リングフィット買いました。

 しばらく前になりますが、リングフィットアドベンチャーを買いました。
 
 これは……いいですね。
 
 決してお安いものではありませんでしたが、卒論ちゃん(最愛の妻)は以前「ジムに入会しようかな―」とか言っていたので、それに比べたらずっと安い。
 そもそも、ジムに入会していたって今は通えないし。
 
 毎日夫婦で運動して
「がんばれ!」
「輝いてるよ!」
 とか言い合っています(ゲーム内で、相棒の「リング」がことごとに励ましてくれるので、それを傍で復唱している)。
 
 夕食後に夫婦のコミュニケーションが増えたので、個人的にとても満足。
 
 そこそこ運動したところで、ゲームが「今日はここまでにしてクールダウンしますか?」とか尋ねてくれるので、そこで終了にしています。
 
 卒論ちゃんの場合、コロナ以前より運動量が増えたとか。
 当初はスクワットを1回やるだけでも四苦八苦していたのに、今は「ワイドスクワット!(16回)」とかでもすいすいこなせるように(つらいことはつらい、らしい)。
 成長が実感できるデザイン、素晴らしいなあ、と思います。
 
 ところで、実家の両親に電話で連絡を取ったところ、母は定期的に通っていたヨガ教室とか水中ウォーキングとか(こういう社交性が、私には遺伝しなかったところだ……)が軒並み閉鎖されてしまい、今は家にこもりきりだとか。
 
 むしろ両親にこそリングフィットを買ってあげたいところなのですが。
 
私「父さん母さんもこれやるといいと思うよー」
母「私ら2人はどっちも機械オンチだからねえ。私は家で『超ラジオ体操』やってるから大丈夫よ!」
私「超ラジオ体操」
母「私、ラジオ体操嫌いだからね!」
 
 まあ……大丈夫ならいいんですが……。
(あと、うちの両親の場合、リングフィットやりながら互いにダメ出しし合いそうでそれはそれで)
 
 コロナショックでいろいろ多方面に心配はありますけれど、外出自粛で運動量が減った高齢者が、それきり動けなくなってしまうようなケースもあるのではないか、と考えるとそれも心配です。
 

岡村氏の発言について思うこと。(id:nt46氏への私信)

 少し前にこういう記事がありまして。
「コロナの影響でスーパーで買うカツオの刺身が美味すぎる」
https://note.com/suzukimakoto/n/nbf2bad91eca2
 
 コロナショックで生鮮食品の需要が減少した結果、普段ならスーパーに並ばないような質のいいカツオが安く買える……という。
 
 それを踏まえて、最近はてなで話題になっているのがこれ。
 
「風俗嬢とカツオの刺し身の違いを論理的に説明して」
https://anond.hatelabo.jp/20200503121929
「自分の利益のために人の不幸を期待しているのは風俗嬢に対してもカツオに対しても同じなのでは?」
 
 つまり、カツオが安くて喜んでるのと、先日問題になった岡村氏の「コロナが明けたら美人さんが風俗嬢に」発言と何が違うのか……という。
 
 本件について、私の意見はこうです。
 
 確かに、獲ったカツオを安く売らねばならないのも、収入が途絶えて風俗業に入らねばならないのも、どちらも当事者にとっては不本意なことでしょう。
 
 しかし、前者は「収入が減る」という話、後者は「失職して困窮し、不本意セックスワークに従事することになる」という話で、全く次元が異なります。
 
 そんなわけで、以下のようにはてなブックマークにコメントを書きました。

カツオは元からカツオで、それが安くなるだけだけど、コロナショックで風俗業を迫られる女性は元は風俗嬢ではない。もし岡村発言が「コロナが明けたら風俗が安くなる」ならあそこまで炎上しなかったと思う。

https://b.hatena.ne.jp/entry/4685167710458088770/comment/filinion

だから、「不本意な値下げを迫られる」と「望まぬ転職を迫られる」じゃ全然違うでしょ。例えば漁協が「コロナショックで金がなくなった若い人がカツオ漁船に来るのを期待」って言ったら炎上すると思うよ。

https://b.hatena.ne.jp/entry/4685184743237556546/comment/filinion

*1
 
「値下がりしてるから買いましょう」なら「食べて応援!」的な言い訳も立ちましょうけれど。
「本業で失職して流れてくる人材に期待」というのはいかんよね、という。
 

ここから私信。

 
 さてところが、2つめのブコメに、id:nt46氏から返信的なものがつきまして。
 やりとりは以下の通り。
 
nt46「問題になったのは"炎上"したことでも"言い方"の問題でもなく岡村の価値観そのものだったでしょう?矢部の"説教"まで肯定しておいて、今更それはないでしょう。更にいえばあなたが"全然違う"ことにしたいだけですよね?
 
filinion「私のコメントは見ての通り「言い方」ではなく内容を問題にしてるんですけど…。第一、矢部氏の「説教」に肯定的に言及したことは一度もないですし。誰かと人違いされてませんか?
 
