先日、情報教育関係の研修に行ってきました。
「パソコンを使ってこんな授業ができる」
みたいな研究授業です。
社会科のスーパーマーケットについて、ということで、HTMLブラウザを使って資料を提示する(というか、子どもたちが資料の中を探索する)という内容でした。
スーパーマーケットには、たくさんのお客さんが利用しやすくするためのどんな工夫が成されているか、調べる単元です。
後で授業者の先生が言ったところによると、
「この後、スーパーマーケットの見学を予定しています。
しかし、いきなり見学に行くと、『値段が大きく書いてある』など、見ればすぐ分かることばかり『発見』してしまうと考えました。
そこで、こういった資料を事前に提示することで、見ればすぐ分かることはあらかじめ気付かせておき、見ただけでは分からない、スーパーの店長さんへのインタビューなどから見えてくるものに集中させたいと考えたのです」
と、いうことでした。
くだんの資料、スタートページはスーパーの店内の地図です。
そして、各売り場をクリックすると、売り場の様子や並んでいる商品の写真がずらりと表示されます。
さらにそれぞれの写真をクリックすると、写真が大きく表示されたり、ムービー(商品の品出しをする店員さんの様子とか、店頭に置かれたモニタに商品のCMがエンドレスでかかっている様子とか)が表示されたり、という案配。
夏休み中にデジカメ持参で取材に行ったのだそうで、かなりの手間がかかっていることが感じられる資料でした。
で、その後は、研究協議。
授業者による説明や反省点の発表、参観者との質疑応答があった後、5人ずつの小グループに分かれ、各校における情報教育の現状と課題、解決策などを話し合いました。
そのために資料を作成して持って行ったんですよ、私が。
自慢じゃありませんが、プログラムを組んで教材を自作してるのは私だけでしたね。
(自慢じゃないのは、学校にパワーポイントの最新版があれば、そんなことせずともかなり高度なことができるのかもしれないから。*1)
しかしながら、「時間の関係」とかで、各グループごとに話し合いはしたものの、グループごとの発表はカット。
各グループの話し合いの記録を提出して終わり。
いや……、それ、どうなの?
主催者側は、回収した記録をもとにして、研究紀要とかを出すんだろうけど。
参加した側は出すだけで得るものがなくない?
(まあ、話し合いそのものはそれなりに有意義だったけど……)
それはそれとして。
話し合いをした時、「授業でパソコンが使えない」「誰かがシステムを構築しても、その先生が異動すると使えなくなってしまう」という話がありました。
で、個人的には、そこは「校内研修などを通じて、各人のスキルアップが必要」というところだと思うんですが。
なんか、「情報教育専門の職員がいるといいよね……」とかいう話になっていましたよ?
まあ、要するに、パソコンに詳しい先生が一人としていない学校もしばしばあって。
そういう所では校内研修もままならないので、詳しい人材を行政が配置してくれたら、みたいな話なんですね。
スクールカウンセラーみたいな立場になるんでしょうか?
でも、「パソコンを使う授業の時に協力してもらう」とか言ってたから、教員の研修のためじゃなくて主に授業要員みたい。
自分がパソコンについて勉強する気はないのかよ。
パワーポイントの教材を作ったと言ってた若い先生なんか、「自分のお金で研修するのってなんか納得いかないですよねー」とかほざいてやがった。
そこに直れ。手打ちにしてくれる。
向山洋一氏*2はな、「エリートサラリーマンは年収の5%を本代にしている。知識人たるべき教師がそれより読む本が少ないということがあっていいのか」と、いろんな本で言っているぞ。*3
ところで、社会科の授業をしていた先生が、反省点として、
「結果的に、子どもたちに何十枚もの写真を提示することになってしまった。
スーパーマーケットというのは大変情報量の多いお店なので仕方なかったのだが、できることなら、『一枚の写真から』というようにしたかった」
と、述べていました。
この点、ちょっとひっかかったので、学校に戻ってから先輩の先生に質問してみて、いろいろ勉強になったのですが、まあそれはまた。
ちなみに、その資料、写真を撮ったのは授業者の先生だけど、HTML形式にまとめたのは別の先生だそうですよ。
「画面上で、写真に通し番号などが振られていると、子どもたちがお互いに発表し合う時、『何番の写真からこれこれのことがわかった』というように言えて、やりやすかったのではないか。そういうことはできないのか」
という質問に、
「わかりません」
だって。
……聞く方も聞く方だよな。