2年生の会話。
A児「昼休みドッジやろうぜ!」
B児「いいよ! 木のとこ集合な!」
A児「おれ炭治郎な!」
私が知ってるドッジボールと違う。
戦争を知らないひ孫たち。
最近、学習が遅れ気味な子に個別指導をしていて、ちょっと衝撃を受けことがあるので書きます。
小学校3年の国語教材に、「ちいちゃんのかげおくり」って話があるのをご存じでしょうか。
知らない方のために紹介記事にリンク。
blog.goo.ne.jp
短い話だから読んで。(元は絵本)
ブログの方が
「涙なしには読むことのできない、ある意味衝撃的な…素晴らしい作品」
と書いてるとおりで、私もこれを音読するともう泣けてしまって授業にならないんですが。
(なお「一つの花」でも泣いてる模様)
で、よそのクラスの子を何人か個別指導してたんですが、本作の内容にさしかかったところ、この子らはもう全然内容を理解してないことが判明。
私「5の場面(『それから何十年』以降、最後の4行)の部分は、要約するとどういう内容?」
A男「うーん、急に町が復活してるから、燃えたのは幻だったのかも知れない」
いやいやいやいや。
私「……この、『ちいちゃんのかげおくり』って、いつの話かわかる?」
A男「?」
こういう物語教材って、学習の最初に「いつの話か」「どこの話か」とか確認するんじゃないのか……。
っていうか、そもそも小学3年生、「かつて日本で戦争があった」という事実を知らないのです。
昔は、学校で教わらなくても、どこかで伝え聞いて知っていた(例えば、福島で原発が事故った話なんか、学校で教えなくてもみんな知ってる)わけですが、今はもうそういう時代ではないのだ……。
もっと衝撃だったのはB女。
私「かげおくりをした次の日って、場所はどこ?」
B女「……列車?」
私「うん……列車に乗るんだから、駅だよね。(B女は電車は知っているが「列車」という言葉は知らなかった)お父さんはどこに行くの?」
B女「?」
私「教科書の下(脚注)に、『出征』って言葉の意味が書いてあるから読んでみようか」
B女「(読んでから)『いくさ』って何?」
私「戦争のことだよ」
B女「戦争って何?」
星新一の「白い服の男」か!
「戦争を知らない子供たち」といえば、我々の両親世代のことでしたが、今の小学生に至っては「戦争」という言葉自体を知らなかったりするんですよ……!
いやまあ、個別指導を受けてる子だから、これはかなり極端な例ではあるんですが。
それにしても、もう作品読解とかそういうレベルではないので、かなり衝撃でした。
戦争を知らない孫による解釈。
……といっても、私も、あまんきみこ氏が本作を書いた時には「当然のこと」「常識」であったことを知らずに育っているわけで、あまり大きなことは言えません。
おそらくかなり理解が抜けているだろうと思います。
以下、作中に明記されてないけど「たぶんこういうことなんだろうなあ」と思っていることを書くので、「いやそれは違う」ということがあったらご教示願いたいです。
・出征する前の日……先祖のはかまいりに行きました。
なぜみんなで出かけたかといえば、一家全員がそろうのはこの日が最後かも知れないから。(事実そうなる)
・「今日の記念写真だなあ」
同様に、これが家族がそろう最後になるかも知れない、という意味の記念。
・「体の弱いお父さんまで、いくさに行かなけらばならないなんて」
体が丈夫でない父が、妻と幼い子どもを置いて出征する、というのは、「一つの花」とも共通するテーマ。
太平洋戦争初期は、健康で、できれば独身の若者が優先して召集されたが、戦況の悪化につれてそうも言っていられなくなった(いわゆる根こそぎ動員)。
つまり、もうかなり戦況が悪化した時期だということを暗示している。
あまんきみこの世代であれば、お母さんが「体の弱いお父さんまで……」と言った時点で読者は「ああ……」となったのだと思う。
・この町の空にも、しょういだんやばくだんをつんだひこうきが、とんでくるようになりました。
本土空襲が本格化したのは1944年以降。