「言い方の問題」ってのはつまり、「岡村氏の言っていることは正しいけど、言い方が悪かった。言葉が足りず真意が伝わらなかった」ってやつですよね?
 そんな醜悪なこと言うわけないじゃないですか。そもそもご本人が謝罪してるのに。
 
「全然違うことにしたいだけ」って仰るけど、全然違いますよね……?
 例えば私だって、自分の給料が減ったら不本意だけど、失職して風俗業なりカツオ漁船員なりにならざるを得ないとしたらもっと嫌ですけど。*2
 nt46氏はそうじゃないんでしょうか?
 
nt46「内容でも言い方でもいいですけど、それに至る(表出する)価値観そのものが問題視され、その"矯正"が肯定されている"状況"に対しての問題提起なんですけど。
 
filinion「一般に、表現の自由は批判される可能性を伴うものです。差別的な発言をすれば批判されるのは当然で、それを内心の自由の侵害だというのは「言いたいことは言うが批判されるのは嫌」という甘えに過ぎないと思います。
 
「価値観の矯正」というのが、例えば洗脳装置に入れて強制的に価値観を書き換える、みたいなのだったらそりゃあ許されないでしょうけど。
 しかし、言葉で相手の考えを変えようとするのを否定するのはナンセンスだと思います。
 
 そもそも言論というものの大部分は、他者の価値観を変えようとする試みです。
 岡村氏の発言だって「コロナ明けを楽しみにしよう」という「価値観の転換」をマイルドに求めたわけですし。
 
 そして「炎上」というのは、反発の多い発言をして批判が殺到した、という状況に過ぎません。要するに批判者の数が違うだけです。
「お前の考えは間違っている」と指摘する自由は誰にも否定できないのです。
 nt46氏だって、私の考えが間違っていることを指摘して、何らかの価値観の転換を求めているわけですよね?(その内実がよくわからんのですが)
 
 もちろん、「炎上」でしばしば見られる、個人情報を特定して脅迫するとか勤務先に通報するとかいった卑劣な行為は、言論とは全く別の問題ですが。
 
nt46「"価値観"とは"内心の自由"ではありません。むしろ"人格"に類するものです。更に言えば"表現の自由"の話をしてるわけでもありません。"表現""内容"の問題ならそれこそ"謝罪"ですむはずです。"内心"はどうあれ。
 
 ええ……?
「価値観」というのは、日本国憲法に言う「思想・良心の自由」であり、どう考えても内心の自由の範疇だと思うのですけど。
 
「"表現""内容"の問題ならそれこそ"謝罪"ですむはずです」
 というのもわけがわからない。
 
 私としては、岡村氏は謝罪したし、一応それで許していいんじゃないか、と思っているのですが(今後の動向に注意は必要でしょうけど)。
「チコちゃん」を降板しろ、とかいうのはそれこそ表現に対する抑圧であって行きすぎだと思っています。
 
 …………最初の
「矢部の"説教"まで肯定しておいて、今更それはないでしょう」
 からずーーーーっと思ってるんですが、nt46氏は誰と戦ってるんでしょうね?
 
 私個人ではなく、ご自分の脳内にいる「岡村叩きをする奴ら」という虚像と戦っているのではないでしょうか。
 
 これはネット上の議論でしばしば見られることで、対話している相手を、その人個人ではなく、「はてサ」「ネトウヨ」「ツイフェミ」「パヨク」といった、自分の脳内にあるステレオタイプ的な仮想敵を代表する存在と見なしてしまう、という……まあ、それは私もたびたびやらかしたことなのですが。
 
 ともあれ、言ってもいないことについて憤られてもたいへん迷惑なので、私自身の発言に基づいて批判されるか、あるいは、どうしても脳内ステレオタイプを相手に議論がしたいなら、ご自分の脳内でシャドーボクシングをするにとどめていただけないかと思います。
 よろしくお願いします。では。
 

*1: 念のためお断りしておくと、セックスワークが卑業だとか言いたいわけではないです。
 その仕事に誇りを持って、自発的に従事している方はもちろんいるでしょうし、それは立派だと思います。
 しかし、風俗嬢の労働環境・人権状況は劣悪だと仄聞します。
 ですから、(岡村氏が言うように)「他に選択肢がないから仕方なく」という理由で就業するとなると、きわめて心身に苦痛の多い業界ではないのか、と懸念するのです。

*2:もちろん、弁護士でも代議士でも宇宙飛行士でも自動車ディーラーでも嫌です。
世の中、やりがいのある仕事なんだろうけど自分がなりたくない職業というものはある。

なんとかディスタンス。

 ちょっと前の話。
 
 新型コロナウイルス感染予防のため、登下校でも間隔を開ける必要が、という話になりました。
 
K村「……というわけだからみんな、班で帰る時も、前の人、後ろの人と、1人分くらい間を空けて歩くように気をつけてね」
「はーい」
「そしたら先生も気をつけてくださいね」
K村「おお、なんて優しい子」
「でも先生は車だから関係ないんじゃないの?」
「だったら、車1台分間を空けて走ればいいんじゃない?」
K村「そうだね、車間距離だね」
 
 1台分は狭いな。
 

いじめを隠蔽した話。

 タイトルは釣り。
 ……のつもりなんですけど……。実際釣りどうかは読んだ方の判断に委ねるしかありません。
(長くてすみませんが。本文約4600字&脚注)
 
 4年生のクラスでした。
 特に配慮が必要な児童が2人いました。
 
 1人目は、不登校傾向のA児。
 すごく真面目で繊細で傷つきやすい子です。
 
 2人目は、発達障害のB児。
 多動で衝動性が強い子です。
 
 A児は、3年生の時から不登校気味になり、学校に来ても、保健室登校のような形で過ごしていました。
 たまに給食だけ教室に食べに行ったり、仲のいい子が休み時間に部屋に遊びに来てトランプとかで一緒に遊んだり……みたいな状態。
 年度当初、これからは少しずつ教室で過ごせることを目標にしていきましょう(ただ、本人の意思を最優先し、無理はしない)という方針を保護者とも確認しました。
 
