先日、体育の時間中に左手小指を剥離骨折したA児ですが、しばらく前に無事完治しました。
私自身について言えば、事後の対応も含めて反省の多い事故でしたが、養護教諭の適切な対応もあって(保護者と一緒に病院まで行ったんです)、保護者の方にはご理解を頂けたようです。
さて。
治療中だった頃に。
教頭「Aちゃん、指大変だね」
A児「うん。しゃっくりこっせつなの」
担任「それを言うなら剥離骨折だ」
A児「しゃっくりしたらゆびがおれちゃったんだよ」
教頭先生に嘘を教えるのはやめて下さい。
教頭「でもAちゃん、左利きを直すいい機会だね。来年からお習字も始まるし」
そこで担任をちらり。
ふむむむむ。
担任も左利きなのです。
「右利きにしろ」というのは、昨年度も校長から指示を受けた内容で。
校長「先生のクラスのA児とB児、左利きだよな」
担任「C児もですね」
校長「直してやれ」
担任「はあ……。私も左ですね」
校長「直せ」
担任「はあ……」
校長「3ヶ月右で書いてみろ。右利きになるから」
担任「はあ……。しかし、右で書くと今以上にぐにゃぐにゃの字になるんですが……」
校長「子どももわかってくれる」
担任「はあ……」
私は大変な悪筆で。
黒板に字を書いておくと、必ず子どもの字だと思われます。
だいたい小学3年生レベルくらい。
で、「これは左手だから字が下手なのに違いない」……と思う人もいるようで。
昨年度も本年度も、クラスで一番字が綺麗なのは左利きの子でした。
ですから、私の悪筆は単に私自身の問題で、右左は関係ないんですが。
さて、この校長の指示の直後、指導主事*1の訪問があって、私が授業をしました。
授業後、発問が悪いとか授業のねらいが定かでないとか教室環境が整っていないとかあれこれ指導された後、
主事「それと先生、やっぱり左利きは直した方がいいですね」
担任「はあ……」
主事「子どもが左なのはともかく、やはり指導する立場の人は右で書いた方がいいです」
担任「はあ……」
あと、左で書くから、子どもたちから黒板の字が見にくくなっているなどと指摘されました。*2
指導主事にまで言われたんじゃしょうがない。
それからしばらく、幼児並みの字で黒板に書いたわけですが。
右手の字は一向に上達した気配はなかったんですが、3ヶ月どころか1ヶ月ほどで顕著な効果が。
左手の字までぐにゃぐにゃになりました。
当番日誌とか、職員室関連の文書は左手で書いていたのです。
たとえ万一、3ヶ月後に右手が上達しているとしても、その前に通知票を書かなきゃなりません。*3
その時、左右両方ともぐにゃぐにゃじゃあどうにもならないわけで。
やっぱりあきらめました。
私が左利きだと知った時、両親はどうしたものか悩んだそうです。
そして、
「左利きか右利きかは生まれつきのものだからしかたない。無理に右利きに直せば、脳に無用の負担をかけるだけだ」
……という結論に到達したのだそうです。
私自身は、両親の判断に感謝しています。
(ちなみに、我がクラスの左利き児童の保護者も、同様の結論だそうで。なので、校長の「直してやれ」の指示はなかったことになりました。)
よく、世の中の道具や設備は右利き向けに作ってあるので、左利きは余計なストレスを感じることになり、平均寿命も短くなる、と言われますが。
私自身については、それほど不便を感じたことはありません。
確かに、自動改札とか自動販売機なんか、切符やお金を入れるところが右側にあります。
でも、昔、ニュースで
「これを左利きの人が使うためには、このようにして体をねじって使わねばなりません!」
……とか、右利きらしいレポーターがしゃべっているのを見て、「えー、そうか?」と思ったものです。
それを言うなら、国内のほとんどの車は右ハンドルなわけで。
マニュアルにせよオートマチックにせよ、レバーが車の中心、運転席の左側にあります。
すろと、右利きの人がレバーを操作するためには、体をひねって操作しないとなりませんよね?
不便じゃないんでしょうか?
っていうか危険。
……右利きの人も左利きの人も、利き手じゃない方の手も動かないわけじゃないですから。
お金を入れたりギアチェンジしたり程度の簡単な作業なら、利き手じゃない方でやればいいわけですよ。
もっとも、この右利き・左利きの傾向には実際は個人差があるらしく。
「自動改札が不便だ!」と主張している左利きの人もたくさんいます。
うちの母は、左手では全く字が書けないそうです。
私の右手以下。
してみると、右ハンドルの車が不便で仕方ない右利きの人も、あるいはいるのかもしれませんね。左利き以上にマイノリティだから声が聞こえないだけで。
缶切りなんかも、私は右利き用のを使っています。
「引いて切る」のが当たり前だと思ってるので、ぜんぜん不便じゃないんですが。
どう考えても、引っ張る時の方が体重をかけられるじゃないですか?