本作の舞台は明記されていないので、どこの街だったかはわからない。(どこであってもおかしくはない)
・風の強い日でした。
ほんの短い一文だけど、空襲の夜に「風が強い」という一言は、当時を知る人にとってどれほど恐ろしい意味を持っていたろうかと思う。
・「さあ、ちいちゃん、母さんとしっかり走るのよ」
お母さんは最初は子どもたちと一緒に走っている。
しかし、
「風があつくなってきました。ほのおのうずが追いかけてきます」
という、いよいよ逃げ切れない状況になって、ちいちゃんを抱き上げて走る。
ところが、
「お兄ちゃんがころびました。足から血が出ています。ひどいけがです」
それで、やむなくちいちゃんとお母さんが走ることになる。
これは本文中にはっきり書いてある点だけど子どもは見落としがち。
お母さんの台詞はかなり悲壮なものだと思う。
・「お母ちゃんは、後から来るよ」
この知らないおじさんは言ってみれば嘘をついたわけだけど、もちろん決して悪い人ではない。
火が迫ってくる中で、幼い子どもが「お母ちゃん」と叫びながら立っていたら、他に言えることがない。
直後の「みつかったかい、よかった、よかった」の時、おじさんは心底ほっとしたはず。
・「じゃあ、だいじょうぶね。あのね、おばちゃんは、今から、おばちゃんのお父さんのうちに行くからね」
普通に考えたら、こんな焼け跡で母親とちいちゃんが別行動するわけがない。おばちゃんは、大丈夫かどうか本当はかなり疑っていたはずだと思う。
ただ、おばちゃんが実家に戻ると言っていること、「はすむかい」であるちいちゃんの家が全焼していることを考えると、おそらくおばちゃんの家も無事ではない。
おばちゃんが一人暮らしをしていたとは思えないから、こちらも夫は戦地にいるのかも知れない。
そんな状況で近所の子どもの面倒をみるには限界があって、心配ではあるがちいちゃん本人の言葉を信じて置いていくしかなかった……ということだと思う。
・お父さんとお母さんとお兄ちゃんが、わらいながら歩いてくるのが見えました。
ちいちゃんが死んでしまった、ということは、大体の子は理解できる。(A男は「軽くなったから浮いたってこと?」とか言っていたが)
ただ、ここにいるということは、父も母も兄もすでに死んでいたということ。
おそらくは父が最初に戦死し、母と兄は、空襲の晩、ちいちゃんの知らないところで焼死していたことになる。
・ちいちゃんが一人でかげおくりをした所は、小さな公園になっています。
子どもたちに
「『ちいちゃんが一人でかげおくりをした所』ってどこ?」
と尋ねると、大抵「こわれかかったぼうくうごうの中」と答える。
防空壕の中で自分の影が見えるわけはないのだが、防空壕と聞いてイメージできるわけがないので写真とかを見せるしかない。
ちいちゃんが眠った防空壕は、おそらく家の庭にあったはずである。(あまんきみこ氏の世代にはそんなの常識だったんだろうが)
ということは、ちいちゃんの家の跡地は公園になってしまった、ということ。
戦災地復興の詳細についてはよくわからないので自信がないが、これはあるいはちいちゃんの一家が戦災で全滅してしまったこととも関係があるのかも知れない。
私も頭が変なのかも知れない。
もう20年以上前、私が他県の教員採用試験を受けた時のことです。
その時の私は、腕を怪我してギプスで固定していました。
というのも、その採用試験では体育の実技があったのですが、それを事前に練習していて腕を痛めてしまったのです。
「怪我人に遠出させるのは心配だ」
ということで、弟が付き添いについてくれました。その節はありがとう弟。
さて、当時、私が他県の教員採用試験を受ける時には、2日前から現地入りしていました。
「前日入りでは何かトラブルがあって間に合わないかも知れないし、そうでなくても疲れが取れなくて実力が出せないだろうから」
という……つまり親が往路の新幹線代と2日分の宿泊費(しかもこの時は2人分)を出してくれたわけで、親にも感謝しかない。決して金持ちではないのに。