 一方、発達障害のB児は、常日頃いろんな子とトラブルを起こしていたんですが、それはA児相手でも例外ではなく。
 というか、「トラブル」の多くは
「休み時間になる→即座に教室から飛び出す→途中で他の子にぶつかる→本人は気づいていない」
 みたいな、本人の衝動性に起因するもので(私は「交通事故」と呼んでいました)、相手を選ばない。*1
 
 しかし、A児はそれを
「つきとばされた」「僕だけがいじめられている」
 みたいに受け取る子なのです。
 
 A児から「B君に押されました」「叩かれました」みたいな苦情があるたびに、本人や周囲の子から話を聞いたんですが。
 B児は「やってないですよ!」って怒るし。
 周囲の子に聞いても「えー……? わかんないです……」「見てたけどそんな感じではなかったですよ」という反応だし。*2
 
 それで、担任としては、
「B君は押したつもりはなかったと思うんだけど、急いでいたからぶつかっちゃったんじゃないかと思うんだ。
 これからはよく気をつけてね。
 A君も、B君はわざと押したわけじゃないと思うから許してあげてほしい」
 といった指導を繰り返すことになりました。
 
 A児はそれで納得していたように見えたんですが(むしろB児の方が不満顔)、一番納得しなかったのがA児のお母さん。
 
「なぜ先生からBさんにきちんとした指導がなされないのでしょうか。いじめはいじめる側が悪いのではないのでしょうか。『B君には悪気はないんだ』と言われて、Aは意味がわからなかったそうです(以下2ページ略)
 ……みたいな長文のお手紙が連絡帳に。
 
 この……お母さんとの関係が、実のところ一番難しいところでした。
 
 例えば、4月早々、入学式の前日のことです。
K村「ねえA君、明日の入学式の時、どうするかちょっと相談しよう」
A「出ます」
K村「そう? でもね、他の学年の子もみんないるから、ちょっと心配じゃない?」*3
A「大丈夫です」
K村「そう……。もちろん、A君が出られるっていうならそれでいいし、A君が座る席もちゃんとあるんだ。まあ、入学式ってほとんど座ってるだけで、他の学年の人と話したりはしないしね。
 でも、保健の先生とは相談してあって、A君が入学式に出ない時は、保健の先生と一緒に保健室でゆっくり過ごしても大丈夫、ってことになってるからね? その時は、A君の入学式の椅子はどかしちゃうから、A君がいないことはお客さんにはわからないし」
A「はい」
K村「まあ、別に今決めなくてもいいんだよ。明日の朝、出たければ出てもいいし、やっぱり嫌だなあ、って思ったら保健室で過ごすこともできるから大丈夫。ゆっくり考えてね」
A「はい」
 
 そして翌日の連絡帳。
「今日学校から帰ってきたAが、『入学式に出席するって先生と約束してしまった』と言って泣いていました。他の学年と接する機会のないようにしてほしいとお願いしていたのになぜそんなことを無理強いするのか理解に苦しみます。昨年度のR先生は、少しずつ学校に慣れていくように配慮して進めてくださったのに(以下2ページ略)
 
K村「……A君、入学式出るの嫌だったの?」
A「はい」
K村「おうちで泣いたの?」
A「はい」
K村「そう……。じゃあ、今日の入学式は保健室で過ごそうか」
A「はい」
K村「あのね、嫌だったら、嫌だって言っていいんだよ。先生たち、A君に楽な気持ちで学校に来てほしいと思っていろいろ考えてるから、嫌だったらそう言ってくれた方がうれしいからね」
A「はい」
 
 まあ……そんなわけで。
 無理せず、少しずつ、本人の意思を尊重しつつ、保健室登校から教室登校を目指した……つもりだったのですが。
 しかし、A児母からの長文お手紙はそれからもたびたび繰り返されることになりました。
 
 曰く、
・昼休み、ドッジボールで上級生に集中的に狙われたのが嫌だったと言っている。
・委員会の時間、担当の先生に強い口調で指導されたのが嫌だったと言っている。
・学習プリントを配布するとき、担任が机に強く置いたのが嫌だったと言っている。
 
 ……等々。
 
 こちらとしても、その都度、A君自身から話を聞いたり、周囲の子に状況を聞いたり、上級生の担任や管理職等々と相談して対応したつもりなのですが……。
 ほぼ常に「『加害』側には全然そんなつもりはなかった」って結論に落ち着くという。(もちろんプリントの件も)
 
K村「……A君、嫌なことがあったらせめてその場で言ってくれるといいんですけどね……」
養護教諭「あれはたぶん、家でお母さんがしつこく聞いてるんだと思うよ。
『今日は学校で嫌なことあった? あったでしょ? 何? 何が嫌だったの?』
 って。
 それで、Aちゃんは『嫌だったこと』を無理矢理ひねり出してるんじゃないかな。お母さんの期待に応えたくて」
 
 迷惑な。
 
K村「そういえばR先生、お母さんがR先生のことほめてましたよ。
『R先生は、少しずつ学校に慣れていくように配慮して進めてくださった』って」
R「……あのお母さん、去年は『K先生だけがウチの子の気持ちをわかってくれた』『担任にもっと指導力があればこんなことにはならなかった』って言ってたんですよ……」*4
養護「あのお母さんは、目の前にいる人を攻撃することしか頭にないんだよ。言ってること真面目に受け止めたらダメだよ」
R「去年は、連絡用にメールアドレスを教えてたんですけど、長いメールをいっぱい送ってくるんですよ……。それで、15分前のメールと次のメールで言ってることが違うんです……」
 
