試論:電気自動車の政治史。

少し前の新聞記事で、小泉総理が電気自動車「ELIICA」に試乗したというニュースを読みました。(私は新聞はネットですませるので、正月に帰省した時の話ですね)
 
素晴らしい加速性能(無段階変速で、最高時速370km/h……って、新幹線ですか?)で、運用コストも安価なんだとかで。
総理は大変電気自動車に感銘を受けて、
 
約10分間の試乗を終えた首相は少し興奮気味。「スピードがすごいね。こうバーッと」と身ぶり手ぶりを交えて説明しながら、
「石油のない日本には打ってつけ。産業構造改革だ。実用化のために政府として支援していく」
 
……みたいなことを言ったんだそうですね。
 
とはいえ、運用コストはともかく、リチウムイオン電池の製造コストがべらぼうにかかるので、主要自動車製造各社はわりと冷たい目で見ている、みたいなことまで書いてありましたが。
 
ふむ。
 
しかし、この「エリーカ」、ポルシェ以上の加速力、なんて言われているのを見ると、ちょっと感慨深いものがあります。
というのも、電動車両とポルシェ社、無関係ではないからで。
 
環境への配慮、といえば、環境政党緑の党」なんてのもあるドイツが先進国です。
 
電動車両についても、ずっと以前、同国の自動車会社、ポルシェ社が製作した歴史があるのです。
 
やっぱり首相から高い評価を受け、そして一般には受け入れられなかったのですが。
 
ポルシェ・タイプ101、またの名をVK4501(P)。
 
とはいえ、試作機が製作されたのが1942年。
今から60年以上も前のことですから、タイプ101の路上最大速度は35km/hと、エリーカに比べたら1/10以下ですが。
 
技術的にも、バッテリーを内蔵して動く現代の電気自動車と異なり、ガソリンエンジンを搭載し、そのガソリンエンジンが発電機を動かし、発電機がモーターを動かして前進する、というもので、重量がかさみました。
 
それでも、重くて故障の多いトランスミッションを省き、スムーズな加減速・前後進・旋回ができる、という理屈でした。
……が、現実にはこの駆動方式そのものが故障が多く、当時の技術では発電機の効率も悪く、結局は採用に至りませんでした。
 
これが当時の写真です。
 

 
ちなみに前面装甲は100mm。
武装は88mm砲。
砲塔が前方に寄っているのは、後ろに積んだエンジン+発電機+モーターという駆動系が場所をとっているためです。
 
競争試験で本機を見たヒトラーは熱狂しましたが、前述の通り駆動系をはじめ多数の問題を抱えていたため側近がこれに反対し、最終的にはヘンシェル社製のVK4501(H)が採用されました。 
 
これが、後に「無敵戦車」の伝説を築く、VI号戦車ティーガーです。
 
これに対し、本機は俗にポルシェティーガーと呼ばれています。*1 
……まあ、採用しないのがドイツのためだった気もしますが。
(いや、駄目な兵器を却下して戦況を有利に進めるのが、結局ドイツのためになったのかどうかは知りませんが)
 
ポルシェティーガー、フェルディナンド・ポルシェ博士がヒトラーにコネがあったせいで、試験前にうっかり量産を始めてしまって。
おかげで、不採用になった後、量産されて余った車体も数奇な運命を辿ることになるわけですが。
 
ELIICAにも、電動車両の正統な子孫として、健闘して欲しいものです。
でも、うっかり量産命令とか出しちゃだめですよ、小泉さん。
 
……っていうか、新聞記事読んでこういう連想が出てくる自分もどうかと思うよな。

*1:付け加えると、ポルシェ博士が電気自動車を作っていたのは本当だそうです。
それも、パリの万国博覧会(1900年)に出品したといいますから、大昔の話ですね。
……ひょっとして、そこですでに道を誤っていたのか、ポルシェ博士。