とはいえ観光に行ったわけではないのです。まして怪我人だし。
ホテルについて荷物を置いた後、弟と一緒に再び駅まで歩き、電車とバスを乗り継いでさらに少し歩いたところが会場。(確か高校だった)
「なるほどここが受験会場か。当日はまたここまで来ればいいんだな。その時もよろしく頼みます(to弟)」
などという話をした後、再び徒歩・バス・電車でホテルまで帰ってきました。
ホテルに着いたところで弟が一言。
「兄さん兄さん、それで夕食は」
「えっ?」
「『えっ?』じゃなくて。ホテルを出る時、『じゃあどこかに夕ご飯を食べに行こう』って言ってたでしょ」
「そんなこと言ってた!?」
「ええ……」
自分では完全に忘れていたのですが、食事をするつもりでホテルを出たはずのものが、どこかで外出の目的が「会場の下見」にすり替わり、全く気づかないまま会場を下見して帰って来てしまったのです。食事はしないで。
黙って付いてきてくれた弟にはまったく感謝しかない。
……という話を今書いたのは、先日この匿名ダイアリーを読んだから。
anond.hatelabo.jp
いや……部屋を片付けながら服を脱ぐくらい普通なのかも知れない。
私にとって、この「それで夕食は?」の件が衝撃だったのは、「弟が同行していなければ永久に気づかなかった」であろうからです。
自分の奇行に自分では全く気づかなかった……ということは、普段一人で行動していても、似たようなことをしょっちゅうやっているのかも知れない。
というか、やっているという確信がかなりある。
おそろしいことです。
……今にして思うと、親が試験の2日前に現地入りさせるのは、息子のそういうところをよく知っていたからではなかったか、という気もしますね。
余談
ところでその試験は落ちました。
実技試験を受けられないんだからそりゃ当然なんですが、ほとんど無理に決まっている試験に協力してくれた家族はほんとにありがたい。
なお、なるべく疲れないために往路は新幹線でしたが、復路は各駅停車でした。無用の贅沢をさせてくれる親でもないので。
(北海道の試験を受けた時も、往路は飛行機、復路は寝台車だった)
その辺も含めてまことにありがたいことです。
noshレビュー・豚肉とメランザーネのミートソース
総評:82点(なかなかおいしかった)
個人的にチーズで+2点。肉がもっと軟らかければなあ……。
公式の写真&説明。
メランザーネとはイタリア語でナスを意味します。このプレートは薄切りの豚ロースと揚げナスをミートソースで味付けし、ナスとチーズのトロトロの食感、豚肉の旨味をお楽しみいただけるように仕上げました。濃厚なミートソースとたっぷりのチーズを絡めてお召し上がりください。 副菜は、キャベツと人参のマヨネーズ和え、ポテト明太子ビーンズ、カレーカリフラワーです。
https://nosh.jp/menu/detail/357
実物。
「メランザーネとはイタリア語でナスを意味します」
……だったら「豚肉とナスのミートソース」で良かったのでは……。
おいしかったです。
noshのチーズおいしい。
ミートソースも味がしっかりしていてよかった。
ただ、noshの牛肉・豚肉は固くて筋っぽいので、それが残念。
いい肉を使えとは言わないから、せめてスーパーの豚小間レベルの肉を使ってくれたらずっとおいしくなると思うんだけど……。
副菜の「キャベツと人参のマヨネーズ和え」は、例によってマヨの味はまったくしないんですが、やたら酸っぱくて、むしろマリネかと思いました。
「ポテト明太子ビーンズ」は……おいしいんだけど、明太子ポテトサラダを食べると、終売になってしまった鮭の明太ポテトチーズを思い出すなあ……。復活して欲しい。
パッケージ情報。
553kcal。チーズ系はちょっとカロリーが高くなってしまうのかな……。
他のメニューのレビューはこちら。
filinion.hatenablog.com
noshレビュー・バッファローチキンのチーズ添え
総評:98点(毎回複数頼みます!)