 A児のお母さんは、近所づきあいや保育園でも「ちょっと変」「常識がない」「怖い」といった評判のある方でした。
 
 ……実のところ、たぶん、本件の関係者の中で、一番メンタルヘルス的なケアが必要なのはA児のお母さんなんです。
 でも、それは学校にはどうすることもできない。
 
 ともあれ、そんなA児母ですから、B児への対応で納得いただくのは困難でした。
 私からも、時には校長からも「B児については全職員で対応に当たっています」といったことをお伝えしたのですが、A児のお母さんの中では、
「うちの子がいじめられているのに、担任は『本人には悪気はなかった』と言うなど、いじめの存在を認めず、適切な対応を怠っている」
 という堅固なストーリーができあがってしまってですね。
 
 ついには
「Bさんの保護者の方と直接会ってお話ししたい」
 とか。
 
「こじれるだけだからやめろ」
 って校長からも(婉曲に)お伝えしたんですが、結局直談判になって。
 
 B児のお母さんの心労も相当なものだと思います。
 
 B児のお母さんは穏やかな方なんですが、お子さんが2人とも発達障害気味で、家の中でも暴れたりものを壊したり。
 1年生の時から(というか、幼稚園の時から)、お子さんがらみで大きめのトラブルがある都度、相手方の保護者に謝罪の電話をされているという……。
 
 ただ、学校は、A児のお母さんに
「B君は発達障害なんです。薬も処方されてます。ああいう子なんです」
 と言うわけにはいかない。そんな繊細な個人情報ぺらぺらしゃべれない。

 で、A児のご両親は直談判に来て言いたいこと言って帰り、菓子折を持ってきたB児のお母さんはひたすら頭を下げていたのですが、それでB児の行動が収まるはずもなく。
(収まるくらいなら幼稚園時代に収まっている)
 
 その後もA児の母からは、連絡帳を通じて「明らかに悪意がある」とか「異常」といった激烈な表現を含む長文のお手紙を度々いただくことになりました。
 
 ……最終的には、残念ながらA児はほとんど学校には来なくなってしまい、保護者の希望で、適応指導教室に通うことになりました……が、そちらもちょっとしたきっかけで通えなくなってしまった、と、適応指導教室の先生から聞きました。
適応指導教室の先生曰く「あのおうちはお母さんがキーですね」)
 
 なんでも、
「A児は一人でも自習ができるのに、教室の先生が『わからないところはない?』とか話しかけてくるのが嫌だと言っている」
 とかで。
 そして、隣県には、学習時間は完全にその子に任せてくれる適応指導教室があるので、父親はそちらへの転勤希望を出しているとか。
 
 ……お父さん、転勤の前に、お母さんをなんとかしてあげないといけないんじゃないかなあ……。*5
 
養護教諭「Aちゃん、あのお母さんと一日2人っきりで、どう過ごしてるんだろうね。どこにも出かけたりしないみたいだし……」
 
 私は異動してしまったのでその後のことはわからないのですが、今でも
「一体どうすれば良かったんだろう……」
 と思うのでした。
 
 本件で、私や、周囲の先生方が最善を尽くしたことは、胸を張って言うことができます。*6
 しかし残念ながら、結果にはつながりませんでした。
 
 ……これ、もし将来、A児に何かあったら、
「小学校時代にいじめが始まって不登校になった。学校側はいじめの存在を認めず、隠蔽を図った」
 とか言われてしまうんだろうなあ……と思います。
 
 とはいえ、本件で「いじめはなかった」とは言えません。
 
 現在の文科省のいじめの定義は、要するに「精神的苦痛を感じたらいじめ」です。
 
 で、A児は「僕はいじめられている」と思って苦痛を感じていたのだから、いじめは「あった」としか言えない。
 
 ただ、B児が意図的に「いじめた」のか、というと、それは難しい。
 
 ……まあ……B児も「Aのことは嫌い」と言っていたので、全く何の害意もないとも言えませんけど。
 
K村「なんでA君のこと嫌いなの?」
B「ぶってないのにぶたれたとかウソつくから」
 
 まあ……君の視点だとそうだろうねえ……。
 
 こういう、ナチュラルに周囲を傷つけている子が
「自分は『普通にしている』だけなのに、周囲からのけものにされている」
 という被害意識を持ってることって実はよくあります。
 
 そういう意味では、本件は、「B児もいじめられていた」とも言えます。
 だってB児も「暴力行為の濡れ衣を着せられた」という精神的苦痛を感じてるわけですから。……A児にその意識は全くないだろうけど。
 
 いじめ対応で
「学校はいじめた子をかばっている」
 とかよく言われます。
 
 しかし、
「困った子は困っている子」
 という格言がありますが、本件はA児・B児どちらも「困った子」であり、「困っている子」なんですよね……。(おそらくA児の母も)
 
 みんな救えたら良かったのですが。到底力が及びませんでした。

*1:とはいえそれとは別に、怒るとすぐ手が出たり、順番を守るなどのことができなかったり、という問題もあります。

*2:周囲の子がB児をかばっている、という可能性は残念ながらほとんどないです。みんな大なり小なりB児の被害を経験していて「大目に見てる」だけなので。

*3:「過去に上級生に意地悪されたのがトラウマになっている」との話が母親からあったのです。

*4:1・2年生の時の担任も私だった。

*5:お父さんは……お母さんよりはずっと話が通じる方なのですが、いかんせんお仕事が忙しく、お子さんの状況についてはほとんどお母さんを通じて聞いているだけ、という。

