流暢な人間語で」
話すことができます。
まあ、つまり、動物さんたちがおはなしすることのできる、メルヘンな世界なわけですよ。
童話だし。
で、豚は、「なんのために農学校が自分を飼っているのか」なんて考えもせず、厩舎で毎日ごろごろしながら、自分を白金にたとえる農学校生徒の言葉など聞いて気持ちよく生活しています。
ちなみに件の台詞の全文は、
「ずいぶん豚というものは、奇体なことになっている。水やスリッパや藁をたべて、それをいちばん上等な、脂肪や肉にこしらえる。豚のからだはまあたとえば生きた一つの触媒だ。白金と同じことなのだ。無機体では白金だし有機態では豚なのだ。考えれば考える位、これは変になることだ。」
スリッパ……。
まあ、豚というのは何でも食べて太る生き物だ、というのが「白金」という言葉に集約されてるわけですね。
そしてある日、自分の餌の中に歯ブラシなどを見つけてしまい、なぜか言いしれぬ不安に襲われたりするのですが。*2
さて。
ところが、丁度その豚の、殺される前の月になって、一つの布告がその国の、王から発令されてゐた。
それは家畜撲殺同意調印法といひ、誰でも、家畜を殺さうといふものは、その家畜から死亡承諾書を受け取ること、又その承諾証書には家畜の調印を要すると、こう云ふ布告だったのだ。
さあ、不穏な気配が漂って参りました。
何も知らない豚のところに校長がやって来ます。
なんとかして死亡承諾書に印をつかせるために。
「実はね、この世界に生きてるものは、みんな死ななけぁいかんのだ。実際もうどんなもんでも死ぬんだよ。人間の中の貴族でも、金持でも、又私のやうな、中産階級でも、それからごくつまらない乞食でもね。」
「はあ、」豚は声が咽喉につまって、はっきり返事ができなかった。
「また人間でない動物でもね、たとへば馬でも、牛でも、鶏でも、なまずでも、バクテリヤでも、みんな死ななけぁいかんのだ。蜉蝣のごときはあしたに生れ、夕に死する、たゞ一日の命なのだ。みんな死ななけぁならないのだ。だからお前も私もいつか、きっと死ぬのにきまってる。」
「はあ。」豚は声がかすれて、返事もなにもできなかった。
(中略)
「死亡をするといふことは私が一人で*3死ぬのですか。」豚は又金切声で斯うきいた。
「うん、すっかりさうでもないな。」
「いやです、いやです、そんならいやです。どうしてもいやです。」豚は泣いて叫んだ。
「いやかい。それでは仕方ない。お前もあんまり恩知らずだ。犬猫にさへ劣ったやつだ。」校長はぷんぷん怒り、顔をまっ赤にしてしまひ証書をポケットに手早くしまひ、大股に小屋を出て行った。
「どうせ犬猫なんかには、はじめから劣ってゐますやう。わあ」豚はあんまり口惜しさや、悲しさが一時にこみあげて、もうあらんかぎり泣きだした。
なんてメルヘンチック。
で、まあ、結局この豚がどんな目に遭うかは、ぜひご一読を、としか言えないわけですが。
んー。
まあ、少なくとも、読んでとんかつが食いたくなるような話じゃないです。
ていうか、賢治自身は熱心な仏教徒で、生涯ベジタリアンでしたから、読んで豚肉をむしゃむしゃ食いたくなるような話は書きたくたって書けないはずなんですけども。
<注意>
・「白金豚」は「白金」のフレーズからくるイメージを参考にしており、物語の内容とは関係ありません。
……いや、どうなの、それ?
賢治が生きていたらなんと言うかしら。
「ふん。今度のパンフレットはどれもかなりしっかりしてるね。いかにも誰もやりそうな議論だ。しかしどっかやっぱり調子が変だね。」地学博士が少し顔色が青ざめて斯う云いました。
「調子が変なばかりじゃない、議論がみんな都合のいいようにばかり仕組んであるよ。どうせ畜産組合の宣伝書だ。」と一人のトルコ人が云いました。
(「ビヂテリアン大祭」より)
「ビヂテリアン大祭」もお勧め作品。
「フランドン農学校の豚」より後に書かれた作品です。
賢治が仏教徒でベジタリアンで、しかし晩年色々理想と現実の狭間で思い悩んでいたことを頭に置いて読むと、賢治の内面の葛藤が見えて面白いと思います。
んー、それはともかく、白金豚はうまかったですよ。
物語の内容とは関係ありません。