やればできるnosh!(チーズで+3点)
公式の写真&説明。
ニューヨーク州バッファローで生まれた「バッファローチキンウィング」をナッシュ風にアレンジしました。カロリーを抑えるため、鶏もも肉はフライ調理ではなく、ふっくらと焼いて仕上げました。しっかりとした辛味と酸味のあるバッファローソースにケチャップを加え、チーズと合わせることで、マイルドさを出し食べやすくしております。栄養豊富な緑黄色野菜であるケールと一緒にお召し上がりください。 副菜は、オクラからしマヨネーズ、コーンと空豆のポテトサラダ、カブのバジルソースあえです。
https://nosh.jp/menu/detail/358
実物。
これはとても良かった!
「しっかりとした辛味と酸味のあるバッファローソース」
が、本当にちゃんとしっかりとした味がしておいしかった。
(ただ、奧さんとちょっと分けて食べたら「ちょっと辛すぎる」とのことだったので、辛いのが苦手な人はやめたほうがいいのかも)
ソースの味が強いので、添え野菜(写真で黒っぽく写っているもの)のケールはよく味がわかりませんでした(ほうれん草かと思った)。
今まで、
「冷凍だからこんなもんだろう」
「ヘルシー志向だから薄味なのは仕方ないだろう」
と思っていたけど、ここへきて普通にちゃんと美味しかった。
副菜は、「からしマヨネーズ」は相変わらず言われない限りマヨとは気づかないような味付けですが、あとの2つはそれなりにおいしかった。
パッケージ情報。
577kcalはnoshとしてはかなり高い方ですね。
休日の昼食ならこんなものかな……。
ともあれ、ぜひこのクオリティで新メニューを出して欲しいと思います。
(そしてこのメニューがなくならないで欲しい……)
そのほかのメニューのレビューはこちら。
filinion.hatenablog.com
教員が意欲的に研修する時。あるいはしない時。
夏休み中、自主研修として本の内容をまとめてきました。
(一応、まだ続けようという意思はある)
読書まとめ・「吃音の合理的配慮」 - 小学校笑いぐさ日記
読書まとめ「自分で試す 吃音の発声・発音練習帳」 - 小学校笑いぐさ日記
読書まとめ「吃音のある子どもと家族の支援」 - 小学校笑いぐさ日記
読書まとめ「吃音のある学齢児のためのワークブック」 - 小学校笑いぐさ日記
しかし、なぜこんなマジメなことをしているのか。
理由は2つあります。
1.今年が教員免許更新の年だから(って書いたら完全に年齢がバレるな……)
2.今年、県の研修にあたったから。
1は、ご存じの方も多いと思うのですが、教員免許状は定期的に更新が必要で、そのためには30時間以上の講習を受けて試験に合格しないといけないのです。費用は自分持ち。
2は、あまり正確に詳しく書くと勤務地までバレるので適当にぼかしますが、今年の私は、研究授業をやったり他の先生への校内研修を実施したりして資料をまとめ、それを県の研修センターに持って行かなければならないことになったのです。
他の学校でも同じ研修をやってる人がいて、それを持ち寄って発表し合うという。
その2つが何の関係があるのかというと……。
教員免許状の更新講習がすごい不毛なのです。
オンラインで講習が受けられる団体を2つほど選んで受講してるんですが、片方は前にもちょっと書いたとおり内容がアレ。
filinion.hatenablog.com
あの後もマジメに研修動画を見たんですが、何しろ「いじめ・不登校について」の話で出てくる「いじめの定義」が、
「同一集団内の相互作用過程において優位に立つ一方が、意識的にあるいは集合的に他方に対して精神力・身体的苦痛を与えること」、「逃げられない閉じた集団(学校)の中で、対抗力のない弱者に対して、正当な理由なく繰り返される私的制裁」などと定義され、学校及びその周辺において、生徒の間で、一定の者から特定の者に対し、集中的、継続的に繰り返される心理的、物理的、暴力的な苦痛を与える行為を総称するもの
(東京地方裁判所八王子支部 昭和63年(ワ)389号 判決)
東京地方裁判所八王子支部 昭和63年(ワ)389号 判決 - 大判例
だっていう。
いじめの定義が昭和63年東京地裁判決!