*6:A児母からのお手紙のコピーとか、トラブル時の対応とかは全部記録してファイルしてあります。

休校要請の日とその翌日、小学校であったこと。

 金曜日、昼食を買いに校舎外に出たら学童の子とすれちがい、
「先生、まだ学校にいたの!?」
 と言われました。
 
 違うよ……? 君たちが休校になっても、職員室の先生達はみんな勤務日なんだよ……?
 でも給食は出なくなったから、昼食は弁当持参かコンビニで買うかなんだ。
(「感染予防のため飲食店の利用は避けるように」と校長から指示されている)
 
 さて。
 休校関連のあれこれを、学校視点で書いておこうと思います。
 
 ……あんまり詳しく書くと、自治体名どころか学校名まで特定されそうなので細部は若干改変してありますが、全体としては事実に基づいています。
 
 2月27日19時頃。
 本校の職員室には、ほとんどの職員が残っていました。
 通知表・指導要録の作成や進級・進学、卒業等の準備が集中する年度末は、学校でもっとも忙しい時期なのです。
 
 そんな中、教頭が「えっ!?」と叫び、ややあって
「『安倍総理がコロナ対策で全国の学校に休校を要請。3月2日から春休みまで』って!」
 と叫びました。
 
 職員室に「ええっ!?」という動揺の声があふれ、みんな一斉に手元のPCでニュースサイトの閲覧を始めますが、何しろそれ以上の情報はありません。
 
 職員があわてふためく中、校長・教頭・教務主任らはしばらく深刻な面持ちで相談していましたが、やがて校長が立ち上がり、
「学年主任の先生方! お忙しいところすみませんが、臨時の打ち合わせを持ちたいと思いますので、校長室にお願いします!」
 管理職と学年主任、教務主任、学習指導主任、児童指導主任らは、校長室に入っていきました。
 
 残ったメンバーは仕事をしながら気もそぞろです。
 
「え……何? 3月2日から休みって、今日が27でしょ? 明日が28で、土日を挟んで月曜が2日でしょ? じゃあ、明日で学校最後ってこと……?」
「通知表とかどうすんの……?」
「卒業式は……?」
 
 小一時間ほどして校長室から学年主任らがぞろぞろと出てきます。
 
 校長から。
「えー、先生方、すでにご存じの通り、先ほど、安倍首相より、全国の学校に、3月2日から休校するように、との要請が出されました。
 具体的な対応については、市で足並みをそろえることになると思いますので、休校するかどうかをここで決定することはできません。
 しかし、最悪の事態に備えておくことが必要だと思います」
 
『最悪の事態』て。
 
「報道はもちろん保護者も見ていると思いますし、不安も感じているはずです。
 ですから、市の方針が決定するまで何もしない、というわけにはいきません。
 保護者に対しては、今から、一斉メールを送信して、ひとまず明日の対応について連絡したいと思います」
 
 本校はありがたいことに働き方改革の一環として新しい電話機が導入されまして。
 18時以降は「本日の業務は終了しました。また明日お掛け直しください」という自動音声が流れる仕組みになっています。
 これで18時以降は校務に専念できるわけですね(働き方改革)。
 
 もしそれがなかったら、打ち合わせや校長が話している間にもじゃんじゃん電話がかかってきて大変だったろうなあ、と想像します。
 
 その日に出たメールは以下のようなもの。
 
・3月2日以降の予定は、まだ市教委から連絡がなく、休校になるかは未定です。
・しかし、明日、2月28日が最終日になる可能性もあります。
・このため、明日は授業を行いません。下校時刻は予定通りです。
・教科書、ノート等は不要です。その代わり、持ち帰る荷物が大量になると予想されるので、大きなバッグを持たせてください。
・休校になった場合、通知表や、お道具箱、絵の具セットなどの大きな荷物類については、春休み期間中に取りに来る期間を設ける予定です。
・今後の予定については、決まり次第メールや通知文書でお知らせします。
 
「これは大変なことになった……」
「えっ……明日、授業ないんですか? ウチ、今日、理科の実験やって、明日グラフにまとめる予定だったんですけど……」
「そもそも教科書がまったく終わらないよね……?」
 
 なんか、世間では
「この時期の学校なんて、卒業式の練習やってるだけでしょ?」
 みたいなことを言う人もいますが、それはわりと何十年か前の話です。 
 
 確かに、私が子どもの頃の小学校は、卒業式だの運動会だの学芸会だののリハーサルを何度も何度もやったりしたものです。
 しかし昨今では、総合的な学習の時間だの道徳の教科化だの英語必修化だので学習内容が増えた結果、時間的余裕がなくなっています。
 学芸会とか小遠足とかいう行事は「学校行事の精選」として、多くの学校で姿を消しました。
 残った卒業式や運動会のような行事でも、準備時間は大幅に削られ、3月ギリギリまで授業をしないと教科書が終わらない事態になっているのです。
 
学習指導主任より。
「終わらない教科がいっぱいあると思うんですが、それは、家庭学習用のプリントを子ども達に配って、休校期間中に自習してもらうということにします」
「そんなこと可能なのか……?」 
 
