神の見えざる手。

以前から抱いている素朴な疑問です。
 
大学時代、討論における論理の組み立て方について講義を受けました。
でも、最初に教官が言ったのは、
 
「議論の技術というのは、つまりは悪徳弁護士の技術なわけです。 本来、正しいことをまっとうに言ってれば議論に負けるはずはないんで、それを正しくないことを押し通そうとするから技術が必要になるわけです」
 
身も蓋もねえな。
 
ただまあ、逆に言えば
「議論に勝つ最善の手段は、正しい主張をすることである」
ということになります。
そして、正しい主張をわかりやすく説明するためにも議論の技術が必要になるわけで。
 
私自身は、いわゆる「思想の自由市場」という立場に基本的に賛成です。
 
何が究極的な真理であるかは決してわかりません。
しかし、より正しい主張はより議論に勝ちやすいものです。
 
ですから、人々が互いに対等の立場で多様な意見を戦わせる中で、より正しい意見がやがて他を圧倒し(あるいは、議論の中でより進んだ意見が生まれ)、最終的に、最も正しい意見が多数を占めることになるはずだ、と考えるわけです。
 
局地的には、正しくない意見が、優れた技術を持った人によって勝利を収めることがあるかも知れませんが、それはあくまで例外に過ぎません。
議論の上手い人は、賛成派・反対派双方にいるわけですから、最終的にはその影響は相殺され、意見の正当性だけが結果に反映されるはずです。
 
……しかしながら、ここに疑問があって。
 
議論の勝ちやすさが、「その意見の正当性」+「議論の技術」で決まるのだとします。
 
この「議論の技術」による補正は正当な意見を抽出するためには余計なものです。
 
この補正が、全体の中で「局地的例外」となり、最終的な結果の中で相殺されて影響がなくなるためには、様々な主義主張、利害団体の中に、均等な割合で「議論の上手い人」が含まれているのでなければなりません。
 
もし、「議論の上手い人」が他よりも集中している利害団体が存在するとすれば、その団体は、その本来の意見の正当性よりも多くの支持を獲得してしまうことになります。
 
で、思うのですが、「思想の自由市場」理論支持者って、議論の上手い人が他よりも集中しているんじゃないでしょうか?
 
このへん、どう理解していいのか非常に悩んでいるんですが。