ヤバくないですか!?
現職の教員に聞いたらみんな「それはやべえ……」って言いますよこれ。
みんな、いじめについては校内研修で繰り返し聞かされてるはずだから。
文科省によるいじめの定義は、平成25年以降、
児童生徒に対して、当該児童生徒が在籍する学校に在籍している等当該児童生徒と一定の人的関係のある他の児童生徒が行う心理的又は物理的な影響を与える行為(インターネットを通じて行われるものも含む。)であって、当該行為の対象となった児童生徒が心身の苦痛を感じているもの
https://www.mext.go.jp/component/a_menu/education/detail/__icsFiles/afieldfile/2019/06/26/1400030_003.pdf
になっています。
つまり、「優位に立つ一方が」とか「集中的、継続的に繰り返される」といった条件は消えている。
(なんでそうなったかというと、いじめの事実を学校が認めない事案が多発したためにどんどんいじめ認定のハードルが下がっていた、という残念な話もある)
それはわりと常識のはずなのですが……どうも講習をやってる先生は知らないらしい。
そしてその講習のタイトルが「教育の最新事情」なんですよ。ギャグかな?
ギャグならギャグでいいんですけど、それを聞くために9000円払ってるんですよ私(なおこの講習は6時間)。
で、講師の先生、今は大学にお勤めだけど、以前は教員だったり児童相談所の職員だったりしたことがあって、その時代の経験談を話すこともあってそのエピソードはまあ興味深いといえば興味深い。
でも、そういう個別の事例の話はもちろん試験には出ませんでしたね!
(試験はオンライン。講話のスライドをノート代わりにキャプチャしておいたんだけど、見るまでもなく超簡単だった)
で、もう一つの団体。
こっちの試験は紙ベースで、事前に試験問題を郵送してくれたんですよ。
それに記入して送り返す方式。
そしてそれが、なんか、動画を見るまでもなく答えられる……。
たとえばの話、
「教育公務員は、その職責を遂行するために、絶えず研究と(ア)に努めなければならない」
「小学校におけるプログラミング教育のねらいは(イ)を育むことにある」
「キャリアパスポートは、小学校から(ウ)までのキャリア教育に関わる活動について、学びのプロセスを児童・生徒自身で記述し、蓄積した記録を振り返ることができるポートフォリオである」
……のア・イ・ウに適語を補充しろ、って言われたら、まあ、すらすらできる人は少ないかも知れない。
でもそれを、
「下の中から選びなさい。
1.高等学校
2.修養
3.プログラミング的思考」
って問題にしたら、子どもでも正解できると思うんですがどうか。
つまりそんな感じ。問題が10問とかあるけど、余分の選択肢がないので迷う余地がない。
奧さんにもやってもらったけど、私が選んだ回答と一致しました。
これで教員免許更新の資格が認定されるのか。やべえ。
それでもせっかくお金を払ったので(また6時間9000円)一応動画を見ることにしたんですが……あんまり言うと団体を特定されるかも知れないのでぼかしますが、なんか、だいたい毎回同じ活動をやってる。
例えるなら……
1時間目。「子どもの運動へのモチベーションを伸ばすためにはこのような点に注意して声かけをするとよいでしょう。では、実例を見てみましょう。(ミニサッカーの映像)」
2時間目。「子どもの運動機能を伸ばすためにはこのような配慮が必要です。では、実例を見てみましょう。(ミニサッカーの映像)」
3時間目。「子どもの(略)(ミニサッカーの映像)」
みたいな感じ。
いや、説明部分一回にまとめてくれよ。
っていうか、ミニサッカーだけじゃなくていろんな活動の事例を見せてくれ。授業の参考にならないだろ。
動画を見たかどうかは向こうもチェックしてる……かも知れないので全部見ますが、こういうのを30時間とかあまりに不毛なので、音量を最低にして画面の隅で流すだけにしました。
話の内容にちょっと興味を惹かれた時だけ見る。