 もちろん可能な子、可能な家庭もあると思うんですが、それがみんなに可能ならそもそも公教育なんて不要なわけでして。
 
「……ですので、お忙しいところすみませんが、明日、子ども達に配布できるよう、自習用プリントの作成と印刷をお願いします。今から」
「……そんなこと……可能なのか……?」
 
「あと、各学級とも、終わってないドリルとか、テスト類があると思うんですが、それは、明日、子ども達に全部やらせるようにしてください」
「………可能じゃないだろそれは」
 
 多くの学校では、テスト・ドリル類は、業者から購入したものを使用していると思います。
 その費用は保護者が負担しているわけで。
 保護者に
「学校で使用してお子さんに教えるために必要なんです。だからお金出してください」
 ……って言って買ったものを白紙のまま返却しては、申し訳が立たない。
 だから、通常、なんとしても年度末までに終わらせることになっています。
 
 ……今回は「通常」じゃない気もするんですけど……。
 
「それから、子ども達のやった教材、プリント等も、今、成績処理のために手元にあると思うんですが、明日、返却の漏れがないようにお願いします」
「……ええ……」
 
 通知表の作成が終わってから少しずつ返却するはずだったものが、突如「明日まで」に。
 
 そして6学年主任より。
「あの、先生方、お忙しいところ大変恐縮なのですが、もしも2日から休校になりますと、6年生は明日で本校を卒業ということになります。たいへん慌ただしい一日になるかとは思うのですが、少しでも6年生に卒業の気持ちを持ってもらうために、今から、教室周辺に少し飾り付けをしたいと思っています。申し訳ありませんが、ちょっとでもお手空きでしたら、お手伝い頂けるとありがたいです」
 
 通常、卒業式の準備は、前日放課後、担当になった5年生と職員が一緒に飾りを作ったり飾り付けをしたりしていくものなのですが、今回はもう夜。
 ただでさえ卒業関係業務で多忙な6年の先生たちですから、他の職員も手伝わざるを得ません。
 紙でお花をつくるやら風船を膨らませるやら「卒業おめでとう」のプレートやら。
 過去に作った飾りで流用できるものもありますが、そうでないものも多く。
 
 ……卒業式なんてくだらない形式だ、という人もいます。
  
 確かに、卒業して何十年も経った人にとっては、幼稚園や小学校の卒園・卒業なんて、くだらないままごとにしか見えないかも知れません。
 でも、卒業する本人や、その保護者にとってはとても重要な人生の節目ですし。
 それをいい思い出にしてあげたい、というのは、これまで6年生と接してきた教員の気持ちでもあるわけで。
 
 そんなわけで、わりと夜中までかかりました。
 
 で、迎えた28日。
 
 高学年では突然の修了に呆然とする子がいる一方、低中学年の子はわりと浮かれていました。
 まあ……春休みの長さが突如夏休み並みになったわけですからね……。宿題の量もだけど。
 
 朝には、校長から校内放送を通じて講話。
 主に、新型コロナウイルスの感染予防について。
 
「これまでのところ、皆さんのような小学生が感染することは少なく、感染しても重症になることはあまりない、ということですが、万一、皆さんが感染して、お家に持ち帰って、家族の誰かにうつしては大変だ、ということで、学校をお休みすることになりました」
 
 ……校長先生、実は休校に納得してないでしょ。
 
 実はこの28日の間にも、休校するのか、いつからするのか、といった点について方針が二転三転していました。
 
「仮に休校になるとしたら、上の方針が出るまでじっと待っているヒマもない」
 ということで、校長会と市教委と県教委がそれぞれに対応を協議したわけですが。
 
 臨時校長会で話がまとまった後に市教委から指示が来て。
 その後に今度は県教委から指示が来て。
 そして首相と文科省が「あくまで要請であって個別の判断は自治体に委ねる」とか強調し出して。
 
 保護者には、最終的な方針が決まるまで追加の連絡は出なかったのでその混乱は伝わらなかったと思いますが、一番てんやわんやだったのは給食主任でした。
「この日からこの日までの給食は全部キャンセルでお願いします」
「すみません、さっきキャンセルした給食なんですけど、やっぱりこの日とこの日は……」
「すみません、さっきキャンセルをキャンセルした給食なんですけど……」
 ……なにぶん、相手が生鮮食品ですから、早めに連絡しないとですね……。
 
 各学級では、膨大な量のプリント、通知文書が一挙に配布されて子ども達の机の上に紙の山ができ。
 通常の修了式の日だってかなり配るものが多くて大変なのに、何の準備もなく突然年度末になったわけなので、あの状況下で配られた通知文書、ちゃんと保護者に届いたんだろうか……。
 
 さらにそこに、残ったテストとドリルを一気にやるという無茶な日程で、最終日の余韻もへったくれもありません。
 なにぶん、まだ習ってないところのテストをやるわけですから、教えながらテストをする、みたいな荒技になったり。 
 
 そんな中、給食の時間には、5年生から、
「放送で6年生を送る会」。
 内容は歌とクイズでした。
 
 5年生も、これまで「6年生を送る会」に向けて、レクリエーションを考えたり、下級生と協力してプレゼントを作ったりしてきたのですが、それは全部中止。
 
 ……5年生にとっての「6年生を送る会」は、単なるお遊びではありません。
 一つのイベントを企画し、外部(他学年)に仕事を依頼し、準備し、運営するという経験を、教師がサポートする中でやる学習活動です。
 だから、ぜひ成功経験を味わわせてあげたいところですが……まあ、プレゼントだけは6年生の教室に渡しに行きました、みたいな結果に。
 