……「ですか?」って言っても賛同してくれる人が少なそうですが。
ですから、「左利き用缶切り」なんて、使わされたらむしろ不便で仕方ないと思います。
むしろ右利きの方、ぜひ左利き用缶切りを買って、「引いて切る」をおためし下さい。
やりやすいですよ? きっとたぶんひょっとしたら。
(いや、左利き用缶切りを切実に必要としている左利きの人もいるんですが……)
一口に「左利き」と言っても、その程度には差があり。
ちょっとした練習で右手中心で生活できるようになる人もいれば、直そうとするのが大変なストレスを伴い、たとえ右手中心で生活できるようになったとしても、左右の混同などの後遺症的なものが残る人もいるようです(もっとも、この辺は経験則的な話で、専門的研究結果は見あたりませんでしたが)。
おそらく、右利きにも同様の程度の差があるのでしょうが、わざわざ右利きから左中心に矯正しようとする人はいませんから、よくわかりません。
(例外:星飛雄馬)
明らかに左利きだと不利なのは習字です。
左で筆を持って、美しい毛筆の字を書くのは不可能です。(筆が紙に入る向きが違うから)
だから、教頭先生のような意見も出てくるわけです。
しかし、それでは、そもそもいったい何のために学校で毛筆をやるのか。
学習指導要領を見てみましょう。
毛筆を使用する書写の指導は,第3学年以上の各学年で行い,硬筆による書写の能力の基礎を養うよう指導し,文字を正しく整えて書くことができるようにすること。
……というのが、指導要領の記述です。
つまり、毛筆は、硬筆の基礎として行われるわけです。
毛筆をやるだけでも、字の「美しさ」に注意が行きますし、硬筆よりも、はね・はらいなどが顕著に表れるという特徴もあります。
その経験から、字を美しく書くには何が必要かを学び、美しく書こうとする意識を持ち、それを硬筆に生かすわけです。
つまるところ、目的は「硬筆を美しく書けるようにすること」で、毛筆はそのための手段、一つの指導方法だということになります。
極端な話、硬筆で美しい字が書けるなら、毛筆はどうでもいいわけです。
左利きの子どもの場合、硬筆に限って言えば、左手のまま、綺麗な字が書けるよう努力した方が、無理に右で書かせるよりいい字が書けるはずです。
毛筆では話が別ですが。
そこで、「左だと習字がうまくできないから」といって右で書かせようとするのは本末転倒でしょう。
毛筆は指導法の一つに過ぎません。
指導法は、児童の実態に合わせて工夫されるべきです。
指導法に合わせて児童を矯正しようとするのは、指導者の横暴です。
べき論はさておいても、実際の人生では、毛筆より硬筆の方が(大抵は)圧倒的に多く使うわけですから、そっちを優先した方がいいのではないでしょうか。
両方できれば苦労はないんですが。
のし袋を書いたりする時には不便なのも確かですから。
あと、あきらかに左だと不便なのは、給食配膳用のおたまですね。サラダとかを配る、熊手みたいな爪が付いた奴。(写真。……のやつは、左右反転してあります)
あれ、左手で持つと爪が向こう側に行ってしまうので、たいそう不便です。
ファミレスのスープバーにある、注ぎ口がついたお玉なんかも同じで。
……ことによると、「向こう側ですくうのが当たり前」とか言って平然としている左利きの人とか、同じ事を言ってえらく苦労している右利きの人がいるのかも知れませんけどね。
両側に爪を付けてくれればいいのになあ。
……てなわけで、給食用の道具を使っている会社、株式会社レーベンさんにメールを送ってみました。
「左右両用のおたまを作ってほしい」と。
給食用となれば、右利きでも左利きでも使いやすいよう考えてもいいと思うわけです。
「ユニバーサルデザイン」とかを標榜しているわけですし。
返事が楽しみです。
さして他人よりストレスがたまったとは思えないこれまでの左利き人生ですが、例外的にストレスがたまったのは、やっぱり前述の上層部とのやりとりですね。
道具がどうこうより、まず考え方をどうにかしてほしいと思います。
両側に爪を付けるとか。
とりあえず、K村学級の中だけでもユニバーサルデザインを実現したいものです。
……それはそうとして、悪筆は何とかしたいですね。
悪筆のせいでとやかく言われる、という面が大きいんだと思いますし。
私みたいなのがいると、「左利きは字が汚い」とかいう風に見られて、他の左利き者(レフティー、とか言うんですか? ……なんかおいしそう)の迷惑にもなるかと。