「ライオンと魔女」感想。

原作をちょっと読み返してみました。
そしたら、「ナルニア国ものがたり1」の冒頭は、

むかし、ピーター、スーザン、エドマンド、ルーシィという四人の子どもたちが、いました。この物語は、その四人きょうだいが、この前の戦争(第一次世界大戦)の時、空襲をさけてロンドンから疎開した時におこったことなのです。
ライオンと魔女」(C.S.ルイス作 瀬田貞二訳)

……って書いてありましたよ。
 
第一次大戦かよ!
 
冒頭の爆撃シーンに見覚えがないのも当然で。
第一次大戦じゃあ、ハインケルもメッサーシュミットも関係ないじゃないですか。
ツェッペリン飛行船とか?
 
上空に浮かぶ巨大な飛行船。
そこからばらばらと落とされる爆弾。
 
……それはそれで映像として見たかったかも。(「映像の世紀」でちらっと出たけど)
まあ、ロンドン空襲の時には、もう飛行船じゃなくて飛行機(ゴータ爆撃機。複葉双発)だったけど。
 
しかしまあ、戦争の話はこのくらいにして。
まともな感想を書こう。
 
やはり、映像の力は偉大ですね。
ちゃんと逆関節で歩き回るフォーン(下半身がヤギ)とか、雪の中から魔法で料理を取り出すところとか、なかなか新鮮でした。
その、美味しそうな料理が、投げ捨てるとただの雪の塊になってしまうのが、またなんとも空恐ろしい。
それと、いちいち場面に合わせて衣装が替わる白の魔女とか。
 
また、最年少のルーシィの演技は実に素晴らしいもので。
台詞がない時の感情表現まであれだけしっかりできる子役って、すごいと思います。
 
……でも、実のところ、私はナルニアってあんまり好きじゃないんですよ。
指輪物語の方が好き。
 
指輪物語を書いたトールキンは、「この物語は寓話ではない。いかなる寓意も含んでいない」って言い張っています。
まあ、勧善懲悪の物語に寓意を見出さないことは難しいですけど、トールキンは、あの物語を読んで「これは第二次大戦のことを描いたのですね」とか言われるのが嫌いだったみたいです。
「わたしは寓意というものが、どんな形で示されようとどうしても好きになれない。わたしは長じて以来ずっとそうだったし、少しでも寓意の存在が感じられればすぐにそれに気がつくくらい用心深い」
 
一方で、ナルニア国ものがたりは、明確にキリスト教の視点から書かれているわけで。
 
ナルニア国誕生を描く「魔術師のおい」は、世界の創造と原罪の発生、そしてリンゴを食べるよう誘惑する魔女が描かれます。
「さいごの戦い」では、悪の神「タシ」の軍勢と、偉大なライオン「アスラン」の軍勢とが戦い、世界は終末を迎えます。
そして、最後には審判が行われ、アスランを愛するものには永遠の命が与えられ、アスランを憎むもの、恐れるものは滅ぼされるのです。
 
今回映画化された「ライオンと魔女」は、それほど露骨ではありません。
しかし、「罪のないものが罪のあるものの身代わりとなって殺され、そして復活する」というテーマが何を意味するかは明白でしょう。
(そして、「生き返ることがわかってるなら犠牲とは言えないんじゃ?」みたいなうさんくささもつきまとうんですが)
人間を表す「アダムのむすこ」「イブのむすめ」という表現は言うに及ばず。
 
もちろん、聖書の物語との違いはあります。
 
「裏切り者」は、ゲッセマネの園で首を括ることなく、改心の機会を与えられますし。
禁断のリンゴにしても、子どもたちは誘惑に屈することなく、魔女の誘いをはねつけますし。
 
もう一つ、どうしても気になるのは、子どもにあっさり武器を渡してしまうサンタさん。
これは、原作通りなんですが。
(ちなみに、原作のサンタさんは、「女が戦う戦いは醜い」というのに対して、映画では「戦いは醜い」と、フェミニズムに配慮しています)
 
この動画とか見て、どう思われますかね?
http://www2.edu.ipa.go.jp/gz/p-rek1/p-sho5/p-s38/p-199.mpg
出典:IPA「教育用画像素材集サイト」 http://www2.edu.ipa.go.jp/gz/

史記録映像 ⇒ 昭和17〜18年 ⇒ 昭和18年中期頃
【戦時下の日本 訓練する生徒】 映像は、国民学校の校庭で、飛行機操縦の基礎訓練をする国民学校児童のようす。模型飛行機、木製の操縦かんを操作、飛行機の絵を瞬間的に見て当てる訓練のようす。

私としては、子どもが戦争の訓練をする図、っていうのは、どうしても好きになれないのです。
 
まあ、小学生〜高校生が異世界に飛ばされて、剣を握って戦うジュブナイルな話なんて、世の中掃いて捨てるほどあるわけですけど、どうにもナルニアは生々しくて。
だから、「この剣を使う時が間近に迫っている」……と言われながら、血を見ずに済ませたピーターの機転は良かったと思うんですけど……。
 
頭が古いのかも知れませんが、物語における子どもの長所というのは、

  • 知恵(常識を持たないがために、真実を見抜く目を持つ)
  • 勇気(無鉄砲さと紙一重
  • 純粋さ(無知ゆえではある)
  • 未来への希望(未熟であることの裏返し)

……といったことだと思うのです。
 
だから、子どもが剣を振るって大人と肩を並べて戦う図式は、私としてはどうも……。
 
……ところで、なんでサンタクロースの衣装、赤くなかったのかな。
 
それはそれとして。
 
映画独自のシーンもけっこうあるんですけど。
 
基本的にはそれもよかったかな、と思います。
いや、ロンドン爆撃はともかく。
 
タムナスとエドマンドが牢で会う場面とか、良かったですよ。
あれで、エドマンドが自分の行動の意味を見つめ直すきっかけになったし、原作では影の薄かったタムナスもかっこよくなったし。
キツネもそうだな。
 
……しかしあれだね。
「なぜお前が捕らえられたかわかるか?」
ナルニアに……自由を願ったから」
って……。
 
私なら、「春を願ったから」にするけど。
……さすが、アメリカ脚本。
 
ともあれ、原作が好きなら見ると良い映画です。
原作が嫌いなら……同じところが嫌いだと思います。
ほぼ原作に忠実なので。
 
原作を知らないなら……。
ちょっと、ご都合主義が気になるかも、知れません。
 
「大帝の魔法」がなんなのか、「魔術師のおい」も聖書も読んでない人には、唐突に感じられるでしょうから。