 放課後、教務主任が
「こんな時になんですが、もし今日、例えば算数の授業を行った場合には、週指導計画上は、算数の授業時間として計上しておいていただけると……」
 
 学習指導要領で、年間に実施すべき各教科の時間数は決まっています。
 だから、学校の時間割はその基準を満たすように組まれています。
 しかし、台風による休校やインフルエンザによる学級閉鎖などに備え、ある程度の余裕を持ってはいるとはいえ、余裕の時間数は、学年にもよりますが、7時間から12時間程度。
 1~2日分しかありません。
 
 万一、休校が長引いて本当に時間が足りなくなった場合には、その後、昼休みにも授業をやって一日7時間授業にするとかそういう非常措置をして、指導要領の要求を満たすことになります。
 学校行事がずいぶん減らされたのだって、教科の授業時数を捻出するためです。
 
 しかし今回、年度末である3月がまるまる消滅してしまうというのはもう対処不能なわけで。
 
 時間数もそうですが、内容的にも教科書が全然終わらない。
 
 例えば4年の算数では、
「今日は帯分数の足し算をやりましたね。明日は、帯分数の引き算をやります」
 というところで休校。
 
 その分数の学習の後には「直方体と立方体」という単元が控えていたのですが、これはもう全く触れさえせずに学年が終わりました。
 だから今年はたぶん全国で
「立方体……? 聞いたことがありませんね……?」
 という子どもが量産されたわけです。
 各学年、各教科でそんな感じ。
 
 消滅した一ヶ月分の学習内容をどうするのかはぜんぜんわかりません。
 元々、各学年とも、その学年で教えるべき内容を教えるので手一杯だったわけで。
 
 そこへ、今年度やり残した一ヶ月分を教え直すようなゆとりがあるとは思えない。
 仮にやろうとしても、「やり残した部分」は学級ごと、学校ごとに微妙に違うわけで……。
 
 どうするんだろ……?
 全国一斉学力テストとか、大幅な落ち込みが予想されるけど、やるんだろうか……?
 
 その他、突然雇い止めになってしまった非常勤職員の先生達とか、逆に突然フルタイムでの勤務を要求された学童の先生とか、色々あるのですが、そのへんは当事者ではありませんのでこのへんにしたいと思います。
 
 事態が早く沈静化するのを願っているところですが……。
 
 それにしても、これって、4月から新年度が始められるんでしょうか?
 そもそも休校が必要だったかどうかはさておき、現状を見るに、2月28日よりも4月6日の方が状況が良くなっているかどうか、疑わしい気がするんですけど……。
 

自主学習ノートの話。

 さて、先日、とある学校の取り組みが話題になっていました。
 ドリル宿題をやめ、子どもが自ら課題を設定する「自主学習ノート」に切り替えた、という話です。
ドリル宿題はもうやめます!“当たり前”を見直した水戸市石川小学校の挑戦 | アカデミア-真の教養を研究する教育情報メディア
 で、読んだ私の感想。

ドリル宿題はもうやめます!“当たり前”を見直した水戸市石川小学校の挑戦 | アカデミア-真の教養を研究する教育情報メディア

こういう記事でノートの写真が紹介されるような、自分で学ぶ力がある子にはいいだろうが…。学力格差が拡大しそう。途中の新聞記事に「教師が丁寧にコメントすることが大切」とある通り、教師の労力は増えると思う。

2020/02/09 13:19

 そしたら、なんと記事の筆者、ソルティー(塩畑貴志)氏からTwitterで返信をいただきました。わあお。

そうですね。ただ、宿題を必ずやらなければならないというルールではないようです。
子供自身が何を書こうかを考えること自体が正解なんだと思います
また、丁寧にコメントをする時間は本来教師が行うべきところだと思っています。丸付けは保護者も手伝ったりしているので労力が減っているようです。

https://twitter.com/Solty_gn/status/1226450337914998785

もちろん保護者としては労力が増えているので大変ですが、そこも地域で子供たちを見るという部分に繋がってくるのかなと思います。
教員だけに教育を任せようとしてしまうと、子供にとって本当に良い教育につながらないのかな〜ともお話を聞いていて感じました。

https://twitter.com/Solty_gn/status/1226450741453131776

(ツイート貼り付けたらすっごい見づらいレイアウトになったので引用文にしましたすみません)
 
 私も……自主学習ノートを全否定しているわけではないんです。
 前の学校でも、中学年以上では自主学習ノートが宿題としてありました。
 
 子どもたちの思考力や課題を追求する力を育てることは大切だし、その意味で、自主学習ノートは有効な取り組みだと思っています。
 
 ただ、色々難しいところもあるよな、とも思うのです。
 
「課題は自由です」
 というのは、「自由研究」「思ったように書いてごらん」みたいなもので。
 自分で学ぶ能力のある子(そしてそれをサポートできる保護者)にとってそれは素晴らしい機会になるでしょうが、そうでない子には厳しい。
 要は「2ページの自由研究」ですからね。
 
 それで結局、「自主学習ノート」の2ページにびっしり計算練習をしたり漢字練習をしたり……という状態になる子は少なくないと思います。
 っていうかわりと見た。
 
 そして、大体そういう子って、自分の苦手分野に取り組むんじゃなくて、とっくに覚えた漢字や、余裕でできる計算を「練習」するのですよ……。
 まあ、自分が何が苦手かを客観視するのって、小学生には難しいですから、責められませんが。
 