で、その間何をしているかというと、つまり読書をしているわけです。
なぜ読書かというと、最初に言った県の研修で、校内研修を実施するためには、まず自分が勉強しないとならないから。
金を払って申し込んだ法定講習の内容が不毛なので、その動画を垂れ流す傍らで県の研修の準備に励んでいるわけです。
いやこれ、オンライン講習だからよかったけど、どこかの大学とかの教室に行ってこんな講話聞かされたら、逃げ場がなくて発狂していたかも知れない……。
それでつくづく思うのですが、教員免許状更新制というのは本当に無益な仕組みだなと。
世の中には、
「免許更新制がなくなったら教員が勉強しなくなるのでは?」
……と、心配される向きもあるかも知れません。
しかしご心配なく。
そもそも現状の更新制自体が、何の研修にもなってないのです。
そして、すでに存在する自治体の研修の方が、よほど研修の動機付けになっている。
何せ、こっちは校内で研修をやったり、他の学校の先生の前で発表したりするわけだから、しっかり勉強して準備しないと自分が恥ずかしい。
恥ずかしいのは自分だけではなく、学校の名前を背負って行く以上は、自分一人で資料を作るわけにはいきません。
事前に計画を立てて校長教頭にも相談し、できた資料も内容を確認してもらわないとならない。
非常に面倒と言えば面倒ですが、ともあれ研修の機会にはなっています。……お金はかからないし。
だから、どうしても教員に研修をさせたいなら、更新制なんてただただ時間とお金を空費する仕組みは廃止し、自治体の研修の機会を充実させたらいいのではないでしょうか。
(っていうか事実、10年前とかに比べてずいぶん研修が増えてるんですけど……)
読書まとめ「吃音のある学齢児のためのワークブック」
夏休み自主研修の第4回。
今回の本はこれ。
表紙だと一見わかりづらいけど、著者はアメリカの人で、これは翻訳なんですね。
ワークシートとその活用法が中心、と言ってもいいかも知れない。
1章は、まあ前書きです。指導者の役割についてとか。本書のねらいとか。
なるほど、と思ったのは、「吃音の重症度と本人の意識は違う」ということ。
客観的には大したことのない症状でも、深く思い悩んでいる子はいるし、逆に、顕著な吃音でも、周囲が受容的で本人が気にしていない状態にもなりうる。
2章は、子どもと指導者(または保護者)のコミュニケーションについて。
箇条書きでまとめると、
・自分の吃音への否定的な感情が緊張を引き起こし、吃音を悪化させる。
・子どもの否定的な感情をありのままに受け止めることが必要。
・傾聴、言葉返し(おうむ返しにする)、真意探り、ラベリング(~ってことかな?)、受容。
このへんは、いわゆる「カウンセリングマインド」に通じるものがあるな、と思いました。
吃音の子どもだけでなく、日常的な子どもとの(あるいは大人同士の……)コミュニケーションでも必要なことかな、と感じます。
はっとしたのは、「受容」というのは、子どもの感情をきちんと受け止めることだ、という話。
だから、「どもるのがいやなんだよ」に対して、「大丈夫だよ、ずいぶん良くなったよ」と「気にするほどじゃないよ」等々と返すのは受容的でない。
「そうかあ、どもるのが嫌なんだね」と、一旦引き取ってあげないといけない。
これ、「絵が上手く描けない!」とかかんしゃくを起こす子相手にやってしまっていたなあ、とか反省。
それから、
・価値付け褒め言葉ではなく励まし褒め言葉(見たまま、事実を伝える(おうむ返し的な考え方)努力や進歩を認める、Iメッセージ。何がどうなったのか、どう成長したか、相手の良さは何かの総括)
自分なりに考えると、例えば「先生、なわとび見て!」って言う子に
「上手だね! いいね!」……っていうのが「価値付け」。
「すごく早く跳べてたね(事実) 休み時間にもいっぱい練習したんだね(努力) びっくりしたよ、見せてくれてうれしいな(Iメッセージ) もうなわとび名人だね(総括)」
みたいな感じ……かなあ……(自信なげ)
それから、吃音の子に対応する上で、症状だけでなく、背景や周囲のアセスメントが必要。