 でも、だったらドリルをやった方がマシなわけで……。
 
 そこで保護者が、子どもの苦手分野を見抜いてやるべきことを示唆してあげたり、研究すべきテーマを一緒に探してあげたり、そうでなくとも、せめて本屋で市販のドリルを買ってやったりするならまだいいんですが……。
 まあ……色々なおうちがありますからね……。
 
 ソルティー氏は
「保護者としては労力が増えているので大変ですが、そこも地域で子供たちを見るという部分に繋がってくるのかな」
 とおっしゃるんですが……。
「地域で子どもを育てる」って言うのは簡単だけど、普通の保護者は自分の子しか見ません。
 本当に「地域で」見るなら、保護者に見てもらえない子は他の誰かが見る仕組みを作らなきゃならないんですよね……。
 それがあるといいのですが。
 
 ともあれ、子どもが各自の能力に合った課題に、自主性を持って取り組めるようにするには、やっぱり大人のサポートが必要になります。
 その意味で、
「丁寧にコメントをする時間は本来教師が行うべきところ」
 というのはまことに耳の痛いところで、
「お前の能力がないから子どもの自主学習ノートがそんななんだ」
 と言われたらまあ返す言葉もないです。
 
 ただ、それって結局、子どもを伸ばすには相応の手間が必要だよ、という話なんですよね……。
 
 記事中でも触れられている秋田県においては、県の予算で教員を多く配置し、小学1~3年では30人学級、4~6年では20人程度の少人数指導が可能になるよう図ってきた、という事実があります。
https://www.mext.go.jp/b_menu/shingi/chousa/shotou/084/shiryo/__icsFiles/afieldfile/2011/07/05/1308080_6.pdf
 秋田県の学力が高い件については、「秋田は田舎だから地域の繋がりが密なのが影響している」「冬が長いから自宅での学習が捗る」「自主学習ノートなどの取り組みが」といったいろんな説がありますが、結局のところ、予算突っ込んで人員を増やしたから学力が上がったのだ、という、きわめて当たり前で身も蓋もない話なわけです。
(その人員をどう活用して何をやるのか、という点に秋田県の工夫があるわけですが)
 
 件の記事中では、
「ドリルを採点するのは先生たちも大変」
「ドリルをなくせば業務改善にもなる!」
 みたいな話になってますけど(なんと石川小のサイトにもそれっぽいことが書いてある)、普通に考えて、35人が同じドリルをやってきてそれを採点するのと、35人が別々の「自主学習」をやってきたのを見るのとでは、後者の労力の方がケタ違いに大きいわけです。
(もちろん、楽ならいい、って話ではありませんけども)
 
「宿題を必ずやらなければならないというルールではない」
 っていうのもよくわかりません。
 件の校長先生は
「極端なこというと自主学習さえなくていいかなって。だって子供って好きなことやれば良いわけだし。本当は読書とかね。自由だから気付くんです」
 とか美しいことをおっしゃってるけど……。
 やらなくていいなら何もしない子いるよね……?
 
 漢字ドリルにしても計算ドリルにしても、よく素振りに例えられますが、反復練習する中でしか身につかないことってどうしてもあると思うのです。
 たとえそれがすごくつまらないとしても。
 
 つまらない勉強をいかに面白くするか、味付けを工夫するのは教師です。
 でも、「面白さ」は手段であって目的ではありません。
 勉強の目的は、学習内容が定着することなわけで。
 だいたい、どうがんばったって、普通の小学生にとって勉強がゲームより面白くなることはない。
 
 そして、どう味付けしてもあんまり面白くならない反復学習も残念ながらあると思います。
 だから、「ドリルがつまらない」というのは、それをやめる理由にはならないのではないでしょうか。
 
 だからまあ……いきなり
「ドリル廃止! 自主学習一本にします!」
 みたいな話ではなくて、ドリルはドリルでそれなりに取り組みつつ、それなりに自主学習もやる、みたいなことが必要なのではないかなあ、と思っています。(ネット受けしない結論)
 
 石川小の取り組みの結果がどうなるかはまだわかりませんが、教育の分野でいきなり極論に走るのは危険なんじゃないでしょうか。
 

1mは一命取る、とかなんとか。

 ウチの市では、時折、業者に依頼して、学校の窓の清掃を行っています。
 上階の窓の外側を子どもに拭かせるとか危険ですから、専門家に任せるべきですよね。
 
 ……なのですけれど。
 
 市から来る業者、2階・3階の窓拭くのに、安全帯も付けなきゃヘルメットすらかぶらないんですよ……。
 それで全身外側に乗り出す……っていうか、完全に建物の外側に出て、片手で窓枠に捉まって、もう片手で窓を拭いてる状態。
 
 一瞬でも足を滑らせるか手を滑らせるかしたら即死。
 
 あれほんと心臓に悪いのでやめて欲しい……。
 
 そりゃ、今のところ落ちたことはないんでしょうけど。まだ一度も死んでないみたいですし。

 でも、学校って、オフィスビルとかと違って、作業の邪魔をしないよう配慮できる子ばかりではなくて、多動気味の子もいますしね?
 そもそも、授業中にも休み時間にも、教室や廊下を作業してるわけですし。
 
 万一そこへ子どもがぶつかったりしたら……と考えると大変恐ろしいです。
 
 もちろん一番被害を受けるのは落下した作業員さんでしょうけど、大勢の子ども達の前で落下事故とか、子ども達の心のケアも考えると……。
 
 誰にどう訴えたらいいのやら、と思っています。