1.生育歴
2.吃音症状の頻度と重症度
3.認知、言語の発達の状態
4.構音の状態
5.運動能力
6.子ども自身の吃音に対する態度と感情(本書で主に扱う)
7.子どもの吃音に対する保護者の思い
8.子どもの吃音に対する担任の思い
「話すのは好き?」
「話し方をどうしたいの?」
「話し方がどうなっちゃうの?」
「どんなとき(誰と話す時)そうなっちゃうの?」
「誰かに何か言われたことある?」
「話しやすくするためにやっていることはある?」
「そんなときどんな気持ち?」
(なお、自分の吃音に気づいていない子に吃音について根掘り葉掘り聞くべきではない)
3章は、実際に指導に使うワークシート……かな。
子どもが自分の吃音をどう捉えているか、を知るためのもの。アセスメントの手段の一つ。
子ども自身が描き込むことを想定したものもあれば、特に低学年向けに、教師がインタビュー的に聞き取りながら記入することを想定したものもあります。
「きみは、どう思っているの?(自分の話し方についてどう認識しているか)」
「10のことばで自己紹介(自分の長所と短所をどう捉えているか)」
「連想ゲーム(「ぼく・わたしは、絶対 ない」のような文章の空欄に思いつく言葉を書き込む)」
「避けるの、どのくいら?(どんな場面で話すことを避けるか)」
「保護者の方にお尋ねします」「先生にお尋ねします」(どんな場面で吃音が見られるか、どんな時話しにくそうにしているか、周囲の子の様子はどうか、など)
こういったものが15種類あります。
本書の特徴として、このワークシート本体に続いて、実際に指導を受けた子どもによる記入例が掲載されていることです。
(もちろん原文は英語なので、日本語のPOP体か何かで印刷されている)
そして、「キャリンは、自分の吃音に対して強い否定的な感情を抱いていることがうかがえます。その一方で…」のような、著者による簡単なコメントがついている。
ワークシートの活用法が具体的に分かるのでいいな、と感じました。
ちょっと、文化の違いを感じるところもありますけど。
4章は「指導の手立て」。
・スピーチノートを作る(何を学んだか、練習したかを自分でまとめる)
・話すということ、どもるということ(発音の仕組みについて知る)
・今週の質問(指導者に聞きたいことを書く)
・大事な話をしよう(吃音に関連したテーマについて。マッピングやフローチャートなどで考えをまとめていく)
・問題解決計画(自分の課題が何であり、どんな気持ちで、どう取り組んでいくか、短期的なチャレンジを考え、後で振り返る)
・考えを変えよう(何が不安なのか、ネガティブな気持ちになっているのは何かを見直す)
・苦手にチャレンジ(話すことが比較的容易な練習から苦手な場面へ向けて、スモールステップで練習計画を立てる)
・吃音体験(どんなどもり方があるかを書き出し、それを身近な人にやってもらって採点する。吃音に対する不安を和らげる手立て)
・伝えよう(担任など身近な人に吃音について相談したり、クラスでプレゼンを行ったりする)
これも、実際の子どもの具体例が載っているのでわかりやすい。
「発音の仕組みについて知る」の準備として、「一緒にピザを作る」が出てくるの、おおアメリカだ、って感じがする。
(発音には声帯や脳や肺や横隔膜が複合的に関わっていることを、ピザ生地やソースやペパロニやチーズの関係になぞらえるというですね……)
5章は「指導の例」。
3・4章で出てきたワークシート、手立てが、個別の児童にどのように活かされたか、という指導事例。
8歳のヘイリーから、15歳のフランクまで、4名の児童について、どのようにアセスメントが行われ、どんな目標が立てられ、どんな手立てが講じられたかが書かれています。
ここでも、中心になるのは文章じゃなくて子ども自身が書いたワークシートです。
内容としては以上。
B5サイズで200ページある本ですが、文章中心なのは1・2章だけで20ページしかないので、わりとすぐ読むことができ、具体的な事例が中心なので参考になりました。